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奈良の旅の最後は、藤原宮跡へ。
記事に起こしてる時間と更新の間隔は長かったんですが(笑)、あっという間の3泊4日。
帰省の日、フライトまで時間を作り、神武天皇陵へ行った後に藤原宮跡に寄りました。
神武天皇陵からはタクシーか徒歩の2択で、なんとなく歩けそうだから歩こうとGoogleマップで行き方を探していると、藤原宮跡の近くに瀬田遺跡というのがあるのを発見。
瀬田といえば建部大社や竹生島神社がある、滋賀県の大津市瀬田と関係があるのかな?と興味が湧き、こちらへも寄ってみることにしました。
場所は橿原市の城殿(きどの)町というところ。
この辺りは畑などが多く、前日の雨とこの日の小雨で抜かるんだ畦道を歩くたびに、アマガエルが足元をぴょんぴょんと跳ねるので、踏まないように歩くのに一苦労しました(笑)
そして瀬田遺跡に到tya……ん?
どこだ??
水田と民家しかない…
Googleマップと照らし合わせるとこの辺りなんだけど…と彷徨ってたら看板発見!
いや、しかもなんですか、奈良職業能力開発促進センターって!?
ポリ…ポリテ…テクセンター奈良??
え?
看板をよく読んでみると、どうやら瀬田遺跡の上にこのポリテクセンター奈良という建物があるっぽい(笑)
前方後円墳の魁的な遺跡があったようだけど、名前の由来も書かれていないし、何しろ上物があっては確認もできないし、なんならこのポリ…ポリテクセンター奈良に出入りする方々に見られてちょっと気まずい…
弥生時代終盤のお墓や藤原京の道路や建物の跡が発見され、土器や包丁や瓦なども出土し、人々の生活の痕跡が見つかった場所だそうです。
建物が立っていてはこれ以上は研究のしようがないので、とりあえず事実として瀬田遺跡には来ました!ってことで藤原宮跡に移動することに(雑やな)。
天気も良くないし、藤原宮跡まではタクシーを呼んで運んでもらうことに。
私「藤原宮跡の朱雀大路までお願いします」…
しかしアレだ、この瀬田遺跡がある住所の「城殿(きどの)町」とは、ひょっとしてこの辺りは城下だったとか?と思って調べたら、この近くに「木殿(”きどの”または”こどの”)神社」という神社があり、「木殿」が転じて「城殿」となったようです。
地名になるほどの神社だから、それなりの歴史があるんだろうと木殿神社についても軽くチェックしてみると、創建や由緒も不明でした。
御祭神は天児屋命(あめのこやねのみこと)と素戔嗚尊の二柱。
嗚呼、なるほど!
ふむ、藤原宮と木殿神社、密接な関わりがありそうだぞ、これは。
天児屋命は中臣氏及び藤原氏の祖神とされている神。
藤原宮は天武天皇5年(676年)から造営されていて、694年に完成。宮を飛鳥からこの地に遷しました。
藤原氏の興りは、蘇我氏打倒に始まる645年〜701年の間の一連の国政改革、大化の改新(乙巳の変)。
そのレボリューションがうまくいったことに天智天皇(中大兄皇子)が「でかした!」と気をよくして(多分)、相方の中臣鎌足に「藤原」の姓を授けます。(中臣鎌足が藤原の姓を授けられたのは死の直前だったので、正確に藤原姓の使用を認められたのは子の藤原不比等から)
なぜ天智天皇は藤原姓をチョイスしたのか?
これは、藤原京があった大和国高市郡藤原という地名からとったそうな。シンプル。
7世紀から既に地名に市とか郡とかって使われてたのね。(大化年間に郡の制度ができたことがわかっています)
で!ですね、木殿神社の話に戻って、中臣氏(藤原氏)の祖神、天児屋命はいつからここに祀られたのか?ですが、どうやら江戸時代には牛頭天王(ごずてんのう)社と呼ばれていたそうで……
いや待てい!
