四国地方

松山城(まつやまじょう) 〜愛媛県松山市〜 後編


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また暫く間が空きましたが、前回の続き。

よしあきくん

ユルいな〜、よしあきくん。
あ、よしあきくんは松山城の公式キャラで、初代城主の加藤嘉明に因んで名付けられています。

このよしあきくんがいる松前城の本丸があった本丸広場から、いよいよ入城!
この要塞の向こうに敵が……!

小天守(有形文化財)

と、攻め入ってみたものの、目の前に立ちはだかる小天守
これは侵入するのが難しそうだ。

ならばこの路地を……と分け入ってみれば行き止まり!

かと思ったらこの右奥に一ノ門がありました。既に迷路のように入り組んでいて、要塞感しかない!
松山城は、中庭を配置して天守・小天守・櫓を四方に造り、それぞれを渡櫓でつなぐ連立式天守という造りになっています。
姫路城も同じ造りで、”天守防衛の究極の姿”と言われているそうです。(かっこいい!)

上の写真で正面に聳えるのは、現存12天守の一つとなっている重要文化財大天守
元はもう少し大きな天守だったようですが、4代目松山藩主が建て替えた際に、謙虚な姿勢を見せるようにこじんまりとさせたそうです。

一ノ門

城へ侵入するには、まず潜らねばなるまい重要文化財一ノ門

写真では伝わりにくいけど、1786年制の門扉の蝶番がかなり大きくてイカつかったです。

ニノ門も同じく重要文化財
撮ってない(笑)

「本壇」とは、城の中枢区域のこと。
他のお城では「本壇」という単語は使わないようです。

天守(東側から)

よじ登れそうな天守
でも怒られそうなのでやめておきます!

一ノ門ニノ門ときたら次は三ノ門です。
やっぱりまた撮ってない!(笑)
ついでに、三ノ門の次の筋鉄門の手前の筋鉄門東塀も撮っていません、全部重要文化財なのにどこ見てたんだ自分。

代わりによくわからないところから撮ったこんなのはありました。↑
どこコレ?

筋鉄門を抜けると本壇の中庭。

中庭

右に見切れてるのが筋鉄門の端っこ(笑)
左奥の屋根のあるところが玄関です。

玄関玄関多聞櫓有形文化財です。

玄関の瓦に目を向けると、鬼瓦に徳川家の三つ葉葵(みつばあおい)が入っています。
城主は秀吉の家臣、”賤ヶ岳の七本槍(しずがたけのしちほんやり)”の1人、加藤嘉明(かとうよしあき)くんじゃないの?と思うのですが、調べたところ、江戸時代に松山城主となった久松松平家が徳川家から家紋の使用を許可されており、現在の天守は1784年の落雷で焼失したものを久松松平家時代の1852年に再建したものであることがわかりました。つまり、再建時に徳川の三つ葉葵紋入りの瓦を備え付けた、ということになります。

玄関の右にある門は内門で、こちらも有形文化財です。
玄関の奥の屋根の部分は、同じく有形文化財北隅櫓

はい、そして南隅櫓十間廊下は撮っていません!(笑)
さっきの北隅櫓南隅櫓を繋ぐのが十間廊下ね!わかるよね!?
これらも有形文化財

天守への入り口は、この穴蔵(重要文化財)と呼ばれるところから入ります。

穴蔵(重要文化財)

地上だけど天守の”地下一階”にあたる部分で、元は米や穀物などの貯蔵庫に使われていましたが、現在は天守の入り口として使われています。
本来の入り口は、先ほどの三つ葉葵が付いていた玄関です。

では突入〜〜!!

天守に入ってまずお迎えしてくれるのは、初代城主よしあきくん(加藤嘉明)の鎧兜!
何やら空気抵抗がありそうな四角い兜鉢に雉の尾(と思われる)を左右から生やしています。
この兜鉢は微妙だけど、雉の尾はポイント高め。

よしあきくんは他にもいくつかの兜を使っていて、イカ耳みたいな兜鉢のものもあるんだけど、それは富士山をイメージして作ったらしい。(でも見た目イカなんだよなぁ)

次に展示されていたのは、松平定行の鎧兜。
彼は3代目城主。

やっぱり鎧は赤備えが好きだなぁ。
陣羽織も猩猩緋のが好き。小早川秀秋のとか。

当時使われていた火縄銃。
手に取って、その重さなどを体感することができます。

こちらは松平定長の鎧(と伝えられる)。
兜の形や前立てが五月人形の其れですね!兜のデフォ!

