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四国・愛媛シリーズ2日目の最後に訪れたのは、「坂の上の雲ミュージアム」……

ではなく、松山城です。
司馬遼太郎ファン、特に「坂の上の雲」ファンとしては、「坂の上の雲ミュージアム」もぜひ立ち寄って秋山兄弟が住んだ家宅を見たかったのですが、今回は松山城を優先しました。
時間があったら後で寄ろう!とも思っていたのですが、いつもの如く一箇所をじっくり見てしまう性分で、市街地に戻ってくる頃には時間も微妙だし結構疲れてしまったし…で次回に持ち越し。

松山城の堀端にある八股榎お袖大明神(やつまたえのきおそでだいみょうじん)を離脱して北に向い、道なりに右へ曲がって大街道を少し歩くと、右手に札幌でいう狸小路商店街みたいにアーケードのある大街道商店街があります。が、そちらは夜にうろちょろするとして今は左手にある松山ロープウェー商店街に入ります。
商店街というだけあっていろんな誘惑が私を惑わせます。
ふと目に止まった10FACTORYさん……呼ばれてる気がする……

10FACTORYさんは、愛媛産の様々なみかんを扱った製品の専門店です。
みかんジュースは他でも飲んだので、ここはジェラートをば。
チョイスしたお味は、不知火とか温州とかポンカンとか伊予柑ではなく、敢えての「黒胡麻と果肉」。
みかんジュースの飲み比べもでき、他にはみかんビールやみかんハイボールなどもあり、製品はジャムやドライフルーツなど多くのものが売られていました。
別の記事でご紹介しますが、こちらで購入したみかんフレーバーコーヒーもなかなか美味しかったです。

ジェラートを食べ歩きしながらブラブラ歩いてるうちに、松山城ロープウェイのりばに到着。
松山城主のよしあきくんがお出迎え。
よしあきくん(加藤嘉明)は、1583年の賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉軍の勝利に貢献した賤ヶ岳の七本槍(しずがたけのしちほんやり)の1人で、他のメンバーは広島城主にもなったことがある福島正則、築城名人の加藤清正、片桐且元、脇坂安治、平野長泰、糟屋武則の7人の若武者です。
あっ、表記が商店街は”ロープウェー”で、乗り場は”ロープウェイ”なのが気になりましたね!
どうでもいいんですけど。

松山城の天守に飾られていた鯱(しゃちほこ)。
鯱にも阿吽があったんですね!知らなかった。

鯱は、顔が龍+虎で背中に棘をもつ想像上の海獣で、防火に効果ありとして用いられてたんですって。
それも知らなかった。ただの当時のブーム的な装飾だと思ってました。

これはどこかに展示されていたものなんでしょうか?
「吾輩は猫である」は、言わずもがな夏目漱石の小説のタイトル。
「眺望絶佳な別天地猫」、基、「眺望絶佳な別天地」は夏目漱石が愛媛に赴任してきた先に、友人の正岡子規にあてた手紙の中で、自分の下宿先である愛末亭がえらく気に入ってこのように表現していたそう。
なぜ”猫”と付けられているのかですが、調べたところによると、その愛松亭の敷地内にふくよかな猫が暮らしていたそうです。
……ということを踏まえて、この大きな招き猫を見てみるとふくよかに見える……その猫を表現したものなのでしょうかね?
右にあるパネルは、左は夏目漱石、右は正岡子規、センターは多分日露戦争の際に海軍の参謀として大活躍した秋山真之でしょうかね。(こんな顔だったかな?)
3人は仲良しグループでした。

とかダベりながら既にロープウェイに乗車中。

約3分で松山城の手前の長者ヶ平駅に到着。
天気が良くて9月だけどまあまあ暑かった!

そのままピャ〜ッと松山城を見物しに行ってもいいんですが、ガイドの方がおられるのでせっかくだからお願いしました。
こういう場所ではガイドの方がいたらなるべくお願いするようにしています。
お城の造りとか、あまり知られてないネタとか、それ以外の情報などもその場を散策しながら教えてくれるので、闇雲に歩くよりも断然入ってくる知識量が違います。
質問にも答えていただけるし、ガイドさんの存在は大変有り難いです。
今回は福岡から旅行に来ていたご夫妻と一緒のグループで(といってもご夫婦と私の2組のみ)、私は前年に福岡へも行っていたので、福岡ネタで少しお話も盛り上がりました。

なだらかな坂ですが、結構長いのでジワジワ乳酸溜まる。

石垣出現。


この石垣は松山城では最大の高さのもので、17mもあるそうです。(こりゃ侵入できんわ)
パズルみたいに隙間なくきっちり積んでるの凄いですよね。
確認しにくいのですが、飛び出している部分(出角部分)の中腹の石の積み方ですが、長方体の石の長辺と短辺を交互に重ね合わせることで強度を増す算木積(さんきづみ)という技術を用いています。

上の写真、真ん中の石垣の奥手が大手門跡で、松山城の西に位置する門です。
私たちは手前の坂道を行きます。

正面に見えるのは太鼓櫓。

お気づきの方がいるかもしれませんが、お城には”白いお城”と”黒いお城”があって、松山城は”黒いお城”です。
”黒いお城”は、板張りの壁が雨風などで朽ちないように耐久性を高めるため、黒漆(くろうるし)や柿渋(かきしぶ)などを塗っているので黒っぽくなります。(「黒い下見板張り」)
”白いお城”は、「白漆喰総塗籠(しろしっくいそうぬりごめ)」と言って、石灰を用いた白漆喰(しろしっくい)を塗ったくるのですが、それが防火材としての役割を果たします。
知恵ですよねぇ。
関ヶ原の戦い(1600年)を境に、以前は”黒いお城”が多く、以降は”白いお城”が多くなります。


