新型コロナウイルスで、なかなか外出しにくい日々が続いています。
外出できない→ちょっと遠くの神社へも行きにくい、という状況で、少し退屈していましたが、先日急に思い立って神社を確認しがてら登山をしてきました!(登山って思い立ってするものではない)
札幌市というのは、実は3/5ぐらいが山林です。
特に温泉好きな方ならご存知かもしれませんが、「定山渓温泉」も実は札幌市内です。
殆ど山の中だけど、アレは、札幌市の南区です(笑)
そんな感じで、市街地からちょっと遠出するだけで大自然に触れ合えるのが、札幌の良いところ。
札幌中心部から程近い、市民にも馴染みのある「円山」という山があります。
この山裾には私がよく行く「北海道神宮」があったり、札幌市民なら幼少の頃から訪れてるであろう「円山動物園」があったり、他には球場や競技場などの施設もあります。
「円山公園」はお花見の名所もなっていて、池には鴨の親子がいたりと、とにかく身近で自然に触れ合える場所として、私にとってもお気に入りスポットだったりもします。
中でも「北海道神宮」と「円山動物園」(年間フリーパス持ってる)と「円山公園」にはよく出没します。私が。
「円山動物園」には去年、何十年かぶりに象さん達がやってきてくれました!
写真は3頭しか写ってませがん、全部で4頭です♪
「円山公園」は花壇もあり春にはお花がたくさん咲き乱れ、秋には紅葉がキレイで、園内を歩いてるだけで癒されます。
晴れた日は本当に気持ちがいいです♪
早朝に行くとエゾリスに会えることも♪
季節によってはオシドリ親子やカルガモ親子に会えますよ♪
因みに冬の景色。
さて、そんな円山ですが、ここには登山道があります。
標高は225mとそれほど高くなく、札幌市内の幼稚園や小学校では「登山遠足」として利用するような山です。
登山しようと思ったきっかけは、前の週の日曜日に動物園へ行き、その帰りに、
「そういえば円山って登山ができたよな〜…頂上ってどんな感じだったっけ?そういえばこの山の頂上からUFOが出てきたけど基地でもあんのかな?」
などとボンヤリ考えていて、翌週の日曜日が晴れたら登山したろ、ぐらいなノリでした(笑)
思い付きで登山。
登山かに怒られる軽率な行為(笑)
しかし、標高も高くないしハイキングがてら…といったテンションで、NIKEのスニーカー(白しか履かない!…から汚れた)、Tシャツ、ストレッチの効いたサルエルっぽいパンツという出で立ちに、荷物は布製の斜め掛けショルダーに財布、鍵、スマホ、という完全に山を舐め腐った感じで挑みました。
あ!と途中で自販機を探して500mlペットの水を購入。
また、登山のキッカケとしては、この山の入口に赤い小さな鳥居が見えたからです。
鳥居(=神社)となれば、私としては確認せずにいられない…
というわけで今回の神社のご紹介。
『円山稲荷社(まるやまいなりしゃ)』
所在地 北海道札幌市中央区宮ケ丘
御祭神 稲荷大明神
社格 不明
例祭日 不明
鳥居 不明
社殿様式 神明造
【由緒】
不明
神社単体での情報はほぼなし!