藤原京があった時代と、ここに天児屋命が祀られ始めた時代が全っ然被ってないやん!!
てっきり、
「きっとこれは藤原宮をお守りするために、藤原姓を賜った藤原鎌足の子や孫が創建したに違いない。しかも藤原宮の裏鬼門に当たる南西に位置するから、藤原宮を守護する意図があってここに天児屋命をお祀りしたのではなかろうか!?」
とか勝手に妄想を膨らませて、その程で調べていたわ!
藤原宮があった時から江戸時代まで天児屋命なんて祀られてないやん!
なんやねん!関係ないんかいっ。ここまで時間と紙面を使ってちょっと損した気分!!
でもですね、牛頭天王は釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされる神仏習合の神で、祇園精舎は素戔嗚尊の本拠地ともされているところ。
つまり、牛頭天王と素戔嗚尊は神仏習合で同一神となっているわけです。
よって、素戔嗚尊が現在もお祀りされているのは納得。
且つ、牛頭天王は釈迦(仏教)と共に日本に入ってきてるので、牛頭天王社がこの場所に創られたのは、仏教伝来の6世紀(538年が有力説)以降というところまでは考察できます。
てことは、ひょっとして藤原京が造営される前からここにあった説浮上…藤原京よりも先輩かもしれん(笑)
でももっと後かもしれないし、わからないですね。
天児屋命が合祀されるようになったのは江戸時代からですが、藤原京があった時から約1000年も経ってるんですよねぇ。
もしかしたら天児屋命を牛頭天王社に勧請したタイミングで、社名を現在の木殿神社に変えたのかもしれませんね。
誰がどんな理由で合祀したんでしょうか。気になります。
タクシー運転手「ここが朱雀大路です」
私「この草のあたり、あっちの方までが全部朱雀大路ですか?」
タクシー運転手「そう。で、道路を挟んで逆側が藤原宮跡ね」
『史跡 藤原京朱雀大路跡』 指定年月日 昭和53年10月4日
ここは、藤原京の中央街路朱雀大路の跡です。ここから北200メートルのところに藤原宮の正面玄関(朱雀門)があります。その門から南にのびる道が朱雀大路です。
昭和51年発掘調査が行われ路面幅19メートルで、両側に幅約4メートルの溝をともなう大路であることがわかりました。芝生を張っているところが大路でバラスを敷き両側を石積みしてるところが側溝です。朱雀大路は京内を碁盤目状に走る街路のなかで、もっとも広いものです。
この大路は、ここからさらにまっすぐ南に日高山をこえ飛鳥川をわたって京の表玄関(羅城門)まで1.5キロメートルもつづいていたと推定されます。
朱雀大路は正月元旦の儀式や外国使節を迎える際の儀式など、国家的行事につかわれました。
昭和57年3月 橿原市教育委員会
ここからは全貌を見ることはできませんが、朱雀大路が続いていたとされる、この先の日高山(山というほどの高さはなく、民家が普通に建っている)を超えた先の飛鳥川のその先までを地図で確認してみると、結構な距離でした。
現在は途中から朱雀大路が消滅して普通の路地と民家といった風景になっていますが、藤原宮の壮大な規模が窺えます。
このポイントから北を振り返ると、
大和三山の一つ、耳成山(みみなしやま)が目に入ります。
畝傍山の頂上から見えたアレです。
その手前にポツポツと赤いものが見えるところが、藤原宮朝堂院南門跡。(おそらく案内板で「朱雀門」と書いてたやつ)
あんなに遠くに門があって、さらにその向こうに藤原宮の大極殿があるはずですが、…どんだけ広いんだ!!
ともかく近くまで行ってみよう。
10分ぐらい歩きましたかね?
どうやらここが、特別史跡・藤原宮跡の入り口!
てか文字うっす!!!
