神社・仏閣ランキング
ポチポチしていただけると喜びます
前回の記事↓
前回に引き続き、福岡県福津市にある宮地嶽神社のご紹介。後編です。
水垣の中を一通り見た後は、拝殿の右後方から水垣の外に出て奥之宮八社巡りへと向かいました。
この位置からは本殿を拝むことができます。
……のですが、
ここでまた私は抜かりました…
宮地嶽神社本殿の屋根は、銅板が老朽化したため平成22年(2010年)に黄金のチタン板になったのです。
この時間帯に陽の当たる方(正面)から見たら、金ピカに輝く屋根を見ることができたのに、私としたことが急ぎ足のために見過ごしてしまった…!
やっぱり急ぐと重要なポイントを見逃す。(いつまで経っても活かされない教訓)
ついでに、宮地嶽神社一帯では、約300年ほど前に日本一の大きさを誇る6世紀末頃のものと推定される、横穴式石室及び巨石古墳が出土しています。
その際に、特大の太刀(タチ)や刀装具、馬具類、瑠璃壺や瑠璃玉、ガラス板など、およそ300点が発見され、そのうち20点が国宝に指定されました。
その中には龍や虎の透かし彫りが施された金銅製の冠や、同じく金銅製の鐙(足置き用の馬具)なども見つかっており、そのことから宮地嶽神社があるあたりには、かなり位の高い人物がいたことが想像できます。
宮地嶽神社では、金銅製の出土品に因んで、御遷座80年の平成22年に本殿を黄金に輝く屋根に張り替えたのです。
……ていうその屋根を私は見過ごした!!(無念)
奥之宮八社入口を入ってすぐのところにあるのは、素戔嗚尊を祀る須賀(すが)神社。
さて、ここからが奥之宮八社のエリア。
きちんとアスファルトで舗装された道路。
杖も用意してあるのでお借りして…と。
2基目の鳥居のところで道が分かれていますが、明るい右側の道へ。
鳥居の向こうに連なった朱色の鳥居が見えますね。
このパターンはたいてい稲荷神社のパターンやな。
まずはその手前、右手に一番社の七福神社。
七福神を祀る神社ですね。
七福神社の左に、七福・大黒堂が並んでいます。
こっちの方が七福神社よりも立派だな……
そのまま道なりに行くと、先ほどの朱色の鳥居群を持つ二番社・奥之宮稲荷神社に辿り着きます。
やっぱ稲荷神社のこの派手さ好きだなー。
古来より、朱(赤)には魔除けの意味があるんです。
成人式に女の子に朱の着物を着せるのもそういった理由から。
奥之宮稲荷神社は他のお社に比べてやや大きめのお社。
奥之宮稲荷神社の鳥居を上から眺めるとこんな感じ。
……あんまりアングルが良くなかったかも。
次なる三番社・不動神社は一番奥。
いやぁ、いいですね!この派手な感じ!(やっぱ派手なの好き)
下の拝殿が三番社・不動神社。
この拝殿の奥はそのまま宮地嶽古墳(日本一の大きさを誇る横穴式石室古墳)になっていて、前述した国宝を含む出土品約300点が発見された遺跡です。
このお社の奥の方にお不動様が祀られています。
八社のうち不動神社だけ社務所が構えられていました。
なんだかんだ、ここがメインってことかな。
ムム、日没が近い!(焦)
四番社の万地蔵尊(よろずじぞうそん)へは、来た道を戻るかたちになります。
お社の中に、子供の願い事は何でも(←よろず)叶えるというお地蔵さんがインしてる。
五番社は、女性の心身内外をお守りする恋の宮。
恋の宮では淡島神社の神様と、濡髪大明神の神様を共にお祀りしています。
淡島神社の神様は、今回の取材の2日目の朝に行った、佐世保の淡島神社から勧請されています。
神社の由来にある通り、女性をお守り下さる妊産婦の方にも慈悲深い神様です。
濡髪大明神という名称は初耳だったので少し調べてみたところ、京都の東山区の浄土宗総本山の知恩院にある濡髪大明神からの感情で、棲家を失った狐が偉いお坊さんにお願いして用意してもらったのが現在濡髪大明神をお祀りする祠で、狐がお坊さんの前に現れた時に濡れ姿の童子に化けていたことからその名が付いたとか。
