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広島最終日、広島市から呉市まで移動をし、呉市の総氏神・亀山神社に参拝後、旧呉造船所(呉海軍工廠)があった場所へトランクを引きずりながら歩いてきました。

そうです、目的はもちろん「大和ミュージアム」(呉市海事歴史科学館)!
…の前に、憧れの彼の方に出会した!

呉氏〜〜!(笑)
もう出会ったら絶対に写真を撮って帰ることが自分に課したノルマだったので、達成したから帰ります!
嘘です!

四角い呉氏をそのまま四角いポストに!
全く違和感ないっす。
「手紙を入れてクレ!」



大和に乗船してる呉氏、郵便局のスクーターに乗ってる呉氏、潜水艦に乗ってる呉氏。
どれも男らしくて素敵だ!
呉市の公式HPサイトの「呉氏の部屋」から、呉氏の情報を抜粋。
呉氏
呉市を徹底的にアピールするためだけに生まれてきたキャラクター。顔が、名前が、そのまま市名になっている。背中にも読みの「クレ」を背負って、しつこいくらい「呉」をアピール。
性格:瀬戸内海のように穏やかで「クレ」バーな一方で、何にでもすぐに熱中する良い意味での熱い「クレ」イジーさも併せ持っている。「クレ」ームには弱いとか…
性別:男の子
呉々もクレームは入れないであげてクレ!
ていうか、男らしいとか言っちゃったけど男の子なんですね。


呉だけに夕暮れではなく「夕呉クルーズ」。ダジャレの街呉市。嫌いじゃない。
船で沖まで出て、軍港と戦艦を外側から眺められるやつ…これ乗りたかったけど、17時はちょうど飛行機の出発時刻……無念。
ヤケで顔はめパネルで写真を撮りたかったけど、1人なのでそれは叶わず悶々。
ん?顔はめパネルのあっち側にあるのは…?

潜水艦!か!?…も見えてるけどその手前!
大砲?

大正9年(1920)に進水した戦艦「陸奥(むつ)」の41センチ主砲身!
すごいサイズ感!
長さは18mほど。

この世界最大の砲身(当時)を実装した「陸奥」ですが、残念ながら昭和18年(1943)、火薬庫での原因不明の爆発によって”爆沈”してしまいます。
「陸奥」には総員1471人が乗船していましたが、そのうち1121人が死亡し、生存者はわずか350人しかいませんでした。

世界で「ビッグ7」に数えられた最強クラスである日本の主力戦艦の「陸奥」ですが、造船中は他国から「日本には強い船を造らせたくない!なんか腹立つから!」という意図で、造船の邪魔をされることがあったようです。
ではその「陸奥」の実力は如何程だったのか?
「陸奥」は大東亜戦争ではミッドウェー海戦に参加予定で、それまで温存されていました。
時を待って停泊していた「陸奥」は、結局出航することなく周防大島伊保田沖で爆沈。
「陸奥」の最後がまさかそんな終わり方だとは…
全然ポテンシャル発揮できてないじゃないですか!

あっ、この棒持ったおじさん知ってるわ!
海の師匠っすよね!

って、気が付いたら大和ミュージアムに到着していました。

というかさっきから私が彷徨っていた場所は、既に大和ミュージアムの敷地内でした(笑)
入館料を支払い、いざ!

大和ミュージアム公式スタンプがありました。
入船山記念館には別のバージョンがあるようです。
が、現在もあるのかはわかりません。(何しろ2023年の旅行記ですので汗)
さあ出ました!
戦艦「大和」!!

戦艦「大和」
1/10スケールですが、コレでも結構大きい!
この10倍の長さと考えたら、かなり巨大だったことがわかります。
昭和16(1941)年12月において、世界最大の戦艦!

当時の日本は、世界が羨み造船の邪魔をしたくなるような、こんな巨大戦艦を造る技術があったんです。
戦う船なのでネガティブなイメージを抱く方もいるかもしれませんが、同時に国の護りでもある。これは誇らしいことだと私は思います。

舳先には菊花紋章を携えています。
戦艦「大和」には艦内神社があって、祀られているのは奈良県天理市にある大和神社から勧請した日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)です。
大和神社の境内には、戦艦大和展示室というのがあるそうで縁が深いことがわかります。
ただ、日本大国魂大神を祀った理由ですが、戦艦「大和」と同じ社名だから勧請した、大和神社の社名を戦艦に名付けたから勧請した、どちらの説もあるようで正解がわかりません。
私は勝手に勘違いをして、「大和」には天照大御神を祀っているのだと思ってたのですが、正しくは日本大国魂大神でした。
この日本大国魂大神は天照大御神と”同一”ではなく”同格”の神とされ、大国主命の別名ともされています。
ざっと検索しただけでも20個以上の異名を持つ大国主命、ちょっと謎な神様なんですよねぇ。それはまた別の機会に考察したいと思います。
外からの光でなかなか綺麗に撮れなくて、色んな角度から撮影して試しています(汗)