松平定長は城主としては5代目になりますが、江戸時代の伊予松山藩主としては3代目になります。
城主と藩主の代が一致しないこともあるので、この辺は少しややこしい。

次は4代目藩主の松平定直の鎧兜。

兜がだんだんシンプルになってきましたね。
青緑色というか青銅色?なのが妙にかっこいいです。センスあり。

この4代目藩主に松平定直が擁立されたのにはエピソードがあります。
3代目藩主松平定長は、病で突然亡くなってしまいます。ところが定長には跡継ぎがいませんでした。
当時は、跡継ぎがいないとなると藩の取り潰しとなってしまうのが常。
そこで親族は、幕府には定長が死んだと報告せず生きてることにして、その間に親戚から年齢とか健康面とかちょうどいい感じの跡継ぎを探しを開始します。
そこで、この松平家の分家となる今治藩の松平定直に白羽の矢が当たりました。
これに「ちょっと待った」をかけたのが、亡くなった定長の兄貴、定盛
実は定盛は、父親の定頼が亡くなる直前に「いやぁ、定盛は病弱だからちょっと跡を継がせられないわ、弟の定長にするわ」と廃嫡(はいちゃく。後継者の権利を剥奪される)された身分。
定長が1674年2月に亡くなって、藩で後継者探しをしてる時に、定盛とその擁護派は「俺いんのにナンデ!?俺でいいじゃん!」と憤慨し、幕府に対して「定長なんてもう死んでるから!あいつら嘘ついてるから!」という怪文書を送りました。
「しめしめ……これであーなってこーなってムフフだぜ……」と余裕をこいていた定盛一派の思惑とは反して、それを知った幕府は「マジか……でも定盛って体弱いから親父に廃嫡されてるわけだし、不謹慎な話、定盛がすぐ星になっちゃったらやっぱりお家取り潰しになっちゃうよね?それって忍びないよね」という意見で固まり、なんと幕府はその怪文書をデマってことにして闇に葬ったのでした。
そして松山藩は無事に定直を擁立。

……結果的にこれが後にナイスな決断だったとわかります。
定長が亡くなった同年の9月、怪文書ニキの定盛が突如病死してしまうのでした。
4代目藩主になった定直は、これまでラダけていた藩内の学問の向上や財政改革を行い是正したナイスな藩主となって、「松山藩の中興の祖」と呼ばれるようになったのでした。

それにしても、兄貴の定盛は廃嫡されてから引きこもりのような生活をしてたというので、なんとも不憫にも感じますね。
どんな気持ちで日々過ごしていたんだろーか。

この幻獣の前立てかっこいい!
鯱鉾とかもそうだけど、当時の日本人の空想癖というか、かっこよくて強そうなやつ作りたい!みたいな感性いいですよね。
現代人より発想が自由かもしれない。

長持

上の徳川家の三つ葉葵紋と久松松平家の星梅鉢(ほしうめばち)紋が入っている長持は、徳川家から松平家に嫁いだ姫君が、嫁入り道具を入れて持ってきた箱。
ちなみに、この星梅鉢紋菅原道真と同じ家紋で、実は久松松平家の遠祖は菅原道真公なのでした。

なんか色々展示してあるけど、私が一番気に入ったのはこれ。↓

天守再建当時(江戸時代)の大工が板張りに描いた侍の似顔絵

タッチに絵心を感じます。
きっと書かれた人に似てるんだろうな(笑)

天守鯱雛形

天守の鯱鉾どんなのがいい?と悩んだ末、京都から取り寄せたこの鯱鉾の模型を元に作成したそうです。

松山城天守の2階にやってきました。

天守2階 南 松山城三之丸跡

上の写真の右側半分を占める緑の空間は、三之丸があった跡地。
ここへ来る直前に、参拝に行っていた八股榎お袖大明神も見えます。(幅広の道路沿いの場所)
お袖狸さんは、今もあそこからこちらを眺めているのでしょうか。

天守2階 南東

本丸広場は2階からでも十分な絶景ですね。

天守2階 東

本壇に入ってすぐの一ノ門二ノ門
ここからなら侵入した敵を確実に仕留められそう。

小天守の屋根(左)と南隅櫓の屋根(右奥)。
どちらも屋根に鯱鉾が守っています。

天守2階 南西

松山城のTop of 天守、3階に到着。
絶景かな、絶景かな!