その後、童子(に化けた狐)がお坊さんの前に現れて、お礼に知恩院を火災から守ることを誓い、お坊さんはその童子を濡髪童子と名づけ祠におまつりした…っちゅー話だそうです。
この伝承からもわかるように、本来は火災除けの神様として祀られていたこの童子(に化けた狐)がなぜ恋の宮として祀られているかというと、”「濡髪」が艶やかな女性をイメージさせる”ってことで京の祇園町の女性たちから信仰を集め、いつしか縁結びの神様になった、ということでした。(ご利益って大衆のイメージで変わるもんなのね笑)
六番社・三宝荒神。
ここの神様は、火をコントロールする霊力がある荒々しい火の神様が祀られています。
火事を避けるため、大昔は必ず竈(台所)に神様を祀る風習がありましたが、現代ではそれほどポピュラーではないでしょうね。
「三宝」とは、生活の根幹を成す水、食物を生育させる土、調理する火の水・土・火のこと。
昔の人がどれほどこれらの恵みに感謝をし、神として畏怖を抱いてきたか、こういう名残とも言えるものを見ると色々と感じる部分がありますね。
七番社・水神社の御祭神は龍神様。
この辺りには川がないので、昔の人はここから湧き出る水を大切にしていたんだそう。
雨水が地下水になり、それが今でも滾々と絶え間なく湧き出ています。
ラスト!
八番社・薬師神社。
薬師神社は、修験者が宮地嶽山中で修行を行う際、病気や怪我が無いようにと薬師如来をお祀りしたのが始まり。
奥之宮八社は仏教の神様(というか仏様か)がお祭りされてるお社がいくつかありました。
状況からして、宮地嶽神社も神仏習合の名残があることがわかります。
神社好きさんには中国由来(元はインドだけど)の仏教を否定する人もいますが、それを含む全てが日本の歴史なのでね。
なんだかんだ言ってお葬式は日本人の殆どが仏式だし、お墓参りも行くしね(笑)
あ、言うても私は神社センですが。
お寺まで深掘りしたら時間がいくらあっても足りない(笑)
二番社の奥之宮稲荷神社の前を通って、再度宮地嶽神社の拝殿に戻ってきました。
よし、予定通り日没までに間に合ったぜぃ。(ふう…)
お!
モーちゃん(右)とマーくん(左)が外に出てる!
どうやらお家へ帰る時間のようです。
またねー♪
今日もお勤めお疲れ様やでー。
さぁ、そろそろかな……
待ちに待ったこの時間……
宮地嶽神社の参道を「男坂」まで戻るっす。
その先には!
そう、こんな素敵な景色が!
でもこれはまだ序章。西の海岸、宮地浜に続く参道の直線上に夕陽が落ちる姿を見るのが目的です。
その夕陽が参道を黄金色に照らし出す様は、「光の道」と呼ばれています。
一年のうち、2月と10月の数日だけ、貴重で神々しい「光の道」が現れる。
「光の道」が現れる条件はもうひとつ。晴天であること。そうでなければ、その神秘的な姿を見ることはできません。
今回、九州旅行の日取りは仕事との兼ね合いの中で決定し、いつの時期にその「光の道」が見れるのかを私は知らず、なんならいつでも大体見れるようなものだろう(参道の直線上に陽が落ちなくても、夕陽に照らされればなんとなくそんな景色が見れると思っていた)という感覚でした。
しかーし!!私がここに訪れたタイミングが、「光の道」の出現時期にぴったりハマっており、他の地に宿泊しつつ福岡泊で宮地嶽神社を訪れることができるのはこの日だけだったのが幸いして、空模様も雲ひとつない素晴らしい晴天で、幸運すぎる状況に奇跡すら感じました。(後で知った時にね)
その「光の道」が現れるまでには今少し時間がある。
まだ誰も待機してないから今のうちにポジションキープ。
「男坂」頂上のど真ん中をね!
日没までの隙間時間、売店で買った”酔わないお神酒”で一杯やってよう。(スッキリした味わいのジンジャエールです)
「神社エール」を飲みながら、今日1日を振り返りつつ暫しの休憩だ。
少しずつ地平線に太陽が近づいてきた。
参道の先に見える黒く浮かぶものは、海を隔てた先にある相島。
これでも十分美しい!
