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伊勢ツアー…
いよいよです!
いよいよなんです!
二見興玉神社で禊をしてきまして、いよいよ伊勢神宮の外宮へいざ!
緊張します、正直言って。
あまり神社や古事記や日本書紀などの記紀、日本神話に興味のな方からすれば「どうして緊張?」と冷めた感じに思われるでしょうが、こんなマニアックなグログを書いてる私としては…(察して)
伊勢神宮参拝には順番があります。
二見興玉神社→外宮[正宮]→(外宮の別宮)→内宮[正宮]→(内宮の別宮)
の順で周りますが↑今ココ(外宮)です。
御朱印はコチラ→ 御朱印 伊勢神宮-外宮(いせじんぐう-げくう)/豊受大神宮(とようけだいじんぐう)
『伊勢神宮-外宮(いせじんぐう-げくう)/豊受大神宮(とようけだいじんぐう)』
所在地 三重県伊勢市豊川町279
御祭神 豊受大御神(とようけのおおみかみ)
社格 旧式内社
旧二十二社
神宮
例祭日 伊勢神宮HP参照
鳥居 伊勢鳥居
社殿様式 唯一神明造
【由緒】
豊受大神宮のご鎮座は『止由気宮儀式帳とゆけぐうぎしきちょう』や『豊受皇太神御鎮座本紀とようけこうたいじんごちんざほんぎ』によると、雄略天皇の御代に、天照大御神が天皇の夢に現れてお告げをされたことによります。その内容は、「一所ひとところにのみ坐せば甚苦いとくるし」ということと、「大御饌も安く聞食きこしめささず坐すが故に、丹波国の比治の真名井ひじのまないに坐す我が御饌都神、等由気大神とゆけのおおかみを、我許あがりもが」と教え諭されたことでした。天皇は夢から目覚められて、等由気大神を丹波国からお呼びになり、度会の山田原に立派な宮殿を建て、祭祀を始められました。これが「御饌殿の創設」、「日別朝夕大御饌祭の創祀」を始めとする御鎮座の由来です。
天照大御神の御神慮によって豊受大神宮がお鎮まりになったことには、どんな意味があったのでしょうか。皇大御神は、豊受大御神の御神慮を仰ぐことなしに、食事に代表される生活全般の正しい豊かな営みが不可能であることを、みずからお教えくださったものと考えます。この御代は大陸との交通がますます盛んとなり、産業の開発も著しく、国富はいよいよ充実した時代であったことを考えると、その深い神慮のほどがうかがわれます。
豊受大神宮は皇大神宮と共に、かつて「二所大神宮」と称され、広大なる御神徳と尊い御鎮座の由緒にもとづいて、殿舎、祭儀のほとんどが皇大神宮と同様であり、皇室の御崇敬もまた同様に捧げられています。しかし、両宮は決して同格ではなく、皇大神宮こそが最高至貴のお宮で神宮の中心です。
神宮の祭典は、「外宮先祭げくうせんさい」といって、まず外宮で祭儀が行われるならわしがあります。豊受大御神は天照大御神の御饌都神ですので、内宮の祭儀に先だって御饌都神にお食事を奉るのです。祭典の順序にならい、参拝も外宮から内宮の順にお参りするのがならわしです。
外宮へのアクセスは超シンプルです。
伊勢市駅の目の前にある一の鳥居から道なりに進むだけ。
そこがもう参道です。
参道の両脇にはお茶屋さんやお土産やさんがたくさんあるので帰りにゆっくりみるとして、まずは惑わされずに直進あるのみ!
結構長い参道です。
この信号を渡った先が外宮の境内。
右に見えるの小屋は衛士見張所、真ん中の端は「表参道火除橋」といいます。
表参道火除橋は左側通行なんですがちょっと右側を歩いちゃった。
多分まだ豊受大御神には見つかってないと思うからセーフ!
橋を渡るとこんなに開けた景色です。
結界に弾かれるんじゃないかと不安でしたが、なんとか弾かれずに鳥居の中へ進むことができました!
セーフ!
ふさけすぎて怒られそうなので真面目に書きます。
この鳥居をくぐるまでは「気持ちがいいな〜」って普通に感じてましたが、鳥居をくぐった途端、また別の感覚になりました。
神様っているのかも…
なんでもかんでもスピリチュアルに繋げたくないので、なるべく冷静に物を見るように気を付けてる私でも本気でそう思うぐらい、多分”神聖”ってこういうことを言うのかなって思う空間が在りました。
レンズフレアを避けられないぐらいの良いお天気!
やっぱり私モッテルなぁ〜(自惚れ)
本当に台風と台風の間だったんです。
この1週間後には伊勢神宮が台風による大雨で五十鈴川も氾濫して…
あのニュースは見ていて辛かったです。
本当に悔しいのが、実際の雰囲気が写真では伝わらないこと!
いや実際のものがそのまま伝わったら気持ち悪いか!
