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三重県で伊勢神宮巡りを終えて、最終日は早朝に伊勢神宮内宮の別宮、月読宮へ行きました。
伊勢市⇆中部国際空港セントレアは往路はフェリーで伊勢湾を渡りましたが、復路は名古屋経由で熱田神宮とベタベタですが名古屋城に立ち寄りました。
お城に関しては二条城のトラウマがありましたが名古屋城は大丈夫でしたよ!(笑)
そちらは史跡巡りカテゴリーで後日アップします。
御朱印はコチラ→ 御朱印 熱田神宮(あつたじんぐう)
『熱田神宮(あつたじんぐう)』
所在地 愛知県名古屋市熱田区神宮1丁目1−1
御祭神 熱田大神(あつたのおおかみ)=天照大御神(あまてらすおおみかみ)
素戔嗚尊(すさのおのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
宮簀媛命(みやすひめのみこと)
武稲種命
社格 旧官幣大社
例祭日 6月5日
鳥居 伊勢鳥居
社殿様式 神明造
【由緒】
ご祭神の熱田大神とは、三種の神器の一つである草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を御霊代(みたましろ)としてよらせられる天照大神のことです。
天照大神は、言うまでもなく、皇室の御祖神とも至高至貴の神とも仰がれ、人々にいつくしみの徳をあたえられる神です。又、相殿神は「五神(ごしん)さま」と呼ばれ、草薙神剣とゆかりの深い神々で、宮簀媛命、建稲種命は尾張氏の遠祖として仰がれる神々です。
御鎮座は、日本武尊の御事蹟と深い関係があります。御父・景行天皇から信任を授かった日本武尊は、東征の帰途、尾張国造の御女である宮簀媛命をお妃とされ、やがて草薙神剣をこの国に留めておなくなりになります。宮簀媛命は尊の御遺志を重んじて、神剣を今の熱田の地にまつられました。今からおよそ千九百年前になります。
月読宮の最寄り駅の近鉄「五十鈴川」駅で乗車し、乗り換えて名鉄「神宮前」駅で下車。
駅の出口に分かりやすい看板!
熱田神宮の人気が伺えます(^-^)
駅の出口から熱田神宮の外側を走る広めの道路沿いを数分歩きます。
熱田神宮の一の鳥居まで歩いて分かったんですが…境内が相当広いです!!
伊勢神宮の外宮ぐらいあるのかな??
でね、途中に「きよめ餅総本家」というお餅屋さんがあるんです。
江戸中期頃に熱田神宮にお参りに行く人が一度休憩をして気持ちを入れ直すための茶屋、「きよめ茶屋」を設けたのが始まりで、そこでお餅を売り出したら人気が出ちゃった、ということで有名になった「きよめ餅」というお餅です。
今はお土産にもされる程の知名度だそうです。
通りすがりに、
「”きよめ餅”とはまた縁起の良さそうなお餅だな〜。お昼ご飯はまだだからちょっと小腹を満たすのに胃袋に放り込んで体内から清めておくか」
と思いフラッと立ち寄って”きよめ餅”を1つ購入したのですが、後から調べたら相当歴史あるお餅屋さんだった(笑)
小腹満たす感覚で立ち寄って申し訳ない(笑)
当ブログは神社に特化したブログ故、食べ物はあまり掲載しないのでご興味のある方はきよめ餅総本家のサイトを是非ご覧ください。(写真を撮り忘れただけ)
きよめ餅総本家
URL http://www.kiyome.net
あ、お味は甘さ控えめの餡、モチモチの生地で美味しかったです(^-^*)
さて、いよいよ一の鳥居が見えてきました!
でもこれは正面ではないので正面へ回り込みます。(やはりショートカットせずに正面から挑まなければ)
自然に囲まれてる感が凄い!