でも社名と御祭神を探し出してきた私は偉いと思います(笑)
しかし、その背景は弘法大師・空海と四国にありました。
登山口は「八十八ヶ所 入口」と「動物園裏 入口」、「円山西町 入口」の3つがあります。
今回はポピュラーに「八十八ヶ所 入口」から入山することにしました。(見た目も良いし)
この場所は「円山原始林」と名付けられている天然記念物でもあります。
札幌中心部から見て円山の左手にある、倍ほどの高さの藻岩山(もいわやま)にも同じように天然記念物の原始林があります。
両原始林は、開拓使時代から大切に扱われ、大正4(1915)年には北海道庁が原生天然保護林に指定、大正10(1921)年には天然記念物に指定しました。
明治25(1892)年に日本各地を訪れたハーバード大学の高名な樹木学者サージェントから「土地の気候、山の大きさの割に極めて樹木が豊富で世界的にもめずらしい」と評価を得たそうです。
円山は本来は藻岩山の一部で、この2つの山からは数々の新種の植物も発見されている上、大都市とも言われる市域に天然林が今でもそのまま残されていることが奇跡!とも言われているそうです。
今回ブログに載せる為に色々調べてみて、改めてこういうことを知りました。
生まれ育った札幌のこと、知ってるようでまだまだ全然知らないぁ…
入ってすぐのところに井戸があります。
が、現在は使われていません。
いきなりですが、ちょっとウンチクをば。(面倒な方は飛ばしてね〜)
札幌市中央区の円山地区の開拓の祖として名高い、岩手県盛岡出身の上田万平(まんぺい)と弟の善七(ぜんしち)という二人の人物がいます。
現在の北海道神宮は、1869年(明治2年)に開拓三神(大国主命、大己貴命、少彦名尊)が判官の島義勇によって北海道に渡り、1870年仮社殿に祀られました。
翌年9月、現在の場所に移設、仮本殿が造営され「札幌神社」と社名が決定。
1964年(昭和39年)に「北海道神宮」と改められたわけですが、上田兄弟は、札幌神社創設以来、たゆまない奉仕活動を続け、北海道神宮の基礎を築いた功労者として高く評価されています。
島義勇判官らは、札幌の開拓に於いて、風水なども取り入れ、また京都をモデルに、この円山から街造りの構想を練ったというのは有名な話です。(道民の神社マニア達の間では)
現に「円山」もその近くに広がる街「伏見」地区も京都の地名ですし、街が碁盤の目なのも酷似しています。
「大通公園を川に見立てた」(京都でいう加茂川=龍脈)という説もあり、妄想ですが風水を意識して、”神社の背後に山”そして”その先に広がる街”という形を見ると、京都でいえば京都最古の神社、上賀茂神社が北海道神宮にあたるのかな、と思います。
あの配置、形を意識して北海道神宮からの街づくりをされたのかもしれません。
「八十八ヶ所 入口」から入って左手にある建物は「円山八十八ヶ所大師堂」です。
”大師”とは皆さんご存知、空海a.k.a.弘法大師のことです!(怒られそう)
実はこの円山八十八ヶ所は(名前で勘づいてた方もいるかもしれませんが)、空海に馴染み深い四国の八十八ヶ所が由来です。
札幌の街の元となる円山は、上田兄弟により1914年(大正3年)に登山道が整備されました。
その時に、信仰心の篤い上田兄弟が四国の八十八ヶ所に因んで、この名を付けました。
そして、大正3年に四国からこの地へ移住してきた信仰者有志からの観音像の寄贈により、88体の像が建立されました。
上田兄弟は、この円山を修験道の一つとして切り拓いたように思えます。
当時はまだ、神社の神様とお寺の仏様が一緒にお祀りされる神仏習合の時代。
北海道神宮がある円山に、仲良く観音様も一緒にお祀りしたいという思いがあったのでしょうね。
入口から頂上付近まで置かれている観音像には1〜88まで番号が振られているそうですが、登るのに必死でチェックしていませんでした(笑)
信仰者の献像によって今では200像以上の観音像があるそうです。(確かに88像にしては多いな、と思った)
この「円山八十八ヶ所大師堂」の中にはきちんと空海a.k.a.弘法大師(まじで怒られそう)の像がお祀りされています。(言うても空海さん好きです)
写真では見にくいですが、お堂の中にお着物を召した空海さんがおられます。
ちゃんと「これから登らせていただきます」とご挨拶をして…
入ったそばから観音像がたくさん。
あちらに小屋のようなものが…
小屋のようなものの中にも観音像がありました。
近くで見てみたかったんですが、青年が一生懸命に写真と撮っていたので、邪魔せずちょっと離れて目を凝らして見ていました(笑)
さ、いよいよこの階段から登って、登山の始まりです。
見てください!この緑の中に立ち並ぶ観音像を!