もしかしてこれは炙り出し!?というぐらいの薄さ…
特別史跡ですよ!?なんとか修繕できないものか…
ペンキで書いたろか?と思うぐらい気になる…
で、向こうに見える赤いポツポツが先ほどの朱雀大路の位置から見えた、藤原宮朝堂院南門跡ですね。
近くまで行ってみましょう。
……あ、あのね、写真ではただの草地に見えると思いますが、これね、めっちゃ湿地帯。
降り続く雨水が溜まりに溜まって。
草だと思って踏んだら足がそのまま浸水。
半ば諦めて浸水しながら歩きました(笑)
(帰りに駅とかで2回ぐらい靴下を履き替えたりした。家着いてから洗濯面倒と思って少しだけ洗っておいたのが良かった)
下の写真が横から撮影したもので、何が書いてあるか読めないのは、この案内板の下が深めの雨水池になってたから(笑)
朝堂院南門の説明書き。
ここに南門が築かれていたことは、1938年から1939年の調査で判明したそうです。
朝堂院とは、大内裏の正庁(大広間)です。
朝堂院があったところに列柱が立ててあり、位置や規模がわかるようになっています。
結構広いんですが、これが写真では伝わらない!
やっぱりここでもタバコの箱を置いて写した方が良かったか…吸わないけど。
朝堂院から北を望むと、耳成山の手前に別の赤いポツポツがあります。(めっちゃ遠いので見えにくくてすみません)
あれが大極殿院閤門跡(の列柱)。
大極殿は天皇が座す高御座がある朝廷の正殿のこと。
…近くへは行きません。
否、行けません。
更に水没するぐらいの湿地帯だったので(笑)
こう見ると本当に草地にしか見えないと思うんですが、マジで全箇所がトラップ。
あ!でもね、初秋には一面のコスモス畑が見られるみたいです!
写真で見たけどとっても綺麗でした!
ネット検索でも出てきますよ。
可能な方はぜひ10月あたりに訪れてみてくださいね٩(๑❛ᴗ❛๑)۶
…で、大極殿って実際どんな感じだったのか知りたいところですが、現存してるものはないのが残念…
誰か復元して欲しいなぁ…
…という願いを叶えることができる場所があります!
京都の平安神宮!
平安神宮は、平安京の平安宮を5/8スケールで復元されたものがお宮となっています。
平安神宮の外拝殿の部分が大極殿。
ここに立って朝堂院(大広間)を見渡すと、もれなく偉くなった気持ちに浸れます(笑)
藤原宮跡の大極殿の右…一本の木が生えてるところから更に右のところにも赤いポツポツがありますが、コレは朝集殿院(朝廷の臣下や官人が出仕する際の控え)で、東西にそれぞれあります。
見えにくいですが、下の写真の左側にある赤いポツポツが東の朝集殿院。
藤原宮は東に香具山、北に耳成山、西に畝傍山の大和三山に囲まれたところに建立されていました。
91. 東大谷日女命神社(ひがしおおたにひめみことじんじゃ)・畝傍山の記事内でも書きましたが、地形を見て意図的にここに藤原宮が建てられたのは明白で、風水の「四神相応(しじんそうおう)」を用いた観が拭いきれません。
現代の「四神相応」の一般的な解釈は、
となっていますが、中国起源の都市風水では「三閉南開」の形をとる地形とされています。
「三閉」とは東、北、西の三方が山で囲まれて、南が開けている形。
藤原京はもろにこの形を模していて、東に香具山、北に耳成山、西に畝傍山の大和三山が三方にあり、南には南を守護する朱雀の名をそのまま取った朱雀大路が配置してあり、バッチリ「三閉南開」に当てはまっています。
このことから、当時の人達は大和三山を青龍、玄武、白虎の聖獣(神)として崇めていたことが推測されます。
もしそうでなかったとしても、三方を山に囲まれたところに建立するということには恣意があるでしょうね。