鳥居もそこそこ大きめです。
天照大御神をお祀りしているので鳥居も伊勢神宮と同じ伊勢鳥居となっています。
鳥居には色々な種類があって、その様式を見ると「ここの神社はあそこの流れかな」とかちょっとずつわかるようになってくるのが面白いですよ。
マニア向けですが。
駐車場も広かったです。
今回はさすがに相当な広さを予感したので、どんな風に境内を巡ろうか、しっかり境内図を確認してシミュレーション。
本来なら、本殿を参拝してから荒御魂をお祀りする一之御前神社(いちのみさきじんじゃ)、そして摂社・末社とまわるべきですが、飛行機の時間も心配だったので少し効率的にまわるため、参道にある摂社・末社をサササ〜っとアレして本殿からの一之御前神社、そして本殿背面のこころの小径から神楽殿へ出て、宝物館側の東参道をまわるルートに決定。(テッテレー)
一の鳥居の先のこの風景だけで熱田神宮の規模が伺えますでしょうか…先が見えません。
しかしながら、木々がたくさん生えていて森林浴ができちゃう!(^-^)
めちゃくちゃ気持ち良いです(*´ω`*)
いつも通り歩いたルート順に参道にあるお社から紹介していきますね。
こちらの徹社は天照大御神の和御魂(にぎみたま)をお祀りしています。
ここで左折すると休憩所である「きよめ茶屋」があります。
右折すると宝物殿。
手水舎は二の鳥居をくぐってすぐ右のところにあります。
そしてここに「大楠(おおくす)」さんがいます!
人がいたので、大きさの対比ができるように一緒に写しました(笑)
境内にある特に大きな楠を七本楠と称しています。
樹齢千年以上って凄いですね…!
この楠は千年もの間、朝と夜を繰り返してどんな景色を見てきたんだろう?
そしてここにも弘法大師(空海)が絡んでる。
いったい弘法大師は日本の何箇所に訪れたんでしょう?
参道の脇に熱田神宮の歴史を記した看板がありました。
私はこういうのを読むのはその神社の歴史が丸っとわかって理解が深まるので好きなのですが、もし興味がなければ飛ばしてください(笑)
熱田神宮は、瓊瓊杵尊が天照大御神から天孫降臨の際に預けられた三種の神器のひとつである草薙神剣(くさなぎのみつるぎ=草薙剣、雨叢雲剣)を御神体(=天照大御神)としてお祀りして1900年になります。
草薙剣は古事記では素戔嗚尊が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した際にその尻尾から出たものとされている剣で、以来、草薙剣を含む三種の神器は天皇の皇位を表すものとして受け継がれるようになりました。
熱田神宮がこの地に造られた経緯はこうです。
日本武尊が東征の際に天照大御神の御杖代(みつえしろ)である倭姫命(やまとひめのみこと)から草薙剣を授かりましたが、嫁の宮簀媛命(みやずひめのみこと)の元に草薙剣を留め置いて戦いに出た際に(いつも草薙剣を持ち歩いてたのに何故かこの時は家に置いて行った)、途中で病に倒れて亡くなってしまいます。
宮簀媛命は日本武尊が残していった草薙剣を尾張氏一族の斎場のある熱田の地にお祀りししました。
それが熱田神宮の始まり、ということです。
日本武尊と宮簀媛命がお祀りされているのはその理由で、日本武尊東征の際に軍功をあげた副将軍であり宮簀媛命の兄である建稲種命(たけいなだねのみこと)、そして草薙剣のといえば素戔嗚尊ということで、4柱の神様が天照大御神と共にお祀りされています。
因みに、”神”とはなっていますが、日本武尊と宮簀媛命、そして宮簀媛命の兄の建稲種命は確かに実在していた人物です。
日本武尊は第12代景行天皇皇子であり第14代仲哀天皇の父でもあります。
記紀など”日本神話”については盛ったりしているとことはあるでしょうが、日本武尊が実在していたからこそ、現在まで天皇の血筋が受け継がれているのは確かです。
日本神話ってめちゃくちゃ深いです。
1900年の歴史を刻む中で、神社というものはやはり一人間である戦国武将にとっても心の拠り所という存在だったんだなぁというのがよくわかるのが熱田神宮ですが、皆さんご存知の三大武将、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康もそれぞれ崇敬していました。
特に、織田信長は桶狭間の戦いへ挑む際に熱田神宮にて祈願、見事に勝利を納めてることができたので、お礼として”信長塀”を寄進したりしています。
これが今でも見ることができるのって凄くないですか!?
信長は時折造営を命じたりしていて、信心深い人柄が伺えます。
上の写真は三の鳥居の手前にある東八百万神社。
反対側にも同じ造りの西八百万神社があります。
そして!
この2つのお社の後ろに見えるこの塀!
これが”信長塀”です!
日本三代塀というのがこの世にあるのを今まで知りませんでしたが、何だか凄いものを生で見たなぁ〜と感じました!
だって、あの信長センパイが造った塀ですよ!?(職人さんが造ったけど)
ちょっと疑問を感じたものがあるんですが。
信長センパイの家紋は織田木瓜紋なのですが、どうして信長塀の瓦は三つ巴なんだろう?
