<前回の記事→ 占い師をしていた経験から思うこと 〜本編 其の壱〜>
※これから書く事は、あくまでも個人的な価値観に基づくもので、私の発言が全てに於いて必ずしも正ではありません。予めご了承ください。
今から約10年前に、ある女性に出会いました。
その女性はマヤ暦を扱う占い師でした。
同時にマヤ暦占いの先生でもありました。
「RYOちゃんはねぇ、Kin39の黒キン。太陽の紋章は青い嵐、ウェブスペルは青い手、銀河の音は13だから賢者みたいな人だね。変化変容を好み、嵐の中心にいる人。絵を描く、料理をする、何かを作るとか手を使うことがRYOちゃんにはあってるよ。黒キンはパワフルで普通の人生ではないね、あはは」
マヤ文明やマヤ暦のこと(前回の記事参照)は知ってるけど、マヤ暦で占い?
しかもなんか当たってる気がする…
そう思った私は、元来のスピ好きも相まって、途端にマヤ暦占いに興味を持ちました。
タロットとかもやっていたこともあり占いにはもちろん興味があったし、また、そういうもので困ってる人を助けられたら…という、おこがましい思い上がりもありました(笑)
そしてすぐに、その先生の元でマヤ暦占いを教わり、”占い師”として活動していた…という経歴が私にはあります。
そこで得たことについて面白い話ができたらなぁ…という事で今回のシリーズを綴っていますが、まず、知っておいていただきたいことがあります。
実は、占いというのは何でもマニュアルがあります。
また、統計学という学問から成り立ちます。
12星座占い(西洋占星術)もルーンストーンも四柱推命も姓名判断や手相、動物占い(個性心理学)も、その他もろもろの殆どの占いは誕生日を数式に当てはめて、この場合はこう!と決まるわけです。
姓名判断は画数を計算して割り出し、この数字の場合はこう!
手相もこの線がこうなってたらこう!
という”パターン”による回答が予め決まっているのです。
血液型占いは完全に統計学であって「○型はこういう傾向があるよね」っていうのをまとめたものです。
なので「占い」って言えないんじゃないかな?っていうのが持論です。
こんな風に、占いと言えども「占い師をしていた経験から思うこと 〜序章〜」でご紹介したような誓(うけい)のようなもの以外は、全てマニュアルがあるんです。
(霊視する人やヒーラーも習ったりするのが殆どです)
タロットにしても、このカードが出たらこう!という説明本がちゃんとついてますからね。
占いは基本的にはマニュアルがベースです。(ここ大事!テストに出ません!)
このマニュアルに自分の感覚をプラスすることがよくありますが、この部分が霊感の其れであり、当たる・当たらないという占いの本来の本質になるかと思います。
(逆に、本当に視えてるかどうかが疑問なところ)
何を自分にとっての真実とするか
占いを頼る場合は、何か悩みや迷いがある時が殆どだと思います。
中には興味本位、単純にその占い師が”本物かどうか”試したい、または同業者が偵察のためにコッソリ…という場合もありますが、たいては、
男性 → 仕事や金銭に関すること
女性 → 恋愛、夫婦関係に関すること
という相談が圧倒的に多いです。
特に女性の場合は、同じ悩みで幾つかの占い師をハシゴしてるパターンが多いですが、この行動にはとある深層心理が込められています。
例えば、御神籤とかで良い結果が出るまで引く人っていますよね?
