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前回の波上宮に続き、同じく那覇市にある琉球八社の2社目、沖宮を紹介します。
御朱印はコチラ→ 御朱印 沖宮(おきのぐう)
『沖宮(おきのぐう)』
所在地 沖縄県那覇市奥武山町44番地
御祭神 天受久女龍宮王御神(てんじゅくめりゅうぐうおうおんかみ)[天照大御神]
天龍大御神(てんりゅうおおおんかみ)
天久臣乙女王御神(あめくしんおとめおうおんかみ)
[以下、熊野三神]
伊弉冉尊(いざなみのみこと)
速玉男尊(はやたまをのみこと)
事解男尊(ことさかをのみこと)
社格 旧無格社
例祭日 5月8日(春)
9月5日(秋)
鳥居 住吉鳥居
社殿様式 神明造
【由緒】
琉球八社の一つ・沖宮の創建は詳かでないが源為朝公時代と琉球史料書にある。 国家安穏・五穀豊穣・陸海交通安全の神船玉神として歴代琉球王を始め諸民に尊崇された。明治四十一年那覇港築港の為・字安里に遷座。昭和十年国宝に指定されるも第二次大戦で焼失・戦後・沖宮創始の御祭神、即ち霊木の根は奥武山天燈山御嶽と神示を受け御神慮により昭和三十六年に通堂町に仮遷座。昭和五十年八月現在地に御遷座。
まずね、沖宮までがとても行きにくい!(笑)
セルラースタジアムや競技場、プール、野球場などありとあらゆるスポーツ施設がある奥武山(おうのやま)総合運動場というだだっ広い敷地内に沖宮があります。
スポーツの聖地とも言われてる場所だそうです。
土地勘がないのもありますが、入り口が分からずこの敷地内へどこからどう入るの?とかなり戸惑いました。
というか迷いました(笑)
ゲートをくぐって敷地内に入ってからは駐車場までの長い距離を10km/秒ぐらいの徐行でユック〜〜〜リ走らなくてはなりません。
しかも、この日は翌日から何かの催し物をするらしく、その準備で色んな業者さんが来ていたり関係者用のテントがアチコチにあったりで本当にここにあるの?って不安に駆られるほどでした(笑)
レンタカーのナビは通れない道でも「コッチだよ〜」って言って騙してくるし(笑)、やはり頼りになるのはgoogleマップ。
駐車場に停車して、遠くに見える赤い鳥居を目指して少し歩くとやっと出会えました。
ベージュの鳥居ってあまりないかも?
左側にも白いテントがあるけどイベント用のものであって普段は無いのかなと思って調べてみたら、常にあるっぽいです。
日差しの強い沖縄ならではの光景でしょうか。
因みにこのテントの下にはテーブルとベンチがあって一休みできるようになっています。
最近奉納されたような新しめの狛犬さん。
この階段を上がって行ったところに手水舎があります。
手水舎も青々とした植物が植えられていて南国を感じさせられます。
ガーデニングを見てるみたいで楽しいです(^-^)
どうしてもテントが入ってしまう…
なのでちょっと横から。
お社は先の戦争で焼けてしまい、その後に造り直したものだそうです。
しっかり仕事をこなしてくれそうな真面目そうな面持ち。
この狛犬…というよりシーサーもクチャ(沖縄でしか取れない泥岩)で作られたシーサーでしょうか?
クチャは沖縄南部一帯で取れる地域特有の泥岩(粘土)で瓦の素材でもあります。
元は黒いんですが焼くと酸化して赤くなるんです。
で、この沖宮、参拝箇所が全部で8つありまして参拝順序も定められています。
八社巡りというそうです。
無知なまま行った私は適当に巡ってる最中に境内のお社に番号がふってあることに異変を感じ、もしやこれは…と途中で授与所の方に聞きに行きました。
参拝順序が書かれた地図をいただいてリスタート。
でも途中まで巡ってしまっていたので地図を見ながら行ってない箇所を巡りました。
せっかくなので、皆さんは予め授与所で地図をいただいて順番通りに巡ってくださいね(^-^;)
雨も降っていたので傘を片手に、地図をもう片手に、写真を撮る為にスマホをどっちつかずに、なんだか手元がワチャワチャして混沌としていました(笑)
このブログでは参拝順路通りに写真を掲載しますね。
1社目は本殿および拝殿になります。
2社目はこちら。
住吉神社は神代十二支の子、丑、寅の神を祀る神社です。
八坂神社は神代十二支の卯、巳、午、未、申、鳥、戌、亥の8柱の神様が祀られています。
先ほどの住吉神社と合わせて11柱…あれ?おかしいですね、辰が足りない…
辰年の私はちょっと寂しい気持ちです(._.)