このアングルも悪くない。

戦艦「大和」の主砲は45口径で、これも世界最大の艦砲です。
しかも3連装砲なので、本来の攻撃力はめちゃあるわけです。
まさに日本の守護神!…と、当時の人は思ったでしょうね。

この副砲の数も凄い!!
ここだけみてると無敵としか思えないですね。

船尾には旭日旗が掲げられています。
旭日旗と聞くと戦争をイメージしてガー!っていう人達もいますね。
確かに軍旗的に用いられた・用いられることもありますが、本来、太陽が光を放つ姿を表している縁起の良いものとして古くから大漁旗、出産や節句等の祝い旗として使用されてきたものです。
日本の歴史を知らないと間違った認識を植え付けられるので、自ら知識を蓄えることが大切ですよね。
ちなみに余談ですが、某新聞社が自分たちの社旗をコレにしていたことに、私は凄い矛盾を感じるのですが…(苦笑)

後ろからも撮影。

スクリュープロペラが黄金に輝いてますね!
付いてる位置は違うけど、このプロペラがプロペラ機を彷彿させることによって「宇宙戦艦大和」は生まれたのかな、とか想像してしまいます。

よく見ると零式観測機を積んでいました。
飛行機も積めるようになってたんですね。

あまりわからないけど、色々な装備が備わってるのはわかる…

戦艦「大和」を狙うアメリカ軍戦闘機の視点。
「こんな真正面からじゃだめだ!」

「この角度ならイケるか!?」
とか妄想の時間。
世界最大の戦艦「大和」は、沖縄へ向けて出撃中に敵から集中攻撃を受けて沈没してしまいます。
鹿児島県坊ノ岬沖90海里(1海里は1,852m)の地点でアメリカ軍の攻撃を受け船上で火災が起こり、敵機の多さに消火が間に合わず、そのうち弾薬後が大爆発を起こし船体が3つに折れて沈没。
その時の火柱は遥か遠くの鹿児島からも見えたそうです。
沈没までの時間は約2時間。
無数の敵機と魚雷の数の前ではどんな戦艦でも太刀打ちできなかったかもしれませんが、敗因のひとつとしては、”巨大すぎた”ということも指摘されています。
小回りがきかないことで攻撃を受けやすいこと、更に小型艦の艦長や司令官として経験を積んだ有賀艦長が、世界最大の「大和」の操縦に慣れていなかった(燃料に余裕がなく訓練が殆どできなかった)ことも挙げられています。

名前を控えてなかったですが、「零式水上偵察機11型乙」です、多分…

山本五十六といえば「やってみせ…」から始まる名言が有名ですが、私もその昔、勤めていたところの社長に教わって来、仕事上で人を育てる時にはこの言葉を意識してきました。
やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
哲学ですねぇ。

主砲の内部。
ていうか、船の壁ってこんなに何層にもなってるんですね!
浮力を生むために、こうして空気を溜め込んでるのでしょうか?

こちらは呉に持ってきて竣工させた「武蔵」の模型。
造船所が凄い!模型ではなく恐らく古い写真に色を付けたものを貼ってるんだろうけど、お陰でリアリティが増してますね!

窓際にあるこのピンクのは?と思ったら、これは大型コンテナ船「ONE」でした。
これは私も初めて知ったのですが、2018年4月に日本郵船、商船三井、川崎汽船の日本の3社の船会社それぞれが持つ定期コンテナ船の事業を統合して開業した「Ocean Network Express(オーシャンネットワークエクスプレス)」というコンテナ船会社のものです。
この3社が一部が統合っていうのも凄いんですが、やっぱりこの目を惹く色!
「世界のどの会社とも違う色」として選択されたマゼンダカラーが攻めててカッコいい!

コンテナ船では世界第3位だそうです!
大きさが3位なのか、利益などが3位なのかよくわかんないけど、3位だそうです!
拠点はシンガポールだそうで、この日、港に停泊している「ONE」を見れたのはラッキーでした。
きっと船ファンの方は見たいやつでしょうからねぇ〜。

後でちょっと近くに行って見てみるか。

次は呉の歴史コーナー。

続きはまた次回に!
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