参道を歩いていくと右手に神楽殿が現れます。
こちらの神楽殿ではご祈祷や御饌(神様にお供えする食事)などを行っています。
また、お札やお守りの授与もしています。
後日、記事でアップしますが特別参拝の手続き(特別参宮章の授与)もこちらでできます。
伊勢神宮並びに全国の神社は、第二次世界大戦後のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による神道指令で、
「日本の神様信仰は危険だから(諸外国からのコントロールがしにくいから)これからは国と切り離させてもらうから!」(マッカーサー談)
ってことで、国営でなくなってしまってしまいました。
それからは伊勢神宮と準ずる神社たちは国民の寄付で営んできました。
なので、奉賛された方へ、そのいただいた気持ちに対するお礼として、少しでも神様のお側でご参拝をしていただけたら…と言うのが先ほど書いた特別参拝へと繋がるんです。
これから伊勢神宮へ行かれる方は、これは是非覚えておいてください!
次回の内宮の記事で書きます。(多分)
あと、古事記、日本書紀といった記紀を学ばれたいという方、日本史を紐解きたいという方はGHQのことも覚えておいていただきたいです。
ここから日本の思想が変わっていったんだなっていうキーポイントがGHQです。
GHQの存在を感じる時、これがなかったら今の日本はどんなだったかな?といつも少し残念な気持ちになります。
でも過去のことなので、私は今ある文化をひたすら大切にしていくのみです。
そして!
まずは真っ直ぐ豊受大御神が座す正宮(「正宮」と書いて「しょうぐう」と読みます。)へ!(緊張するぅー!フーッフーッ)
んはー!
見えてきた!
上の写真は古殿地です。
20年に一度、宮地(みやどころ)を改める際に正宮と同じスペースを設けて交互にお社を移し替える式年遷宮というのがありますが、古殿地というのは以前正宮があった場所。
今はこの写真の左側に正宮が建てられていますが、次の式年遷宮ではこちらに新たに建て替えます。
20年ごとにお社が右の敷地へ行ったり左の敷地へ行ったりするわけです。
ポツーンと仮宮。
や!
近い近い!
ヤバイヤバイ!
で!
こちらが豊受大御神が現在座す正宮です!!
この場所が写真撮影ができる限界ギリギリポジです。
よく、伊勢神宮で帳が上がったら神様からの歓迎の証なんて噂されますが、風が吹けば上がるよねって話で…
でも実際にそんな強い風が吹いてないのに帳が上がると「うあ〜〜!!」ってなりますよね。
こんな風に。
キャーーー!!豊受様〜〜〜!!!
ってなりますよね(笑)
目を閉じていたので全く気が付きませんでしたが、私がこの帳の前で手を合わせて目を閉じ、ご挨拶をしてまた目を開けるまでの間、ずっと帳が上がってたそうです。(同行者談)
同行者の方が興奮していました(笑)
だけど神様は全国、または海外からも参拝に来る方全員を歓迎しているに違いないし、「帳なんかだたの風だから〜」って思ってると思います(笑)
離れ難くてずーーーっとこの場所にいたんですが、そろそろ警備の方にも怪しまれそうなので離れることに…
ここは何の場所でしょう?
これがちょっとなんだったかな…忘れました、すみません(笑)
次は別宮を回りますがこれにも順番があります。
まずは多賀宮(たかのみや)。
こちらにも古殿地があります。
伊勢神宮にあるお社全て、式年遷宮をするんですね。
そして土宮(つちのみや)。
それから風宮(かぜのみや)。
伊勢神宮では矢印付きの立札があちこちに建てられているのであまり戸惑うことはないと思います。
ケサランパサラン捕まえた。
御厩は神宮でお勤めするお馬さん(神馬)のお部屋ですが、今日はお休みだったようです。
会いたかったなぁ。
草音ちゃんと笑智ちゃんの2頭いるんですね。
この時、神職の方が正宮の裏の方から数名出ていらっしゃったんですが、護衛の方にお伺いしたら、豊受大御神へ御饌をした帰りだそうです。
豊受大御神と一緒にご飯食べたい…(そういう相手じゃない)
境内をぐるっと回って最初の表参道火除橋へ戻ってきました。
とても大きな楠があって、成長の仕方も何だか凄いなぁ〜!って形ですが、豊受大御神のお膝元で植物たちも生き生きと成長しているんだなぁと感じました。
あまり熱量を加えるとクドくなってしまうのでサラッとめに書き綴りましたが、どうしてか離れがたい場所でした。
きっと皆さんもそう感じるはず。
居心地の良いところはずっといたいですよね!
最後になりますが、ここで案内図。
(ここで!笑)
この左下の勾玉池に行きそびれてしまったんですよねぇ〜…
(相変わらず先に案内図を確認しない)
ここまでお読みくださりありがとうございましたm(_ _)m
次の記事は…………月夜見宮です!!(内宮じゃない)
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