松山城は三重三階地下一階で、お城の高さとしてはそれほど高くはないですが、何しろ山の上に建っているので、ここからのパノラマの景色は壮観であります。

まずは北側の眺め。

天守3階 北

北の方角に確認できる3箇所のグラウンドは、手前から松山大学薬学部、その奥が松山市立勝山中学校、そしてその奥が松山大学御幸キャンパス。
今回は寄りませんでしたが、更にその奥に「日露友好のかけ橋」として、日露戦争で捕虜となったロシア兵の墓地があります。
いくつかの会が、会ったこともない、名前すら知らないこのお墓の主たちに日頃お花を手向けていると知って、とても心が温まるなぁと思うのと相対的に、昨今自分の祖父母のお墓がどこにあるかさえ分かららない、という人が増えてることを何となく憂慮してしまいます。
いずれ誰もお花を手向けなくなっちゃうのかな…

天守3階 東

東の風景に収まる櫓は艮(うしとら)門東続櫓
艮(丑寅=東北)は鬼門にあたるので、神社仏閣同様に厄除けとしてお城にも門が備わっていたります。
とはいえ、艮門東続櫓は東北っていうよりほぼ東……ゴホゴホッ

そして松山城の一番の見どころはこれ!

天守3階 南

天守から眺める本丸広場の景色!
春には桜が咲き乱れ、それはそれは美しい景色を目にすることができるでしょうね。

西の方面は瀬戸内海と、海に浮かぶ興居島(ごごしま)がエモい。

天守3階 西

上の写真で右側に写っているのが興居島(ごごしま)で、興居島のとんがった山は「小富士」。
「伊予小富士」とも呼ばれています。

天守から降りて、そろそろガイドさんともお別れの時間です。

帰り道の見物はこちらの天神櫓
”天神”とは、言わずと知れた、太宰府天満宮で祀られている菅原道真のことです。
上述した展示物の長持のところで書きましたが、久松松平家は菅原道真の遠祖ということで、この櫓の中には天神像があり、菅原道真を祀っていました。
それだけではなく、造りも寺社っぽい建築様式にしてきっちりと東北に建てていることから、完全に鬼門封じを菅原道真にお願いしてたことが伺えます。

”最後は火除けのおまじない”について。
火事はいつの時代も怖いものですが、お城にとっても火災はもう現代みたいに消防車とかもないし放水もできないから致命的なものでした。
特に江戸時代における江戸は、「火災都市」と呼ばれるほど火災が頻発していました。
そのため、建物にさまざまな火除けのおまじないをするようになります。

上の写真で、破風の拝みの真下に六角形に見える黒いものがあるのが確認できますが、これは実はただの飾りではないのです。
松山城の公式HPにわかりやすい画像と説明があったので、手抜きしてそのままお借りして掲載します。


このように、ひとつの部品に複数のおまじないが隠れているのです。
猪の目なんかは、神社などでもよく目にすることができます。
道内で有名なのは美瑛神社ですね。
社額の真上の♡に始まり、社殿のあちこちに散りばめられていて、いつしか”恋愛成就のご利益がある!”とか謳われるようになり、道内外から来る女の子たちの参拝者で人気を博しました。(現在はどうなってるかな?)

ではそろそろ松山城の城下へ戻るとしますか……

いや、その前に、これだけはマストで賞味しなければと、本丸広場に来た時に決めていた案件が!
それは、本丸広場にある城山荘売店で食べられる、愛媛名物「伊予柑ミルク氷」です!

伊予柑ミルク氷

その名の通り、伊予柑の果肉乗せミルク掛けのかき氷ですー。
暑かったし結構歩いて疲れたので沁みるぅー!

かき氷は他にも種類がありますよ。

せっかくだから(何の?)……と、色とりどりのお団子がかわいい「お団子セット」(梅茶と坊っちゃん団子)もオーダー。

お団子セット

欲張って「まつやま城だんご」の味噌味も注文しました。
甘辛の味噌で、御幣餅みたいな味わいかな?

まつやま城だんご

団子の比率……
まあお昼ご飯はまだ食べてなかったのでご飯がわりに。
どれも美味しかったです!
上記以外にも、うどんとか鯛めしとかその他のお食事系も食べられるし、お土産品コーナーもありますので、松山城へ行った際にはぜひ城山荘売店へもお立ち寄りくださいねー!(斡旋)

松山城での御城印は……

こちらのキラキラバージョンにしました!!(御城印も城山荘売店でいただけます)
そして今気付いたけど、日付入ってなかった……



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