このちょっとフワ〜っとした幻想的な雰囲気、伝わりますかね?
緑と観音像がマッチしててとても素敵。
その奥に鳥居が!
そうそう、この神社が何なのか気になっていたんです。
と、左側に何か動くものを感じて振り向くと…
野生のシマリスちゃん!!(*≧∀≦*)
普段はこの辺りでは、野生のエゾリスには頻繁に会うんですが、野生のシマリスは初めて会いました!
ていうか、こんなとこにシマリスいたんかい!って思いました。
とても可愛い〜(*´∀`*)
動画も撮ったので掲載しますね♪
そして!
今回のメインの神社です!
下から見上げた時はお社は見えなかったのですが、ここへ来てみるとちょこんとしてて可愛らしいお社でした。
ですが、両脇にはきちんと狛狐がいて、しっかりお守りされていました。
先程説明したように、ここを開拓した当時は神仏習合ですから、観音像にまみれて神社があることには何の違和感もありません。
また、実はお稲荷様には神道系と仏教系があり、神道系は皆さんご存知の伏見稲荷大社から成るもの、仏教系は豊川稲荷や最上稲荷から成るものです。
豊川稲荷では、豐川吒枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)という神様が祀られていますが、元々はインドの鬼神で、仏教に帰依して仏法を守る神様になったという言われがあります。
「稲荷」というと狐様が祀られてるというイメージを持つ方が多いですが、神道系も仏教系もどちらも人の形をしていますのでお間違い無く。
狐様は基本的に眷属であります。(でも可愛いから狐の姿であって欲しいという気持ちはわかる)
こちらの円山稲荷社は神道系と仏教系のどちらの方でお祀りされてるのかは結局調べきれませんでしたが、あーでもないこーでもないと答えを探るのもまた楽しみ事の一つです。
ここでも登山客がずっといたので、あまり良いアングルで写真を撮ることができませんでした(>_<)
レンズフレアが入ってしまったし、満足度は低い…けど仕方がない。
この鳥居は、普通の様式ではちょっとあまりない…というか、宮大工さんとかではない一般の方が見様見真似で作られたのかもしれません。
一見、宗忠鳥居のようにも見えますが、額束がないこと、貫が島木よりも長いことなどを見ると、鳥居としてはイレギュラーの様式となり、一般の方が作られたのかな〜という結論にたどり着きました。(私の中で)
でも、この狛狐さんを見る限り、この神社が大切にされてることには変わりありません。
狛狐さんはムフン!という若干アンニュイな表情で個性的!
ちゃんと巻物も咥えていました。
雰囲気が出てて好きです( ´∀`)
この日は赤いマフラーをしていましたが、ピンクの花柄だったり赤の柄物だったりの前掛けをしていたり、冬には頭にほっかむりをしていたり、結構なオシャレさんのようです♪
狐さんはやっぱり赤が一番似合ってる気がしますねっ(*^ω^*)
昭和44年に寄贈された狛狐さん。
51年前にここへやってきたんですね。
どなたかが、狐さんのマフラーなどを時々取り替えにきてるのかと思うと、とても微笑ましいです。
ここから先はどんどん登山っぽくなっていきますよ!
八十八カ所ルートはこのあたりが観音像のピークじゃないかって感じで、これより上はポツポツある程度です。
せっかくなので頂上〜下山までお付き合いくださいm(_ _)m
早速、巨木が目の前に現れました。
根っこがボコボコ露出していて、生命を感じますね!
上の大きな木には巣箱が設置されていて、その巣には雀よりもほんの少し大きめな鳥さん、ゴジュウカラが住んでいるようです。
結構近くまで来てくれました。
鳴き声も入っています。
なかなか可愛いでしょ?(*´꒳`*)
道は険しいという感じではありませんが、所々けもの道のような茂みに囲まれた細い道もあります。
この下の写真の木もかなり大きな幹でしたが、途中から幹が3つに分かれていました。
ん?
最初から別れているのかな?絡んでるだけかな?
