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香川県の讃岐國・一の宮田村神社、最後回です。
前回の記事はこちら↓
この先は裏参道なのですが、実は田村神社はこのエリアが一番濃いのではなかろうか!?
雰囲気も厳かで見応えたっぷりでした!!
もしかしたら、地元の方以外はこのエリアを知らずに参拝して帰る人が多いかもしれないです。
では早速この先へ進みましょう!

表参道から田村神社向かって右側に、境内社の天満宮があります。
さらにその右奥に、この朱の鳥居が立ち並んでいるのを発見。
この先に一体何が?

進んでみると、このような石碑が。

「さぬき獅子」と書かれています。
香川県といえば「うどん県」とも言われるぐらい讃岐うどんが有名ですが、この銘板を読むに香川県は獅子舞も名物のようですね!
獅子舞の作りが一般のものとは違い、耳の中に小石が入れられていて、頭を激しく振ると音が鳴るようにできているようです。
ネットで調べてみましたが、小石が鳴る音は囃に掻き消されて確認できなかったものの、なかなか動きが激しめで、顔もよく見る獅子舞とは違ってパピヨンみたいに耳がぴょんと立ってて可愛い系でした。
室町時代から続く神様への奉納として、現在もこの香川県では獅子舞が披露されています。
へーそうなんだ…とこの銘板を通り過ぎて振り返ると…

こっちが表かい!!
ここで初めてこの鳥居の道が裏参道だと気付きました。
(あっち側から来た人用に設置されている)

上の写真は、菅原道真公を祀る天満宮の本殿。
天満宮の向かって右にこの裏参道が通っています。

そんな天満宮の本殿の背後にも何やら設置されています。
まずは手前から、「満蒙開拓の碑(海外開拓者殉難之碑)」。

ちゃんと狛犬も両サイドにポジショニング。


昭和初期に日本・満州・漢・蒙古(モンゴル)・朝鮮の5民族を集めて建国した「満州国」へ渡り、そこで命を落とした方々への慰霊碑です。
「満州国」は学校でも詳しく習わないレベルなので知らない日本人も多いのではないかと思いますが、満州事変の直後に日本が(正確には日本陸軍の関東軍が)主導し建国した国です。
表向きは、5民族が協力しあい、武力ではなく王による楽園国家である……という程の傀儡国家でした(結果的に)。
その王に祭り上げられたのは、清の最後の皇帝、愛新覚羅溥儀(あいしんかくら ふぎ)。
そうです、映画の「ラストエンペラー」がまさに溥儀目線のその時代を描いた作品です。
映画では溥儀の生い立ちから満州国建国、消滅、そして第二次世界大戦後には戦犯として収容所で思想改造を受け、後の老後までが表現されています。(とはいえ、ドラマチックにするために脚色している部分がある)
この映画の元になっているのは、溥儀の自伝である「我が半生」。
運命と時代に翻弄された彼の不遇に同情させられます。
もう一つ書いておきたいのが、「ラストエンペラー」の溥儀役の若き日のジョン・ローンがとても色男なので皆さん鑑賞ください(笑)

因みに、満州国は13年間しか存在していませんでした。
「満蒙開拓の碑」の隣は、「海軍少年飛行隊の碑」。

予科練海軍飛行兵の冥福と平和を祈って建立された石碑です。
若くして日本のために散華した青年たちへの弔い。



一番奥にあるのが「忠魂碑」。
この辺り一帯で、国家のために尊い命を捧げられた方々への忠魂碑。


朱の鳥居の裏参道に戻ります。
なんかまたオブジェ的なものがある…さっき学んだので、ちゃんと裏側(実際には表側)に回って撮りました!


あー、はいはい、これは菊の御紋が入った車輪を回すと、祓祝詞を唱えたことになりますよーってやつですね。
ぐるぐるぐる……と。

裏参道はここまでかな。
……と思ったらまだあった!

桃太郎たち!
……いや、待てよ?桃太郎はきびだんご県の岡山出身だよね?
桃太郎っちの後ろにいるのは姉らしい。……姉??
と思ったら、香川県の伝説では、桃太郎は吉備津彦命(きびつひこのみこと)で、その姉が倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)ってことになってるだしい。そしてどちらも田村神社の御祭神でした。
香川県独自の桃太郎伝説としては、桃太郎に鬼退治に行ってこいと命令したのは姉の倭迹迹日百襲姫命ってことになってるようです。
この二柱は第7代・孝霊天皇の子で、実在の人物とされています。
当時、吉備國(元岡山県一帯)には百済から来た温羅(うら)と呼ばれる鬼みたいな奴がいて、これをこの吉備津彦命が瀬戸内海を渡って退治しに行った、ということだそう。
おかげで岡山県には、吉備津彦命を祀る神社が建立されたりしました。

爺さん婆さんのために桃太郎は自ら鬼退治に行ったのかと思ってたけど、姉さんに命令されて怖い鬼のとこに行かされたとなるとちょっとショックだわ、無事に帰ってきたから良かったけど……
予備知識ですが、倭迹迹日百襲姫命は奈良の有名な古墳、箸墓古墳の主とされている人物です。
箸墓古墳の主は卑弥呼であるという説も絡んで倭迹迹日百襲姫命=卑弥呼説があるのですが、邪馬台国近畿説はちょっと無理がある気がしてるので、個人的には倭迹迹日百襲姫命=卑弥呼は疑問。
九州説の方がしっくりくるかなー。

途中のこういう現在地の案内板助かる。
奥にまだ色々見所がありそうですね。
桃太郎たちのところから更に別の朱の鳥居の参道があります。

途中に木が張り出ているのが自然のままでなんかイイ。

他にもポツポツと何か建てられていますね。


あ、他のを見すぎて忘れてたけど、この田村神社は十二支にはめっちゃ力入れてる神社だった。
この参道の両脇にまた十二支の置物が並んでいて、その置物の下の穴にある鈴を鳴らすという「十二支参り」が設置されています。


私は辰なので、辰の鈴をば。

そして足をその先に進めると何か黒い物体が……
あ!そなたはみんな大好き八咫烏(やたがらす)さんではないか!!