④番目は猿田彦命を祀る祈祷殿ですが写真を撮らなかったのか探してもなくて…というか見た記憶すら…
なので代わりに沖宮に住んでる猫さんを。
沖縄は本当に猫さんが多いです。
猫好きにとっては猫に旅先で出会うことも楽しみの1つ(^-^)
次は拝殿の左からぐるっと回って階段を上がります。
すると現れるのは…
ここは天受久女龍宮王御神[天照大御神]が鎮まる神地とされ、勉強不足で全く知らなかったのですが天照大御神様が伊勢へ行く前に降り立った場所とされています。
ただ、お社ではなく御嶽です。
あまりゆっくりもできなかった為、空気感を堪能するのは難しかったですが、パワスポマニアの間ではメジャーな場所らしいです。
その辺は私は疎いのでなんとも…ですが、ここは小高い山になっているので晴れた日には周囲を一望できて良い景色を拝めるんだろうなと感じました。
ここで沖宮が鎮座する奥武山について少しウンチクをば。
かつてはここは陸続きではなく漫湖の入江に浮かぶ島だったそうです。
琉球王国時代は美しい景勝地として有名な絵師の葛飾北斎が琉球八景のひとつとして描いているほどだそうです。(あの人、沖縄へも渡ってたのか!)
当時の景色を是非見てみたかったですね!
こんな伝説もあります。
琉球のその昔、ミミズは奥武山にのみ棲んでいたという。
ある十五夜、ミミズが揃って月見を楽しんでいたところ、長老ミミズが涙ながらにこう言った。
「奥武山のミミズは増えすぎた。このままだと、食べる土が絶えてしまう…」と。
これを聞いた若ミミズたちが悲しみのあまり一斉に泣き始めた。この騒動を聞き付けた青大将が言った。
「渡地(わたんじ)に渡れば土はたくさんある」。
これは渡りに舟とミミズたちは、フクギの葉を舟に漕ぎ出した。
それから、土を求めてミミズは琉球のすみずみにまで広まったそうな。
なぜミミズ?と思いますが、伝説というのは必ず意味があって残されているので、恐らく作物を育てるのに欠かせないミミズを琉球の人達は奥武山の恩恵として大切に扱っていたんだろうな…という想像ができますよね。
(違ったらすみません)
天照大御神様が降り立った場所というなら尚更恩恵のありそうなお山ですもんね。
因みにこの天燈山御嶽の右側の鳥居から下へ降りていくと後に参拝する弁財天と権現堂の方へ出ます。(本殿向かって右側)
次に参拝する水神は本殿のすぐ裏手の右側にあるので弁財天などをいったんスルーして進みます。
水神様は先ほどの天燈山御嶽と対としてお祀りされているようです。
そして弁財天の方へ引き返します。
ここに神代十二支の辰の神が祀られていました!
なぜ辰が弁財天なんだろう?…
ま、いっか。
このあたりはまた植物がたくさんあってトロピカルな雰囲気。
晴れてたらもっと良い感じだっただろうなぁ…
沖宮への入り口はこの弁財天の方にもあるので、ここにも手水舎が設けられています。
どこかのカフェのオープンテラスにありそうな雰囲気(笑)
鯉もいました。
そして最後。
琉球八社は、元はお寺があったところなので沖宮では神仏習合のスタイルが残されていました。
境内はそれほど広くはないのですぐに周りきれると思います。
お社の位置関係がわかる境内マップはこちら。
http://okinogu.or.jp/worship/ (沖宮HPより)
授与所のお姉さんが気さくな方で少し話が弾んでしまいました(^-^)
この時は猫柄の御朱印帳を持っていたんですが、
「どこで買ったんですか?可愛いですね」
なんて話しかけてくださって、猫話にも花が咲き良い思い出になりました♪
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