でもまだ参道に太陽が入ってない。
もうこの頃には何枚も何枚もスマホで撮ったり、持って行ってたOLYMPUSで撮ったり、露出を調整したりで忙しかった私。(なかなか綺麗に撮れないんだよコレが。自分の拘りが強すぎて笑)
人もかなり集まってきました。
石段の最上ど真ん中を押さえてた私ナイス。
あともう少し!……
……このタイミングだーー!!!
私の中のベストショットはこの1枚!!
写真だと伝わりにくいかもしれませんが、こんな神々しい景色見たことない!!って本気で思いました。
参道の先端が金色に輝いていて、ここまで光が伸びてる。
後で聞けば、地元の方でもこれほど完璧な「光の道」にはなかなか出会えないそう。
こういう時の私の引きの強さは、自分に何かしらの能力があるんじゃないかと錯覚するほどです!多分、選ばれし者!(キラキラスピ)
太古の人は、こんな景色を見て太陽に神的存在を感じ、畏怖と感謝を感じて過ごしてきたのでしょう。
現代人だってその時代と比べたら微かかもしれないけれど、こんな景色を見たら言葉にできないような昂る感情が湧いてきて、心を動かされ、そこに特別な何かを感じるもんだ。
世間で語られる神や仏じゃなくても、人智を超えた何かを。
太陽はあっという間に地平線を象って沈んでいきました。
石段から腰をあげ、ぱらぱらと散りゆく人々の姿。
映画が終わって劇場を去り、現実に戻るような情景の中で、少しだけ余韻に浸ってみた。
このとてつもなく綺麗な景色を、いつもこのブログを読んでくださっている方々にお届けしたかったんです。
何しろ現地に行ってから記事に起こすまで半年以上かかってるようなペースなので、いかんせんタイムラグがありますが(笑)、この景色をお見せできて良かったです(^-^*)
「明日はもう帰る日か。九州の旅も楽しかったな」
なんてぼんやり思いながら、名残惜しく参道の先を眺めていました。
だんだんと夜の帷が降りてくる頃。
明朝は空港へ行くのに博多駅を利用するから、行く途中にある櫛田神社へ寄って行こう。
朝イチだから参拝者もおらず空いてるだろう。
レンタカーを返して、博多駅でお土産を仕入れて、駅前に出るとハートのポストが。
可愛かったので激写!(激ってほどでもない)
ハートに矢が刺さってて、思いが届くようにと天使が見守ってる。
下方の口は子供用のポスト。子供に優しいポスト。
このポストは、福岡市在住の博多人形師の中村信喬(しんきょう)という方のデザイン。
可愛いポストだと手紙を投函するのが楽しくなっちゃいますね。
広島県呉市のヤマトミュージアムのところにある”呉氏”のポストも好き(笑)
上からの物言い、嫌いじゃない。
そう、2023年は広島へ行ったので、また後日記事にします。(いつになるか知らんけど)
夜ご飯を食べようと一度天神あたりを彷徨いて、なんとなくパッとしなくてホテルのある川端まで戻りつつ何処かに入ろうと思い、結局中洲もスルーして明治通りをひたすら歩いたけど、この日の私をどそそるお店に出会えず。
このままじゃホテルに帰っちゃう。
中洲のど真ん中も気にならなくはなかったけど、翌朝早いし旅先ではお酒を飲まないし……云々。
最終的にホテルに激近の「博多一口にら饅頭 一優亭」さんに凸。
ここを逃したら今夜は食にあり付けない!(大袈裟)
いや、てかこんな良いお店あるなら天神まで行く必要なかったやん。なんだったの今までの時間。
「博多一口にら饅頭 一優亭」さんの名物は、その名の通りにら饅頭。
皮モンが好きな私としては、これは食べないわけにいかない。
他は、ゴマ鯖ならずゴマカンパチと大根の天ぷら(斬新!)。
全て美味しかったし、お店の方がとても気さくてホスピタリティがあって、博多っ子口調じゃないので地元民じゃないとバレたのか「どちから来たんですか!?」的な些細な会話から始まり、愉快なお話もできて楽しかった!
あちらも接客業なので「この客よ〜喋るなぁ」と思いつつ相手をしてくれたのかもしれない(笑)
いずれにしても、この日も良い1日でした!
明日はとうとう九州離脱!
その前に、先ほどの予告通り櫛田神社に参拝にあがります(゚∀゚)
人気ブログランキング
ポチポチしていただけると喜びます
この記事へのコメントはありません。