誰か教えて。
信長塀を抜けた先に広がるのは本殿!
なんとも清々しい風景!!
空とのコントラストも素晴らしい!
明治26年までは尾張造りという建築様式でしたが、三種の神器奉斎の社であることから伊勢神宮とほぼ同様の社殿配置・規模の神明造(しんめいづくり)に改造されました。
(伊勢神宮の内宮と外宮は唯一神明造という唯一無二の造りです。同じ造りにするのは禁止されているので微妙に違います)
気持ち良い風が時折吹いて、とにかく爽やかな雰囲気に包まれていました(*´꒳`*)
ちょっと失礼して瑞垣の向こう側…
瑞垣乗り越えていけちゃいそう…
でもちゃんと我慢しました。
大人だし。
最終日まで良いお天気に恵まれて本当に有り難いことですm(_ _)m
いつもながら規模の大きさや雰囲気を写真で伝えるには限界がありますね…(*_*)
本殿向かって左にあるのは長床(ながどこ)という挙式場です。
そして反対側に授与所。
お札、お守り、絵馬、それぞれ色んな種類がありました!
日本武尊に因んだ白鳥守が可愛い(*´∀`*)
あと星型の絵馬。
星型絵馬専用の絵馬掛けに星型絵馬を掛けちゃうとこんなにポップに!
可愛過ぎー!
本殿の空気を満足いくまで堪能した後は本殿の左側にある「こころの小径」へ。
本殿も素晴らしいんですが、個人的には「こころの小径」がとても好きでした。
というか、オススメします!
熱田神宮に参られた際には是非こちらも!
「こころの小径」は本殿を西側(左側)と北側(背面)から参拝することができます。
つまり、拝殿よりも神様に近い位置で手を合わせることができるので、より神聖なところを歩くことになります。
敏感な方なら一歩踏み入れた瞬間に何かを感じるかもしれませんね(^-^)
このまっすーぐ進んだ先には熱田大神(天照大御神)の荒御魂がお祀りされている一之御前神社(いちのみさきじんじゃ)があります。
一之御前神社の手前に右へ行く道がありますが、この道が本殿の背面になります。
今回の伊勢神宮巡りで何度か出てきたキーワード「荒御魂(あらみたま)」ですが、これに対する言葉として「和御魂(にぎみたま)」があります。
これらは一柱の神様の勇猛的な部分と穏やかな部分をそれぞれ指しています。
例えばこの熱田神宮で言うと、お祀りされている熱田大神(天照大御神)の普段の優しいお姿が「和御魂」で、怒ったときとかのお姿が「荒御魂」、でもどちらも同一の熱田大神です。
これは私の勝手な解釈ですが、普段の穏やかな自然の風景…太陽が輝いて心地よい風が吹いて鳥が囀っているそんな風景がある一方で、天気が凄い悪くなっちゃって空は黒い雲に覆われて波は荒れるし雨もバチバチ打ち付けてくるし強風でなんか色々飛んでくるしズラも飛ばされるし…みたいな状況を、どちらも同じ地球上の現象なのに別々のものと認識しがちですよね。
「心地よい自然大好き!」とは言っても「嵐(ジャニーズじゃない方の)大好き!」「暴風雨大好き!」とはならないですよね。
穏やかでも荒れていても海や風そのものは同じものなのに、脅威を感じるような自然の猛威を人は”別の顔”みたいに形容することがありますよね。
そこに人間は神の”威厳”と”畏怖”を感じるんです。
これが荒御魂。
これは全くの個人的な考えです。
和御魂と荒御魂をもっと分かりやすく例えましょう。
同僚の天 照子(あま てるこ)ちゃん。
普段は太陽のような笑顔をキラキラさせていて誰にもで優しいんだけど、怒ったらまるで別人!
何かが憑依してるのかってぐらい言葉遣いも猛々しく、極悪非道な輩には関節技やカカト落としをキメてしまうぐらいのブチギレよう!
「照子ちゃんってああいう顔も持ってたの…別人みたい…絶対怒らせたくないわ…」
みたいな感じですかね。(伝わるか?)
これ、不敬罪にならないか心配。
こちらが本殿の背面です。
一之御前神社よりもこちらの方がフワーっと特別な雰囲気を湛えているように感じました。
本殿に激近だから当たり前なのかな。
熱田神宮で神様に一番近い場所。
ここが一番好きだなって感じました。
こころの小径まで来る人が少ないせいもあるのか静かに手を合わせられます。
熱田神宮まで来てここへ来ないのはちょっと損してるかもしれません!