いずれにしても、こういう木を見ると「生命」の力強さを感じずにはいられません。
急なところは角材で階段のように足場が作られています。
このあたりはまだ中盤ですが、息が上がってきてだんだん撮影どころじゃなくなってきました(笑)
冒頭で、幼稚園や小学校では「登山遠足」で利用すると書きましたが、こんなキツい山、幼稚園生が登れるのか!?と途中から思いながら登りました(笑)
子供、体力ありすぎやろ(笑)
そんなことを考えながら一歩一歩登ってゆくと…
「山神」の碑!
これが現れたら頂上目前!
実はこの石碑も上田万平が置いたものです。(上田兄弟よ〜出てくるなぁ〜)
開拓使時代の産業として「札幌軟石」の採掘は有名で、隣の山の藻岩と円山は昔は石材の採掘が盛んに行われていました。
明治の初め、開拓使が開拓使本庁舎建設に用いる石材を円山の頂上付近から採掘したため、山肌が削られ岩石が露出してしまいました。
石材の採掘は中止されましたが、上田万平はこのことを大変憂い、円山の山頂に「山神」をお祀りするためにこの石碑を置きました。
上田さん、信仰心が篤くて心の優しい方だったんですね。
そして遂に!
頂上〜〜〜〜〜〜!!
ワーーーーーーー!!!!
着いたーーーーー!!!
スバラーー\(^o^)/ーー!!!
この景色が見えた瞬間、とてもテンションが上がりました!
そして何故か、この頂上一帯だけ揚羽蝶がたくさん飛んでいました!
キアゲハと…多分…ミヤマカラスアゲハ?黒くて青緑に輝くやつ。
ヒラヒラと綺麗でした(*´꒳`*)
揚羽蝶って普段は高いとこにいるの??
虫は大の苦手なんですが、何故かこの山を登ってるうちに蝶だけは可愛いと思えるようになりました(笑)
途中にモンシロチョウやモンキチョウがいて、普段なら「うあ〜〜!!!」と逃げるんですが、何故か全然平気だった!
けど、オレンジに黒のブチブチの羽のやつは好きになれなかった…(柄がちょっと…)
あ、それとね、円山では国蝶であり準絶滅危惧でもあるオオムラサキも生息しています。
出会えなかったけど…(一度その美しさを間近で見てみたい!!)
円山は低い山ながらも、札幌市を一望できます。
場所的には、札幌中心部の西に北海道神宮や円山動物園があるこの円山が位置していて、円山の南側に藻岩山(標高531m)、円山の背面(札幌市中心部から見て、円山の更に西奥)にスキーのジャンプで有名な大倉山ジャンプ競技場があります。
そんな感じで、円山の頂上からは北─東─南の景色が見渡せます。
意外に雲が近い!!
背伸びすれば触れたと思います!多分!
なんかアレみたい、「天気の子」の風景にありそう。
下の写真は南方面です。
山裾にポツンと1つだけ白い先のとんがったものが確認できると思いますが、これは「仏舎利塔」です。
「仏舎利」というのは釈迦の遺骨を指し、「仏舎利塔」はそのまんま釈迦の遺骨を納めている塔のことを言いますが、「平和記念塔」という呼び名もあり、どちらも正解だそうです。
中には、インドのネール首相から贈られた仏舎利が安置されているそうですが、実際のところはどうなんでしょう??
そんな大切なお骨が札幌にあっていいのでしょうか??(笑)
う〜ん…(笑)
因みに、元は太平洋戦争で亡くなられた方々の冥福と平和を祈るために建てられた塔らしいです。
小さい頃に一度だけ行ったことがありますが、あまり大きくなく、ちょっとした広場にこの塔があるだけの場所です。(中は入れませんでした)
キラスピ好きさんで「パワースポットです!!」とか言ってるのを見かけますが、そういう”何か”を求めて行く場所ではありません(笑)
緑が多くて、秋には紅葉も楽しめるような普通に”心地の良い場所”です。
藻岩山を登山する途中に立ち寄れる場所にあるようなので、登山好きな方は是非♪
お弁当とか食べるのにも良さそうな広さでしたよ。
UFOのクダリは別件で何かの折に…(笑)
もっとゆっくりな動画を撮りたかったんですが、背後にいた母子のママさんがずーっと「〇〇ちゃん、あまり端に立たないで!怖い!怖い!そっちいかないで!怖いからやめて!怖い怖い!」と言い続けて止まなかったので、音声入っちゃうし落ち着いて撮れず(笑)
「怖い」っていうわりに、子供を結構な崖の方に立たせて写真を撮ってましたけど(笑)
風で煽られたら危ないで(笑)
ここで暫く景色を眺めていた……いんですが、狭い場所だし他の方々もいたので、迷惑にならないように程なくしてから下山。
実は、本当は朝日を見に行きたかったんです!
