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前回の記事。↓
境目がなく常に移ろう季節でも、暦の上では季節を分ける目印の日があります。
日本には「二十四節気(にじゅうしせっき)」という暦の分け方があり、これは、「節分」の翌日の「立春」からスタートして、1年を24等分(1区分が約15日)にして分けた季節のことです。
その区分点にはそれぞれ名前がついていて、「春分の日」は立春から数えて4つ目になります。
春分の日(しゅんぶんのひ) 春分日
同義語:春分日
意義:自然をたたえ、生物をいつくしむ。
いきなり宇宙の話をしますが、地球というのは365日かけて(4年に一度、調整のための閏年があります)太陽の周りを一周します。これを公転と言います。
太陽の周りを移動しつつ、地球自体もクルクル回っていますが、その運動を自転と言います。
太陽が東から昇り西へ沈むように見えるのはこの自転によるわけですが、毎日同じ位置から昇り同じ位置へ沈んでいるのではなく、実は日ごとに少しずつずれているんです。
なぜか?
それは地球の軸が傾いているから。
それにより、日本や他の国に季節の移ろいが生じています。
地球の軸の傾きはほぼ一定で約23.4°。
この角度のまま太陽の周りを公転しているわけですが、北半球が太陽に傾く期間は夏(太陽との距離が近くなり、日照時間が長くなる)、そこから太陽の反対側にぐる〜っと回って北半球が太陽とは反対側に傾いてる位置に来ると冬(太陽との距離が遠くなり、日照時間が短くなる)になります。
南半球は逆の状態になるので、日本が冬の時期はニュージーランドやオーストラリア、アルゼンチンなどでは反対に夏になります。
ということで、夏は陽が長く(一番日が長いのが夏至)、冬は陽が短く(一番短いのが冬至)となるわけですが、もちろんこの中間もあるわけです。
つまり、昼と夜の時間がちょうど半分ずつになる日、それが春分と秋分です。
いまいちピンとこない、という方は「春分 秋分 地球」などで画像検索して下さい。(…と、検索サイトに丸投げ)
春分(昼と夜が半々の日)、夏至(一番昼が長い日)、秋分(昼と夜が半々の日)、冬至(一番夜が長い日)、これらの日付はその年によって微妙に変わります。
春分の日は3月20日だったり3月21日だったり、秋分の日は9月22日だったり9月23日だったり。
太陽暦では一年を365日としていますが、実際には365日には少し満たない感じなので、4年に一度、調整のために2月の末日に1日プラスして29日間にします。(その年が閏年)
昔の天文学者はパソコンとか色んな機器とかないのによくそんなことを調べあげましたよね〜。(関心)
戦前の日本では、春分の日は「春季皇霊祭」という”祭日”でした。
古来からこの日は「春の訪れ」を祝う日とされていて、同時にご先祖様を敬う日でもありました。
「春季皇霊祭」として宮中で祭事が行われるようになったのは明治時代からですが、敗戦後の昭和23年(1948年)には、「自然を称え将来のために努力する日」と意味合いを変え、「春分の日」と法律で改められました。
「春分の日」の元の名前は「春季皇霊祭」。
つまり、これも戦後に名前を変えられ、宮中とは切り離された祝日の一つです。これはまたGHQが…(略)
ですが、宮中や各地の神社では今も歴代の天皇や皇族を祀る儀式が行われています。(「秋分の日」には「秋季皇霊祭」が行われます)
春分の日の過ごし方
春分の日の風習や過ごし方を調べてみました。
彼岸
「彼岸」というのは、「春分の日」を中日とした7日間を言います。
仏教では極楽浄土が西にあるという思想があります。太陽が真西に沈むこの日は、”あの世に最も近付く日”と考えられていました。
そこから、この期間を「彼岸」と名付け、お墓参りなどをするようになりました。(秋分の彼岸も同様)
これは、飛鳥時代初頭に百済(現在の朝鮮半島南西部を占めていた古代国家)から伝わった仏教が、後の宮中に影響を及ぼした、と考えられています。