アレと一緒です。
それってもう占う意味がないよ…っていやつ。
つまり、”占い師”という話を聞いてくれる人に自分が抱えてる悩みや不安を聞いてもらって、それに対して肯定的な意見が欲しい…それが深層心理にあるわけです。
「納得いく回答が得られるまで」です。
女性同士の会話にもよくある現象ですが、恋愛の相談を受けて「彼のこういうところが嫌で、前にもこんなことがあって…だからもう疲れちゃったし別れたい!」と言うので「そりゃ酷いね。じゃあ別れたら?」っていうと、
「でもさ〜、彼にはこういう良い部分があって…〜だから別れられないんだよね」
と、さっきとは裏腹なことを言ってこちらを撹乱してくるアレ!(笑)
「知らんがな」と言いたくなるアレ!(笑)
これは、「別れる気は別にないんだけど、話を聞いて欲しいだけ」という本心がそこにあり、「別れたくない」というのが本音。
だから「彼もいいとこあるじゃん。頑張んなよ(何の応援?)」と言えば相手は「やっぱりそうだよね!」と落ち着くわけです(笑)
つまり、自分の中に既に答えを持ってるんですよね。
それを肯定して欲しいだけ、という心理的欲求。
このテの悩みを相談してくる人、占いをしにくる人というのは、根本はこのような心理なので、占いで凶と出て「別れた方がいい」という結果を伝えられても、自分が望んでる答えではないので納得はしないワケです。
そして「あの占い師は全然当たらない」というレッテルを貼り、別の占い師の元へとジプシーするワケです。(俗にいう占いジプシー)
つまり、その人にとっての真実は、占いをしにきてるけど占いの結果ではなく、深層心理で”自分が望んでいる言葉”である、という事です。
占い師が有能かどうかでもなく、自分が望んでいることに太鼓判を押してくれる人がいればそれで満足で、それが”真実”となる。
逆に、自分が望んでいる言葉を言ってくれない占い師は「当たらない」という選別になります。
例えば、スピリチュアルに憧れがあり「第六感を覚醒させたい」と思ってる人にとっては、「あなたにはその世界は視えていませんね」(自分の願望に対して否定的)と言ってくる人は敵で、「あなたは視えていますね!」(自分の願望に対して肯定的)と言ってくれる人は味方とみなす、そういう行動心理と同じ。
そして以降は、後者の自分の願望に対して肯定的なことを言ってくれる人を盲信する、という構図が出来上がります。
勘の良い方はここでハッ!とお気付きかと思いますが、信者さんイッチョアガリ!となるワケです(笑)
怖いですねー。
心理学上、人って自分が理想とするものを信じたくなるんです。
良くも悪くも。
これは当たり前のことで、悪いことでも何でもありません。(と私は思います)
価値観もそれぞれ違って当然で、色んな人がいるからこの世界って成り立ってますよね。
みんなが同じ価値観でみんなが「タクシードライバーになりたい!」って思ってみんながそれを目指したら世の中タクシーだらけ(笑)
コンビニの店員さんも、ネジを製造してくれる人も、靴を修理してくれる人も、野菜を育ててくれる人もいなくなっちゃって困ります(笑)
極端で非現実的な話ですが、そういうことです。(どういうこと)
要は、多様性がこの世界を造っているので、何を信じてどう生きたっていいわけだし、誰もそれを否定する権利はないんですよね。
”真実”は人それぞれ。
でも…占い師、霊能者、スピリチュアリスト(やっぱりこの言葉嫌いだなぁ〜)、そのあたりの人達は必ずしも良い人ばかりとは限りません。
1円でもお金を取って占いや霊視をしている場合、これは”ビジネス”となりますが、やっぱりビジネスとしてやっている以上、顧客は欲しいわけです。(お金が欲しいから)
あ、ついでにいうと、それ系をお金を払って習いに行ったりするのも、同じくスピビジネスの一環です。
私的には当時は気に留めたこともなかったんですが「スピリチュアル的要素を言葉で盛り込まない理由はね (其の参)」の後半でも書いたように、霊的なものやエネルギーなものって元から身近にあるものだから、”お金を払って習いに行かなきゃ手に入れられないもの”じゃないんじゃない?って思ってます、今は。