この上の写真ですが、ここには当時中ノ門があって、その先へ進むとなんと行き止まりという、敵を欺くための仕掛けがありました。
この袋小路に入ったが最後、まさに袋の鼠状態です。
残念ながらその中ノ門は、明治時代に取り壊されてしまいました。


中ノ門をやり過ごし、Uターンしたその先には戸無門あって、こちらは重要文化財になっています。

戸無門を抜けるとすぐ左に折れる経路になっていて、その先にあるのが筒井門。

ここにも要塞としての仕掛けがあります。

説明書きの写真がちゃんと撮れてなくて大変読みにくいと思いますが、実はこの筒井門の右側の石垣の陰にもう1つ、隠門という小さめの門があるのです。


敵が筒井門から押し攻めてきた時に、石垣の陰に隠れた隠門から出て敵の背後を狙うっていう寸法です。
あの手この手でなんとしても城を守り抜こうとする工夫があちこちに散りばめられていて、要塞の機能が満載!

こちらの筒井門の扉にあるこの大きな丸い金物は「乳鋲(ちびょう)」(見たまんまの名前…)といって、この扉の裏にある取り付けている閂(かんぬき)を支える釘を隠すもの。
お城に限らず、神社仏閣でも眼にすることができます。

そしてこの扉、楠の一枚板だそうで、この幅だとかなりの樹齢なんじゃないですかね!?
今取り付けられているのは、昭和45年の再建時のもの、とのこと。

板が100万、工事費全額で3,000万!
今ならもっと高いですね(汗)

この場所からは、松山城の南に位置する松山市の中心部を眺めることができます。
筒井門を過ぎて北西方面に道なりに進んだ先にあるのは太鼓門。
下の右側の写真、太鼓門に備えてあるただの柱ではあるのですが、よーく柱の表面を見てください。
一見、斑点のように汚れがついてるように見えるかもしれませんが、実はボコボコしてるのがわかりますか?
これは「釿(ちょうな)仕上げ」と言って、クワのような道具を使って手彫りした跡なのです。
木の表情に風情を感じる伝統技術で、同時に一箇所に水が溜まりにくい設計になっていて腐食を抑える効果もあるようです。
太鼓門は戦火で焼け、1972年に復元されましたが、この技術を完璧に再現した大工さんって本当に凄いですよね!


太鼓門はお城の正門で、本丸を守る非常に重要な門です。
ここを敵に突破されたら一気に大勢が変わってしまいかねないので、どうしても通すわけにいかない!
そのため、石垣の上に左から太鼓櫓、渡塀、太鼓門、南北続櫓、巽(たつみ)櫓を一直線に並べ、それぞれの構造物に「狭間(さま)」や「石落とし」を配置して、幾重にも挑んでくる敵をぶっ潰す機能がふんだんに盛り込まれています。
太鼓櫓から巽櫓までは約24m。太鼓櫓の眼下には前述した中ノ門(明治時代に取り壊された)があり、トリックにハマってここまできてしまった敵を殲滅させるという、まさに鉄壁の構造物なのです。

そんな恐ろしい太鼓門を潜り抜けるとこんな長閑な風景。
この場所に本丸がありました。奥に見えるのは天守です。

公園というだけあって、茶屋兼お土産屋さんがありますが、その手前に井戸があることに気付きました。

調べていてハッと気付かされたのですが、こんな標高(132m)の場所に井戸って不思議ですよね!?
谷底にあった泉を囲むようにして石を積み上げ造ったと伝えられているようですが、こんな高さ…いや深さまで掘れるの?
井戸の直径は2mで、深さは44.2m。
どうやらこれが当時の技術では掘れない深さだといわれてるようで、じゃあいつ誰がどうやって?と疑問が残ります。
尚、二之丸へ続く抜け穴がある説がありますが、これは調査で否定されました。

しっかり綺麗に手入れされた本丸広場の松の木。
こういう仕事が、天守から眼下を眺めた時の景色に色を添えますね。

上の写真は本丸広場から西の風景。
正面に見える緑の塊は、頂上に松山展望公園がある大峰ケ台(おおみねがだい)という山です。
そこからは、この松山城や瀬戸内を一望できる名所となっています。
特に、夜にはライトアップされた松山城も夜景が眺められるとのことで、時間があれば行ってみたかったですね。

本丸広場から北西の方角には、瀬戸内の島、興居島に聳える伊予小富士(いよこふじ)も見えます。

よしあきくんと撮影もできます。(ノーギャラ)
本丸広場の土台となっている石垣に注目。


よく見ると、”一つ鱗”や”丸に一つ石”、”卍”、”三つ星”などの刻印を確認することができます。
これは石垣造りに携わったチームそれぞれの刻印で、どこのチームがどの部分をやったかわかるための目印です。


下の写真でグリーンのシートが被せられている部分は、2024年7月12日に豪雨の影響による土砂災害で石垣が崩れてしまったところ。
私が訪れたのはその約一月半後で、復旧作業もあまり進んでいない時期でした。

ではいよいよ松山城に攻め入りますぞ!!

と、いったところで後編へ続く〜!
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