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奈良県桜井市にある纏向遺跡。
この古墳群のメインである、卑弥呼の墓という説もある箸墓古墳(大市墓)の次に訪れた古墳は、東田大塚古墳(ひがいだおおつかこふん)です。
箸墓古墳からは徒歩で移動。
見渡す限りの田園風景の中にこんもりとした雑木林を横目に歩きつつ…

Googleマップを見ながら「東田大塚古墳はどこかな〜、近いはずなんだけど…」なんて思いながら……コレかい!!
どっからどう見てもただの雑木ba…ゴホゴホッ!いや古墳ですね!古墳だ!

うん、古墳だね!
私が知ってる古墳のフォルムは、前回の箸墓古墳とその前の茅原大墓古墳のみで、このこんもりとしたタイプは初だったもんですからちょっとアレだったけど、確かに近寄ってみると地面が盛り上がってるし古墳っぽい!(古墳だしね)

ありました、ありました。看板。(なんか階段もあるな…)
どれどれ…

間違いなく、目的の東田大塚古墳!
こちらの古墳は、箸墓古墳に次ぐ規模の前方後円墳だそうです。
箸墓古墳が全長約280mで、こちらの東田大塚古墳は約120m。1/2ぐらいのサイズ感ですね。
ただし、東田大塚古墳の見た目のサイズは、前方部が欠損してるので、箸墓古墳と比較するとすごく小さく見えます。
周濠もないので、全体の規模がこじんまりして見えますが、ちゃんと丸い形をしています。
本来はこの円墳の左斜め下に前方部があったはずですが、畑になっていますね(笑)
発掘調査により3世紀後半の築造であることが判明していて、3段の段築があったようです。
被葬者は不明ですが、甕棺(かめかん。甕や壺を棺にしたもの)と土師器(はじき。弥生土器の流れを汲む素焼きの土器)が出土しています。
どうやら看板のところにある階段から古墳の上に登れるようですが、茅原大墓古墳と違って「私有地につき立ち入りを禁止します」という立札があり、自由に登ったりはできないみたいです。
墳丘の上の方は何となく整備されてあるので、土地の持ち主さんがお墓の上を綺麗に飾ってるのかもしれません。
そう、この東田大塚古墳を発見した時はただの雑木林かと思いましたが(笑)、180°ぐるっと回ってみると…

こんな感じの景観。(田んぼがまた綺麗)
埴輪や葺石のない古墳ですが、おそらく地主さんによってブロックで墳丘の周りを綺麗にしっかりと囲われています。(この右側が看板があったところ)
写真では確認しずらいですが、背の低い剪定された木も幾つかありました。
この墓の主も、こうして綺麗にしてもらっていたら嬉しいでしょうね。
秋には稲穂が輝く黄金の中の主になるんだなぁ(*´꒳`*)
東田大塚古墳から北に向かって10分ぐらい歩くと矢塚古墳(やづかこふん)があります。

上の写真を見ての通り、東田大塚古墳から矢塚古墳までは道が右回りか左回りで行くしかなくて、ちょっとモヤモヤしました。
田んぼの真ん中をショートカットしたい!!(笑)
そして到着。
いや、これこそ雑木ばy…!!!

いやいや、でもね、ちゃんとした古墳ですよ。古墳です、古墳。

全長が約93mとあるので、東田大塚古墳よりも一回り小さい前方後円墳となります。
被葬者不明、3世紀中頃の築造。須恵器(すえき。古墳時代から平安時代にかけて日本で生産された陶質土器)が出土していいます。
調査はされておらず被葬者は不明ですが墳頂部に板石が出てるようで、埋葬施設は竪穴式石室(竪穴を掘り棺を納め、その上に天井石を乗せる埋葬)または箱式石棺(石製の長方形の棺)の板石と考えられています。
この古墳も前方部は分からなくなっていました。

至近距離でこの古墳を撮ってみたんですが、どうしても本気の雑木林にしか見えないので没に…(笑)
矢塚古墳を通り過ぎた逆サイドから撮ってみましたが、こんな感じ。
よく考えたら、こんな太古の昔のものが普通に田んぼの真ん中にあったり民家の脇にあって、過去と現在の景色が同じ場所に在るというのも、別の空間の二つの時間が重なってるような感じがして不思議な気持ちになりました。
約1800年近く、この墓の主たちはここに眠っているんですよね。
死後の世界や転生があるかどうか、私は死んだことがないのでわからないけど(笑)、あるとしたらこの主たちは今日まで何度転生しただろうか?
その転生先は地球かもしれないし、別の星かもしれない…
浪漫やな。
そんなことを考えながら、次の古墳へとまた移動。

次回はこの立札の上の二つへ向かいます!
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