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函館市元町の船魂神社の次に向かった神社をご紹介します。
地名の通り、船が見渡せるような坂の上にある神社です。
御朱印はコチラ→ 御朱印 山上大神宮(やまのうえだいじんぐう)
『山上大神宮(やまのうえだいじんぐう)』
所在地 函館市船見町15番1号
御祭神 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
豊受大神(とようけのおおかみ)
倉稲魂神(うがのみたまのかみ)
木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
手置帆負命 彦狭智命(たおきほおいのみこと ひこさじりのみこと)
大国主命(おおくにぬしのみこと)
中筒男命(なかつつのおのみこと)
迦具土神 火産霊神(かぐつちのかみ ほむすびのかみ)
大己貴命(おおなむちのみこと)
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
社格 旧郷社
例祭日 7月16日
鳥居 住吉鳥居
社殿様式 神明造
【由緒】
社伝によると応安年間藤坊という修験者が当地に渡来、亀田赤川村神明山に草庵を結び伊勢神宮の御分靈を奉斎したことに始まる。明暦元年5月、尻澤邉村(現在の住吉町)に移転遷座し、箱館神明宮と称した。天和2年現在の西消防署弥生出張所付近に移転し、明治7年、従来の神明宮の社名を、この地の山ノ上町をとり山上大神宮に改称し、明治9年郷社に列せられる。同11年11月と翌12年12月に大火にて類焼、一時住吉町の住吉神社に仮遷座し、同15年9月、船見町85番地に社殿を新築して移転、同35年11月、同町125番地に移転改築された。同40年6月、神饌幣帛料供進神社に指定される。昭和5年6月、社殿以下全ての改築を行い同7年3月に竣功した。また、当神社は箱館戦争の折、榎本武揚率いる旧幕府軍に加わった桑名藩主松平定敬の御座所にも使用されている。
坂を登っていくとまっすぐ直線上に一の鳥居が現れました。
山上大神宮という名の通り、山の上に…というか山に溶け込むように穏やかにそこに在る神社です。
豪勢で活気のあるような神社もいいんですが、とても柔らかい空気感でこういう静かな時間を与えてくれる神社もとても好きです。
肉体を脱いで魂が空を泳ぐような、水に飛び込むようなそんな気持ちになります。(うまく言えない)
本来の自分が表に出てくる感じ。
身軽になるような感じ?
キラキラスピとかの話じゃなくて、気分的にそういう気持ちになります。
とても好きです。
境内も飾りすぎてなくて、それでいて綺麗に整備されていて、木も刈り込まれていたりして、ここの宮司さんの澄んだ心が見えるようで。
この日も雨の予報だったのに快晴になり小鳥が気持ち良さそうにずっと囀っていました。(気持ち良いかどうかは知らんけど)
不思議なんですが、神社へ行くと100%雨の予報でも晴れることがよくあるんです。
勝手にご加護かな〜って思っています。(キラキラスピ笑)
西暦で言うと1655年からの歴史があるこの神社、御祭神の数が今まで見てきた神社で一番多いです!
なんと十柱!
今までの1位は札幌市東区の列々布神社の九柱でしたが1柱リード!(笑)
この山上大神宮は由緒にある通り、戊辰戦争ファイナルである箱館戦争(史実では「函館」ではなく「箱館」の表記)の折、旧幕府軍に加勢した桑名藩主の松平定敬の御座所にもなっています。
新撰組の土方歳三が討たれ勝機を失った旧幕府軍。
幹部である榎本武揚はその後、新政府軍に降伏を申し出ます。
この交渉の場となった亀田八幡宮は次々回でご紹介する予定です。
戊辰戦争については函館護国神社の回で詳しく書いているので興味のある方はご一読いただければと思います。
戊辰戦争の決着をつける地となった函館。
もし、土方歳三が討たれず地の利が優って旧幕府軍が勝利していたら・・・
常に私たちは歴史の上に在るんだなと思うと何とも感慨深いですね。
そう、今だって歴史の最中です。
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