ここからの景色がちょうど太陽の昇る位置なので、太陽が地平線から顔を出して街を照らしていく風景を見たいな〜と思っていたんですが…
そうなると今時期なら夜中の4時には登山を開始せねばならず、仕事が終わるのが遅い時間になる私は不眠で挑戦しなければならず、寝ぼけて滑落なんかしたら夜中だし誰も発見しけてくれないしなぁ〜…とか考えて、今回は日中にしました(笑)
恐らく小学校以来の登山なので(笑)、もうちょっと慣れてからでもいいかなってことでご来光を拝むのは一度お見送り。
帰り道は行き道とは別のルートを辿ることにしました。
「動物園裏 入口」(「円山西町 入口」)へ向かうルートです。
頂上からすぐに道が別れているのですが、「動物園裏 入口」ルートに入ってすぐに奥の院がありました。
札幌軟石で作られた台座には、「大正四年五月髙野山開闢千百年紀念造営 成田山新栄寺住職…」と書かれているようです。
「八十八ヶ所 入口」にあった大師堂に空海さんがいましたよね。
高野山は弘法大師・空海によって開かれた仏教の聖地です。
その高野山の開闢(かいびゃく=信仰の地としての山を開くこと)から1100年を記念して、ここに奥の院をおきました、ということですね。
大正4年は1915年。
空海が高野山を開闢(816年)してから今年で1204年。
とても長い時間…色々想うところがありますね…
高野山の金剛峯寺はいつか行ってみたいです!
因みにこの奥の院の扉は固く閉ざされていました。(ご開帳される時ってあるのかな??)
帰り道はただただ下ってくだけなので軽快です♪
(下りが一番膝を痛めやすいそうなので本当は下りこそゆっくりいかなきゃダメ)
木漏れ日とそよ風がとても居心地よかったです。
木々がお喋りしてるみたい(*´∀`*)
登山は下りも楽しめますね!
こんな木がありました。
完全に倒れてるけど…全体重かかってますけど…(笑)
結構勢いよく下ってきて、あっという間に約半分の地点。
とはいえ、この先にはもう急な坂はなさそうな雰囲気。
100m先という近さなので、一応「円山西町 入口」がどんなもんかと行ってみました。(この今立っている分岐点が「動物園裏 入口」っぽい)
「円山西町 入口」は小道から普通の住宅街に出ただけだったので(ちょっとつまんない)、引き返して「動物園裏 入口」の方へ。(その更に先に「八十八ヶ所 入口」があります)
「原始林」という呼び名に相応しく、手入れをしすぎてない山道が続きます。
ここのあたりで小さめの蛇を見たんですが、相手が先に私に気づいてサササーっと茂みに隠れてしまったので、体の後ろ半分ぐらいしか見れなかった(*_*)
写真も撮りたかった…
蛇をビックリさせてしまったので咄嗟に「ゴメンネ!」って口から出てしまいましたが、こっちもビックリしたわ(笑)
ノラ蛇は初めて見たのでちょっと興奮しました!o(^o^)o
木についてはそれほど詳しくはないんですが、これは多分、「桂(かつら)」かな。
一見するとガジュマルのようにも見えますが、上からぶら下がるような気根などはありません。
全部下から生えています。
以前、ハワイに行った時にガジュマルみたいな木がたくさん生えていて、近くにいた現地のパツキン美女に「アレは何ていう名前の木なん?」って聞いたら「バニヤンツリーやで」ってスペルも書いて教えてくれました。
「ガジュマルじゃないのか。バニヤンツリーか…」って思ったけど後で調べたら同じ仲間でしたっていうエピソード。(書いてはみたけど、どうでもいいわこの話)
だいぶ下まで降りてきて、この先は殆ど平坦で、ところどころに山からの小川がチョロチョロ流れています。
こんな風に、木や植物が思いっきり好きなように生きています。
FREEDOMやな。
あ、私は名うての苔好きなんですが(いや、あまり好評はしていない)、岩や倒木に苔や小さな枝が生えている姿がとても好きなんです。
なんていうか、生命の息吹を感じません?