また、藤原京の後の平城京、長岡京の更に後の平安京では、現代の「四神相応」の造りになっており、時の流れと共に「四神相応」の解釈が変化してきたことが窺い知れます。
藤原宮から西に見える畝傍山。
ここに来る前に、あの山の麓にある神武天皇陵へ行きました。
太古の人も藤原京からこうして大和三山を見ていたんでしょうね。
これにて今回の奈良の旅は終了。
最後は生憎の天気でしたが、奈良と日本の歴史の奥深さを改めて肌で感じることができました。
3世紀とか5世紀とか7世紀とか、遥か昔の”気”と”遺跡”が現代でここに棲まう人達の生活と融合していて、とても不思議な感覚にもなりました。
古来から、自然信仰(アニミズム)を強く抱いてきた私たち日本人の祖先が確かにここにいて、私たちと同じように家族を作り、生活を営んでいた。
連綿と続くその歴史の先に自分がいて、当時と同じ場所にこうして立っている…
そんなふうに考えると、更にここからまた続いていく先の未来に、私たちは何を遺し何を伝えていけるのだろうか…
また逆に、何を遺したいのか、何を伝えたいのか…
…なんてちょっと哲学めいたことを考えちゃいましたねー。
そんなこんなで関西国際空港へワープ。(ビューン!)
雨はもう上がっていて、用事の終わった雲が「さて、帰るか〜」とゾロゾロと引き上げていきました。
そしてなんと!
旅の最後にこんな景色が!
日暈です♪
奈良時代の人も、そのもっともっと前の縄文時代の人も、こんな日暈を見て神秘と畏怖を感じ、また恵をくれる太陽を”天照大御神”として祀ってきたのだろう。
読者諸君には、千歳空港に着くまでちょっとお付き合いしてもらいますよ。(綺麗な写真が撮れたので)
私の旅の楽しみは色々あるのですが、そのひとつが雲の上から見る景色。
「今、ISSの次に宇宙に近いところにいるぜ〜っ!」とか思ったり、日に照らされる雲海に見惚れてみたり、「未確認な飛行物体とか飛んでこないかな!?」とか目を凝らしてみたり、「宇宙に近い場所だと空の青が濃いなぁ〜。今これって宇宙を見てるんだなぁ〜」とか想像したり、乗ってるだけだけど色々忙しいんですよ。
今回もそんなふうにして窓に張り付いて(窓側席大好き)乗っていましたらば、見てよコレ!!
こんな珍しいものが見れました!
写真の赤い光の柱は、太陽柱(サンピラー)です!
太陽柱とは、上空大気中の氷晶(氷の結晶)に太陽の光が反射して生じる現象。
飛行機の翼の先に太陽が隠れています。
太陽柱というと寒い季節や場所でしか見られない、というのが通説になってると思いますが、実はそれは間違いで、夏であっても上空には氷晶が生成されるため、条件が合えばどの季節でも出現することがあります。
ただし普通の太陽柱でも激レアですが、夏場の太陽柱は尚更プレミア級激レア!!
こんなのを見ちゃったら、やっぱり神を感じずにいられませんね(*^ω^*)
この宇宙全てが神懸かりだなぁ〜って。
そろそろ到着です。
あー、とうとう帰ってきちゃったか〜!
旅行終わり!
そしてただいま。
奈良はまだまだ行きたいところがあったけど、今回はこれぐらいにしといたるわ。
明日香(飛鳥)の方とかも行けてないし…キトラ古墳とか石舞台古墳とか亀石とか益田岩船とか見たい…
また奈良に行った時にじっくり見てこようと思います♪
今回のシリーズも、長くお付き合いをいただきありがとうございましたm(_ _)m
奈良はとても良いところ。ロマンがたくさん詰まっていました。
寺社だけではなく、遺跡にもぜひ注目してみてください。きっと楽しめるはず。
次回は、一度北海道ネタに戻りまーす!
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