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広島平和記念資料館(ひろしまへいわきねんしりょうかん) 〜広島県広島市〜


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今回の記事に着手するのには、少し時間がかかりました。
日常の忙しさもあったのですが、なんとなく気が重くて文字を打つ気になれなかったのです。

日本人なら知らない人はいない、広島(と長崎)への原爆投下。

広島平和記念資料館へ行ってはみたものの、どういう文章で見たものを伝えたら良いのかと考えていました。
大袈裟に悲観的に変に飾るのも違うし、私が感じたことをそのままのテンションで書いて良いものか、…などと考えさせられるほどのことが、過去の日本で起こったのです。

結局、最終的には自分の言葉で語るより他ないし、一番伝えたいことは、「まだ行ってない方は、ぜひ行ってみて欲しい」という一文に尽きます。
ここであれこれ説明するようなことではない、と率直に思います。

2023年10月24日、この日も朝から気持ちの良い天気でした。
初日に訪れた時ほど人は並んでいなくて、すんなり入館できました。

ここからは、細かく解説をするよりも写真を見ていただいた方が早いので、コメントはポツポツ入れるだけにします。

原爆を落とされたのは、世界で唯一、日本の広島と長崎だけ。

被爆する前の広島は、港もあったことで活気のある街でした。

当時の広島は日本人以外に、捕虜を含むアメリカ人、ドイツ人、ロシア人、東南アジアや中国からの留学生なども住んでいましたが、容赦無くトルーマン大統領の承認のもと、無警告で落とされた原爆にそれらの人々も巻き込まれました。

約14万人(1945年の終わりまで)もの命が、この原爆によって奪われました。

焼け野原にポツンと立っている白い鳥居が、なんという神社の鳥居だったのか気になりましたがわからず。

原爆投下の前にアメリカで開かれた暫定委員会では、開発に携わった科学者の中で、無警告の原爆投下に反対した人もいたということです。

原爆投下を再現したプロジェクションマッピング。

原爆の熱で火災があちこちで起き、一日中燃えていた…想像するだけで絶望に満ちた地獄のような世界。

原爆の後遺症を患った青年の日記。

1文字ずつ、じっくりと読みました。

隣で啜り泣きが聞こえ、後からチラッと見てみたら外国人の方でした。
国は違っても、思うこと、抱く感情は同じだね。

この日記の主の強さに逆に心を打たれました。
自分だったらこんな風に抗っていけるだろうか…

ここへきて思ったのが、見学に来てる人の多くが外国人だったこと。
外国人の方が日本の悲惨な民間大虐殺に関心を持っているのかもしれない。日本人である私もこの歳になり今更ここを訪れた始末。
それとともに、日本人の何割がここを訪れたことがあるのだろうか…と、なんとなく日本人の原爆とその有様に対する関心の薄さ、戦争アレルギー的な風潮を感じざるを得ませんでした。
戦後の教科書では、臭いものに蓋をしてきたから。

被爆した外国人神父の日記。

あまりの恐ろしい体験に、日記を書く気にもなれなかったし、その様子も描くことができない、と。

「原爆症はうつる」と被爆者に対する差別が起こっていたようです。
日本人の性質(どこの国もそうなのか?)ってのは陰湿だなと…
新型コロナウイルス騒動でも、感染者や非接種者やマスクしない人が同じく差別されましたね。

あの日もこんな穏やかな天気の朝だったのでしょうか…

平和記念公園には、慰霊碑をはじめとする様々なモニュメントがあります。

ここからは、原爆の開発からその後の経過をたどります。

パネルの一つずつを全て、丁寧に読みました。

科学者の探究心が世の中に便利をもたらしてきたけど…

なんという恐ろしいものを世に生み出したのか。

そんな気持ちでいっぱい…

科学者というのは研究が趣味のようなものだけど、薬や兵器やっていうのは作ると試してみたくなるものだと前に何かで読みました。
当たり前の心理だけど、人が大量に死ぬようなものを作ろうというその最初の機微が私は怖い。

「アメリカとソ連の関係」のパネルに、”ヤルタ会談”のこともしっかりと書かれています。
”ヤルタ会談”を知らない日本国民はかなり多い。

アメリカの日本への原爆投下は、完全に”実験”でした。

初めから、実験のより良いデータが取れそうな広島、長崎、小倉、新潟の”市街地”を目標都市として設定。
民間人を標的としています。

最終的に新潟は目標都市から除外され、一発目は広島に投下し終えた後、二発目を小倉に投下する予定でしたが、この日、小倉上空の視界が悪く投下を断念したため、その代わりに長崎が犠牲になりました…

黒や色が濃い服は熱線の吸収率が高く、着ている服の柄などがそのまま肌に焼き付けられてしまう。
真っ黒の服を着ていた人がいたなら…

この記事の二つ目の原爆投下後の動画で、社殿はなく白い鳥居と白っぽい灯籠だけが立っていましたが、あれは白色なので熱線に耐えられたから残ったんですね。

強い兵器には強い兵器を!と兵器競争を行い続け、止めることもできなくなってる現状。
もう後戻りはできない。

現在、核弾頭を保有してる国が今更それを捨てるわけもなく、持たない国は作らせてももらえず踏みつけられるこの国取り合戦はいつまで続くのでしょうか。
現代は核弾頭の他にサイバー攻撃なども主流になってきています。
全世界が一度滅びるまで、この国取り合戦に終わりは来ないのでしょう。

実験をするなら自国でやっていただきたい。
他民族の命は実験に使っても良いという鬼畜の所業にしか思えない。

核兵器廃絶を訴えるなら、どうぞご自身の国アメリカから真っ先に廃絶して手本を見せてください。

原爆投下の二年後、アメリカのトルーマン大統領は原爆の後遺症の調査のために、原爆傷害調査委員会(ABCC)を広島と長崎に設置。
彼らは被爆者の治療をすることもなく、調査と研究をしたのみ。
まるで動物実験。

これは持論ですが、自然界にも強弱の力関係がありつつ、その中で争いながらなんとなくバランスが成り立っているように、人という生き物もまた争わずにはいられない生き物であると。
ただ、人の場合は人だけにと止まらず、自然界をも破壊するような野蛮さを含みます。
核を使用した戦争になると、”核の冬”を起こし、地球規模で動植物が育たなくなり人も飢えて死ぬ。
つまり、人という強欲な生き物の行き過ぎた争いは、自滅の可能性を常に孕んでいると言えます。(むしろ自滅した方が地球や他の生物にとっては良いのかもしれない)

戦略兵器削減条約を締結しようが、平和首長会議に加盟しようが、人の性というのは行き着くところまで行き着かなければ、自らを振り返ることができないのではないだろうか…
ただ、世界中の人々が、日本の広島へ来て原爆の惨さを少しでも知っていれば、日本人も皆この惨さを身近に感じることができたら、抑止力が働いて被害を最小限に、大難を小難にできるのかもしれない…
そんな気がしています。



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