また、夏至と冬至は日本では祝日にはなっていませんが、これについては理由は分かりませんでした。
ところで、プチネタですが、春のお彼岸にご先祖様にお供えする「ぼた餅」、秋のお彼岸にご先祖様にお供えする「おはぎ」ですが、これって名前が違うだけで、実はどちらも同じ食べ物なのをご存知ですか?(つぶ餡、こし餡、は好みで分かれる)
「ぼた餅」の”ぼた”は牡丹のことで、春のお彼岸の時期に咲く花。「おはぎ」の”はぎ”は萩のことで、秋のお彼岸の時期に咲く花です。
同じものなのに季節によって名称を変えるとは、なんて日本らしい感性でしょうか。
では、なぜお彼岸にこのお供えをするようになったのでしょうか。
諸説あるようですが、古くから、赤い色には魔除けの効果があると信じられていました。
そこで、赤い小豆を”邪気を払う食べ物”としていた、というのが有力な説です。
また、もち米とあんこを”合わせる”ことから、ご先祖様と自分の心を”合わせる”という意味合いをもって、ご先祖様にお供えするようになったようです。(私は粒あん派)
日本人というのは、ぼた餅のように合わせたり、おむすび(おにぎり)のように結んだり、手で作るのもに意味たせていることが多いなと感じます。
そこには故人や神仏を慕う心が込められているんですね。
神様と人、ご先祖様と人を上下にするのではなく、合わせたり結んだり。
ここにも神人共食(共に神様と同じものをいただくことで、神様と人とが一体となること)を垣間見ることができました。
このように「春分の日」は、春の訪れを喜び祝いご先祖様に感謝を捧げる、という意味合いを持って、今も私達に受け継がれているのでした。
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暦が驚くほど昔から正確なのは、ほぼ自分の居住地から動かなかった人々が「この山からこの星が昇ってきたらこの季節」という感じで星の相対位置と季節を精密に測定できたからなのです(もちろん本人たちは生活の一部として行っていただけだと思いますが)。目がよければ基本的に誰でもできる作業なので、遡ると4000年くらい前からかなり正確な暦になっていたようです。
ぼた餅とおはぎ、妙な論争を目にすることがありますが、季節によって違うということを認識していないのでしょうね。
にしてもGHQ、こんなのばかりですね…
それを気が遠くなるほど長年続けていないと「これはこうだ!」と断定できないし、一年の日数や二十四節気を「きっちり数字を把握して分ける」という作業をしてるわけですが、コンピューターも何もない時代においてこの精密さには脱帽しますよ。
人の叡智というのは、宇宙の理にも及ぶ。
ぼた餅とおはぎの中に日本の情緒というのをすごく感じて、これは日本独特だろうなと思います。
合理性を求めるだけの現代では、なかなか発想できない感性ですね。
GHQは本当に嫌い…(笑)
太古、人にとって時の流れがゆっくりしていたからできた辛抱強い積み重ねなのだと思います。「宇宙の最も大きな謎は、それが理解可能なことだ」とはアインシュタインの言葉ですが、人間の叡智が宇宙の理に挑んできた歴史にはいつも感動します。
合理性、まさに今を理解するキーワードですねえ。情緒もまた合理性では測れない大切な概念だと思います。いわんや文化をや、ですね。
同じくアインシュタインの言葉でい言えば、「空想は知識より重要である。 知識には限界がある。 想像力は世界を包み込む」ので、彼にとって宇宙とは”頭の中”にあったんだと思います。
ただし、定説というのは時代によって変化もするので、アインシュタインの出してきた答えが正解か否かはまた時を経てみないとわからない部分もありますが、アインシュタインも古人も一つのことをずっと見つめ続けたから得られた答えであり、時の流れが目まぐるしい現代に生きる現代人にはなかなか捉えられないことかな、と思います。
”時間に悠然と対峙する”ことが今は叶わず、今は古人が得たものを踏襲してるだけ。それゆえこうして物事の由来を改めて認識することが大事だと思って記事を書いています。