やあやあ、こんなとこにおられましたか。
八咫烏を知らない方のために軽くレクチャーを。
初代天皇の神武天皇が地元の日向国(現宮崎県)から大和(元奈良)へ、長髄彦(がすねひこ)というアンチ神武の豪族の長を倒して大和チームを懐柔するために向かうのですが(神武東征)、神武天皇は一度目は大和入国前に長髄彦に襲撃されて兄を失い、二度目は熊野の山中で迷子に。その時、天照大御神から遣わされたこの道案内が大得意な八咫烏が導いてくれて、長髄彦を倒し、大和を平定したのでした。
それ以降、八咫烏は”導きの守護”として信仰が広まりました。
……と、こんなところです。
まぁなんか見た目かっこいいし鳥さんだから空飛べるしカリスマ性は感じるよね。足が三本ってのも逆にミステリアス。
けど、八咫烏の”八咫”は「大きく広い」という意味なので、実際に見たら結構怪物級かもですね、実際にいたかは知らんけど。

一方、長髄彦サイドからしたら、自分たちがずっと大和で穏やかに暮らしていたのに、九州から来た一族に襲われて土地も奪われてなので、神武天皇が悪党ってことになるんですよね。
長髄彦のバックには実は饒速日命(ニギハヤヒノミコト)という神がついていて、これがまたこの争いの以前から空飛ぶ船に乗って大和に上陸して統治していたようで、長髄彦はこの饒速日命を心から崇めていたようなんです。
だから神武天皇が来た時に、「饒速日命がいるのに神がもう一人いるなんてあるか!誰がお前らなんかに従うかボケ!クソが!」と思ったのは至極当然でしょう。
この饒速日命、物部氏(もののべうじ)の祖先とも言われています。
いずれにしても、いつの時代も歴史は”勝者の歴史”というのが常なのです。
神武天皇の御陵は奈良にあって、奈良もなかなかディープなので訪れたことがない方は是非。

八咫烏のその先には鐘楼門があって、釣鐘そっちのけで柱に掘られた四神(しじん)の絵柄に熱中してしまったため、こんな曲がった写真(上)しか撮ってませんでした(笑)
だってこれ素晴らしくないですか!?
四神とは中国の神話から日本に伝わったもので、東西南北の各方角を守護する4つの霊獣のことです。
東の青龍(せいりゅう)、西の白虎(びゃっこ)、南の朱雀(すざく)、北の玄武(げんぶ)。
ぞれぞれが司どる季節や色、役割(ご利益)があるのですが、書くとまた長くなるので興味がある方はそのお手元にあるネットに繋がる媒体でおググりください。




柱にぐるっと掘られているので、体全体を写すのは不可能でした(汗)
西の大きい猫もいいけど、やっぱり辰年としては龍を贔屓してしまいますね。
朱雀は火の鳥、玄武は本体の亀に蛇が巻き付いてる独特なスタイルです。

よく見たら鐘楼門の四方向の屋根の端っこにも四神が乗っていました。

あ、鐘楼門の全体像の写真がありました。
アレ?布袋さんここにもいたっけ?
田村神社は讃岐七福神めぐりの布袋さん担当の神社なので、ソロで布袋さんがあちこちにいます。
鳥居の彫刻もすごいですね。


小さな七福神も境内中にいっぱいいます。


鐘楼門のその先に四国名物のお狸様。
撫でる箇所によってご利益を得られるようです。(全部で8箇所)



私はお腹と通い帳をナデナデしました。



最後の縁起物は、こちらの「お迎え布袋尊」。


裏参道から大鳥居を潜ると、最初にお迎えしてくれるのがこの金ピカな布袋さん。(写真傾きすぎ)

布袋さんがいつも持ち歩いてるこの大きな袋、何が入っているか気になりますよね?

この中には衣類から食器まで、そして金銭、もらった食べ物(お腹が空いた人にも施せるように)などが入っているそうです。
簡単にいうとお泊まりセットですね。(違う)

良かった、陽が沈む前に全部見ることができたー。

お迎え布袋尊の後ろにある大きな木は楠です。多分御神木。

裏参道の狛犬さん。


さて表参道を戻って田村神社を離脱してホテルでチェックインを……
ん?よく見たら表参道の一の鳥居の更に先にも参道が続いてる雰囲気。
と思ったらやっぱり。鳥居が建っていました。

現代、多くの大きな神社は道路ができたり都市開発などで本来の参道が短縮されている場合が多いのですが、このように一の鳥居の手前にひっそりとその昔の参道の姿を残していることがあります。

それほど古くなさそうな灯籠もありました。

昔の参道の先端には田村神社の御旅所(おたびしょ)がありました。
御旅所というのは、例大祭などのお祭りで神様が御神輿に乗って民の暮らしぶりを眺めつつ町を練り歩く際に、一旦休んだり神事を行ったりする場所です。
御旅所に足を踏み入れるのはなんとなく恐れ多かったので遠くからしか見てないですが、石舞台のようなのがあるのを見ると、ここに御神輿を置いていそうですね。
例大祭はこの石舞台の周りに露店などがたくさん出て、賑わいを見せるのでしょうか。

いつまでもそういう景色が日本に残り続けるといいな。
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