背面から東側へと森を抜けていきます。
こういう道は探検してるみたいで大好きです。
自然もたくさんあって気持ちが良いです。
次に出会うお社は、絶世の美女と謳われた楊貴妃の言い伝えがある清水社(しみずしゃ)。
このお社がなぜ楊貴妃と絡みがあるのかというと、いつ発生したのか分かりませんが熱田大神=楊貴妃説というのがあって、楊貴妃が落命後にこの熱田神宮に戻ったと言われており、楊貴妃のお墓がこの清水社である、という説があるためです。
実際のところはどうか分からないけど、そういう伝説が残されています。
お社の右側に階段があって人が群がって何やらやっていました。
なんや?なんや?
↑ほほう。
”美人の湯”的なニュアンス。
階段を降りて行ってみました。
あの奥にあるちょこんと突き出た石が楊貴妃のお墓の一部と噂されるもの。
あの石を目掛けて柄杓で3度、水をすくってかけます。
(距離があって意外と難しい)
公式サイトによると、この水は社殿の奥からの湧き水で、この水で眼を洗えば眼がよくなり、肌を洗えば肌がきれいになるという信仰があるそうです。
というのも、平家の武将である平景清が目を患った折に清水社の御祭神、罔象女神(みずはのめのかみ=水の神様)にお祈りをして目を洗ったことから眼病平癒の信仰に繋がったという経緯があるからです。
女性の参拝者たちはみんな一生懸命に肌にピチャピチャと水をかけていました(笑)
私は5.0ぐらいの視力が欲しいので目を洗いたかったけどアイメイクが落ちるのでやめておきました。
アイメイク>清水社。
にしても、湧水のお陰かとても清々しい場所でした(^-^)
考えてみたら「清水」って苗字、清らかでいいなぁ。
あまり関係ないけど。
清水社からこころの小径の出口へ向かう途中に境内社が3基あります。
立札が2つの土用殿。
何だか特別な空気感があるな〜!と思ったら、草薙剣を奉安していた御殿だそうです。
どおりで!
注:現在の土用殿は復元されたものです。
こちらは立札がなかったのですが龍神社です。
吉備武彦命(きびたけひこのみこと)、大伴武日命(おおともたけひのみこと)をお祀りしております。
日本書紀には、景行天皇より日本武尊に遣わされた東征に従う神々としてその名が記されております。(熱田神宮サイト原文ママ)
この光はレンズフレアです!(先手)
こころの小径を出たところにあるのが神楽殿。
神楽殿も立派でした!
そして本当に天気がいい!(^-^)
神楽殿の右には斎館があって、官庁や勅使館や結婚式場が奥に連なる1つの建物となっています。
斎館とは、神職などが神事に携わる前に心身を清めるためにこもる建物のことを言います。(私も清めたい)
そしてこちらが西楽所!
の立札です!
建物は撮るのを忘れました!
実物を見たい方は勝手に現場へ行ってください!(笑)
参道→本殿→こころの小径→ぐるっと背面を回ってきてUターン。
ここから先は参道の隣の小道(東)です。
そしてとにかく境内社がとても多いです!
上賀茂神社ぐらい多いかも?
その名の通り、お社が6基あります。
唐突にどこかから派手に「コケコッコー!」と鶏の声が聞こえました。
え!?と思ってその声のする方に行ってみると…
声の主発見!
え!?ええ!?
なぜこんなところに鶏が!?
1羽だけ!?
(食べたら美味しいかなぁ?)
威勢よく「コケコッコー!」と数回鳴いていたんですが動画を撮り始めたら鳴くのをやめてしまいました。(そこは空気読んで欲しかったわ)
撮っていたら人が集まってきてしまって鶏がちょっと遠ざかってしまいましたが(人のせい)、動きが可愛くて暫く観察してしまいました(^o^)
土を掘って虫か何かを探してるのかな?
