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広島3日目、午前中は広島平和記念資料館で過ごし、正午には広島市内にある白神社(しらかみしゃ)へ。
こじんまりとした小さめの神社ですが、その歴史は意外と古く、天正19年(1951)には広島城(この後向かいます)を築いた初代城主毛利輝元によりNEW社殿も建立されています。
『白神社(しらかみしゃ)』
所在地 広島県広島市中区中町7-24
御祭神 菊理姫神(きくりひめかみ)
伊邪那伎神(いざなぎのかみ)
伊邪那美神(いざなみのかみ)
社格 旧郷社
例祭日 10月29日
鳥居 神明鳥居
社殿様式 神明造
【由緒】
白神社のある中町一帯がまだ海であった頃、現在神社のある地点は海面から突き出た岩礁であった。そこに衝突する船が後を絶たないため、当時の船人により岩礁上に白い紙がたてられ、海難事故を防止する役目を果たしていた。やがてこの岩礁は三角州の発達や干拓工事などにより徐々に地上に露出しはじめ、海難事故とは無縁になっていくが、船の安全な運航に貢献した白紙に代わる守り神の象徴として祠が建てられた。祠は白紙にちなみ「白神(しらかみ)」と呼ばれ、住民の信仰を集めた。これが建造物として信仰されるようになった始まりだが、その創建時期については記録がなく不詳。
祠は時を経て徐々に規模を拡大していき、天正19年(1591年)9月に広島城を築いた毛利輝元により新しい社殿が建立された。この社殿を城主の氏神、広島城下の総産土神(そううぶすながみ)とし、最盛期には近隣の旧国泰寺に連なる広い境内を持つ神社に発展した。
1873年(明治6年)2月、郷社に列す。
1945年(昭和20年)8月6日、原爆投下により爆心地から約600メートルに位置する当神社は、地下に保存していた重要書類を残し建造物は完全に焼失したが、同年10月には祭祀執行のため急造の仮社殿が建てられ、10年後の同30年12月に再建された。現在の社殿は同63年に再建されたものである。(Wikipediaより)
神社の規模のワリに案外立派な狛犬さんがいるのは、白神社が広島城下の総氏神とされていた歴史があるからなんですね。
毛利輝元によって社殿が建てられたということなので、当時はそれはそれは立派な神社だったんでしょう。
原爆で焼失してしまったのが残念です。
白神社にある3対の狛犬は、全てアメリカが投下した核爆弾によって被曝していて、広島原爆遺跡に指定されているのだそう。
上の阿形(右の狛犬。口を開けてる方)の狛犬は鼻が欠けてしまいました。
下の狛犬は全体が赤黒く焼けています。
原爆は黒いものはとても焼けやすいので(石は赤黒く焼ける)、上の狛犬より下の狛犬の方が色の濃い石材だったんでしょうね。
狛犬の足がひび割れていて痛々しい……
よく爆風に耐えたね。偉かったね(泣)
よく見ると阿系の狛犬の角がないです。爆風で折れてしまったのでしょうか…
拝殿では神職さんが参拝者に何やらこの神社の成り立ちを説明していたので、何気なく近づいて便乗してその説明を聞いていました。
元々この辺りは海が広がっていたそうです。
白神社は元は岩礁で、拝殿を降りて下から奥へ回るとその岩礁を見ることができる…とな。これは良いことを聞いた!
後で降りて見てみよう!
下の写真の手前両サイドにある灯籠と、鳥居の内側に見える柱を確認できるでしょうか?
これらも原爆の被害を耐え抜いた広島原爆遺跡です。
そういえば前回の記事、「広島平和記念資料館」であげていた被曝後の動画で、ポツンと残された白い鳥居があったのですが、それは広島護国神社(こちらもこの後行きます)の鳥居であったことがわかりました。
1:05あたりのこれね↓
よく見ると鳥居の手前に狛犬と灯籠も残っているのが確認できますが、これらも広島原爆遺跡に指定されています。
木造の社殿は白神社も広島護国神社も焼失してしまいましたが、石で造られたものはしっかり残っているんですね。
尚、現在の白神社の社殿は昭和63年(1988)に再建されたものです。
神職さんのお話を盗み聞きしたので、御朱印をいただいた後、拝殿を降りて奥の方へ行ってみました。
おお!言ってた通り、岩の上に本殿が立っています!その周囲を大きな石で埋め尽くしている。
この石も赤茶けてるのは原爆の熱線を浴びたせいでしょう。
その昔、この辺りが海だった時に海上に突き出た岩礁があり、これに船がぶつかる事故が多かったために、岩礁の上に白い紙を立てて目立つようにしたのが白神社の起こりだとされています。
白い紙→白紙(しろかみ)を白神(しらかみ)として祠を造り祀っていたものが、海の守り神として民衆の信仰を集めるようになって拡大していき(ここまでは記録がないため年代不詳)、毛利輝元の時代に社殿が建てられた、という流れ。
江戸時代のお江戸もそうですが、日本ってその昔はもっと陸地が狭かったんですよね。
「瑞穂の国」というのも納得できるぐらいに。
この白神社も辺り一帯は海だったというのだから、近年「温暖化で海面上昇ガー!」なんて声高に叫んでるのを聞くと「ふーん」って感じでですね。(温暖化ビジネスやね)
大阪の住吉大社も海の神として祀られていますが、こちらも同じく建立された当時は海が今よりももっと社殿に近かったと、奈良の大神神社の神職さんから聞きました。(話が盛り上がっちゃって、めちゃくちゃたくさん色んな話を聞かせていただきました)
この常盤稲生神社も岩の上に乗せられていますね。
広島城内の神社を合祀した神社だそうなので、こちらの創建は広島城ができあがってからということになりましょうか。
常盤稲生神社の狛犬さんもよく原爆の被害に耐えて頑張ったね(泣)…
お社の中にたくさんの狐さんたちが入っていました。
賑やかそう!
この後は広島城へ向かいます!
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