スピビジネス関連に携わってる人は、自分でも自分の宣伝をするし、誰かに自分の良い宣伝もして欲しいですよね。(仕事だから売上げをあげるために)
また、ライバルの占い師、霊能者などに嫉妬して裏で悪い噂を流して評判を落としたい、顧客を奪いたい、などの行為に及ぶ人もいます。(実際にいました。こわわ)
「職業」としてやってるなら収入を得るのは当然のことなんだろうし、顧客(相談者)が満足してるなら別に良いと思います。
相手の望むことを言ってあげて気分良くさせてコチラ側へ引き込む、というのは実は心理学的にはとても容易なことです。
特に相手がコチラを信用してる場合なんかは。(占い師ってだけで大概は盲信します)
タチが悪いのは「あなたを助けたいから言ってるの!(通訳:お金が欲しいわけじゃないの!)」というスタンスでくる自称占い師、自称霊能者、自称スピリチュアリスト、自称ヒーラー、など。
最初はタダかもしれません。
でもアレコレ助言的なものをもらってる内にコチラも「タダじゃ悪いな…」と感じてくるし、相手も「こんなワーク(有料)をやってるから参加しない?」などというお誘いもしてきて(「断りにくい」と感じる人が殆ど)、挙句に、
「あっちの霊能者(占い師だったりヒーラーだったり)は全然視えてないし金額も高額だから、関わるのはやめた方がいい。これはあなたを救う為に言ってるの!(通訳:あんな人のとこでお金使わないで私のとこでお金使って!)」
とかって要らぬ助言をして囲い込みに入ります(笑)
これはもう最悪です。
人に指南をする立場なのに、他者を貶めようとする発言がもうアウトだし、その前に人格に問題アリですよね。
必死すぎます(笑)
だけど…
個人的には容認はしがたいけど、それでさえも相談者が納得してるなら誰かが何かを言う権利も必要もないし、相談者にとっては唯一頼れる偉大な存在なのかもしれません。
結局、何を自分にとって真実とするかは、その人の願望次第だから。
私がそういう業界に入って、実際にこの人は視えてるなって誰が見てもそう思える人は、相手からはお金は1円も取らず、ただただ自分のところにきた話を献身的に聞いて、出来る限りのことをして、本気で相手を心配をして、そして自分が疲れちゃって…みたいな人でした。
本当に視える人に限って、お金を取らないんだなぁ…と感じました。
もし守護霊や神仏と会話ができるのだとしたら、「誰かを貶めてまでお金を稼いでいいよ」って言う守護霊や神仏がどこにいるでしょうか?
きっとそんなのいないし、金銭欲に溺れることほど馬鹿げたことはない、と分かってる故なのかもしれません。
たくさんの人に会ってきましたが、本当に視えてたのは2人ぐらいかな。
たったの2人です。
相手の未来や、関わってる人間、亡くなる時期と亡くなり方までわかる、なんて人がいました。
歩くアガスティアの葉!(今このあだ名を付けました)
超ヤバイです。
分かりすぎちゃうからこそ、やっぱり人の中にいるのが大変そうでした…
大半の占い師は、勉強したことをマニュアルに沿ってやってる、という場合が殆どであって、霊感的なものを使えてる人って実はそんなにいない、と私は感じています。
(霊感使ってる風な人はいっぱいいます)
忘れないで欲しいのが、人間は、人生は…人生の岐路に迷った時も、占いが全てではない、という部分です。
人をマニュアルによる占いで推し測ることなんてできません。
また、その枠に囚われて相手の個性をも蔑ろにしてはいけません。(B型だからこう、O型だからこう、とかね)
自分自身も然り。
また、霊視してもらったとしても、それが本当かどうかなんて証明のしようがありません。
自分にとっての真実は、常に自分の心を覗けばそこにある。
そんなもんだと思います。
自分がどうしたいかなんて、本当はみんな元から知ってるはずなんですよね。
それ以上のことは本当に”視える”人でなければ分からないし、それすらも真実かどうかを決めるのは、自分自身に委ねられています。
<其の参へ続く>
お題が根深すぎてサラッといけなので、やっぱり記事を分けて書くことにしました(笑)
こんなお題にしなきゃよかった〜…
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