後から調べてわかったんですが、鶏は1羽だけではないようでまだ他にも結構いるそうです(笑)
なぜ?いつからいるの?という疑問がわきますが、いつからいるのかは熱田神宮の神職の方さえも分からないんだそうです(笑)
説としては、
・その昔、付近の住民が奉納した鶏が代々子孫を残し住み続けてる説
・どっかから勝手に来て勝手に住み着いた説
・近郊の住民が飼えなくなった鶏を熱田神宮に放した説
などというのがあるそうです。
鶏は神の使い・神鶏(しんけい)様としても敬われているのでそのまま住まわせてるんでしょうね。
この毛色、名古屋コーチンかな?美味しいかな?って思ったけど尾が黒じゃないので普通の白いやつとの混血かも。
そう考えたら、「奉納された鶏(白)」と「住民が飼えなくなった商業用の鶏(名古屋コーチン)」の混血って気もしますね。
案外この考察は外れてない気がします。
あ、でも神の使いだから食べたらダメですよ。
食べる話をしていたら、動物好きなので鶏に時間を使い過ぎてお腹が空いてきました。
お昼ご飯を熱田神宮で済ませて行こう!とノリノリで清め茶屋へ。
この矢印の方に西門があります。
出口の手前に皆さんご存じ菅原道真公をお祀りする菅原がありました。
その向かいにきよめ茶屋。
お茶屋だからご飯と言うより甘味か…
ここまできてカレーとかはモチベーション上がらないなぁ…
でもとりあえず行ってみる。
こんな雰囲気のところでお休みできるなんて居心地良すぎですね。
ん?…宮きしめん…!?
きしめんあんの!?そりゃもうきしめんあるならきしめんでしょ〜〜!!
カレー食べずに済むわ!(カレーも美味しいと思うけど、やはりせっかくなので名古屋のソウルフードが食べたい)
ということできしめんのコーナー?できしめんを注文。
種類があって迷う上に、つゆが透明な「白つゆ」と茶色の「赤つゆ」どちらかを選べるので更に迷う。
結果、私は湯葉が乗った白つゆの「おすましきしめん」をチョイス。
湯葉の他にほうれん草、とろろ昆布、干し椎茸、そして「宮」入りの蒲鉾。
シンプルで美味しかったです!
一味はお好みで。
私は辛いもの好きですが写真の一味の量は抑えてあります(笑)
きよめ茶屋のほとりに南神池という池があって、亀が泳いでいたり鯉がいたり、仲良くしてくれるカラスもいました。
そして、ここで残念なお知らせですが、このきよめ茶屋は2020年2月16日に閉店してしまいました…(悲)
そして朗報!
令和3年秋に新しく生まれ変わるそうです!(助かる〜)
南神池へ注ぐ小川に石橋がかかっていました。
板石が25枚並んでいるから二十五丁橋と名付けられたそうです。
なんと、名古屋では最古の石橋だとか!
現在は渡ることはできません。
右の石碑は部分的に読めず(*_*)
眼鏡之碑って清水社と絡みがあるのかな?
てか土偶…気持ちはわからなくはないけど…
江戸時代から日本三大燈籠の一つとして知られている佐久間燈籠(さくまどうろう)なるものもありました。
南新宮社の御祭神は素戔嗚命です。
素戔嗚命といえば八坂神社の御祭神ですが、全国的に有名な祇園祭は、素戔嗚命が南海を旅した際に蘇民将来(人名)は粟で作った食事で厚くもてなし素戔嗚命を休ませた、というお話がキッカケになっています。
蘇民将来の優しさに心を打たれた素戔嗚命が、疫病流行の際「蘇民将来子孫也」と記した護符を持つ者は疫病より免れしめると言葉を残していきました。
その後、859年~877年京の都に疫病が流行した時に、勅を奉じて神泉苑に66本の鉾を立てて祇園の神を祭り厄災の除去を祈った…これが祇園祭の由来。
それがだんだん規模を大きくして現在に伝えられているわけです。
今こそ素戔嗚命のお力をお借りしたい時ですね…
清雪門も信長塀と同じ造りですね。
本宮の北門、通称・不開門(あかずのもん)。
天智天皇7年(668)、新羅の僧が神剣を盗み出しこの門を通ったといわれ、以来不吉の門として忌まれた、また、神剣還座の際門を閉ざして再び皇居へ遷ることのないようにしたとも伝えられている門です。
草薙剣を盗むとはとんだバチ当たりですね!
ちゃんと草薙の剣がここへ戻ってきて良かったです(*´∀`*)
熱田神宮の規模からして、情報量が多くなってしまうので今回の記事はなんとなく駆け足気味で綴ってきましたが(これでも)、やっぱりこころの小径が好きだなぁ〜という感想です。(まとめ)
あと鶏。
熱田神宮を訪れた際は本殿だけではなく是非こころの小径も歩いてみてください!(推し)
境内に鎮座する別宮の八剣宮と摂社の上知我麻神社についてはまた記事を分けて掲載しますね。
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