あのただの塊にしか見えないような冷えきった溶岩にも、暗く湿った岩窟にも、倒れた木にも、こんな風に小さな命がどこからかやってきて、やがて大きく育っていく姿に感嘆せずにいられません。
自然のサイクルそのもの。
地球って人間が作ったもの以外は全て完璧にできている。
この木と緑の色の色彩も好きです。
上の写真は桂(カツラ)の木ですが、この円山公園のシンボルとされています。
樹齢は不明ですが、結構な御長寿かと思われます。
調べたところによると、この古木の桂、どうやら登山客に”愛されすぎて”(表現がイイ!)根が露出しすぎてしまったそう。
木というのは、根元に堆積する自分から落ちた”落ち葉”が、土の中のバクテリアに分解されることによって土壌が活性化し、そこから養分を得て生きてるもの。(自分でリサイクルしながら生きてる!!)
ですが、そこに人が入り込むことによって地面を踏み固められてしまうと、落ち葉が発酵して養分を蓄える良質な腐葉土が作られず、根も窒息して木が栄養を取れなくなって枯れてしまうらしいです…(説明ヘタかも!)
そしてなんと!腐葉土の厚み地表1cm分を作るのには、100年程もかかるんだそうですよ!
10年で1mm…1年だと0.1mm…マクロやんけ…
自然の環境の回復には、早い場合だと10年ぐらいで何となく良くなってきたかな〜という感じ、またはそれ以上の期間がかかる場合が殆ど。
人間なら病気になったら病院へ行けば大体のことは治療で短期間で治せますが、木ってそんなにも時間がかかってしまうんですね…
そのような理由から、この円山の主の桂の木の周りは現在立入禁止とされています。
この桂の木の場合は根が広く張っているため、ボランティアの方々が広範囲に柵を設置してくれていました。
ずっと守っていきたいですね。
この山を降った麓のあたりは「自然歩道」とも呼ばれていて、お散歩コースにもなっています。
その自然歩道の山側は先程の桂の木々がある環境、反対側は杉林になっています。
右と左で全く風景が違うのも面白いです。
「動物園裏 入口」から「八十八ヶ所 入口」へ抜けてきました。
最初の入口のところです。
登山終了!
帰り道はそのまま林の広場を抜けて。
札幌市はこんな近くにまだまだ豊かな自然がたくさんあるんだなぁ。
生まれも育ちもずっと札幌の私ですが(2ヶ月ぐらい千歳市にいたことはあります)、大人になってからこんな風にじっくりと時間をかけて森の中を散策したり、自分の足で山を登ってみたりしたことってなかったのでとても新鮮でした!
だし、自然の中は心地良すぎて、森の大切さを改めて実感しました。
これも神社好きがこうじての体験。(今回の記事はあくまでも「円山稲荷社」がメインですからね!)
日本古来の文化を愛でることは、自然を愛でることと一緒なのかもしれないですね。
本当に文化も自然も大切にしていきたい…
最後に、ここまで読んでくださった方に質問なんですが、この植物は何ですか!?
琵琶ぐらいのサイズの蕾…じゃないな、季節的に中には種があろうかと思われますが、これが円山の麓の茂みにたくさん生えていました!
正体がわかる方、ぜひご教授くださいm(_ _)m
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