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熱田神宮の境内にある別宮、八剣宮と同じエリアにあるのが上知我麻神社(かみちかまじんじゃ)です。
なかなか覚えにくい名前ですよね。
上 知 我 麻 と書いて か み ち か ま。
熱田神宮の摂社になります。
因みに、今回は立ち寄らなかったけど境内の北西の角に下知我麻神社(しもちかまじんじゃ)もあります。
こちらは境内を一旦出て、外側から参拝する形になります。
御朱印はコチラ→ 御朱印 上知我麻神社(かみちかまじんじゃ)
『上知我麻神社(かみちかまじんじゃ)』
所在地 愛知県名古屋市熱田区神宮1丁目1−1
御祭神 乎止與命(おとよのみこと)
社格 旧式内社
例祭日
鳥居 伊勢鳥居
社殿様式 流造
【由緒】
(詳細別途記載)
まず、こちらの神社の御祭神の乎止與命とは?なんですが、日本武尊のヨメ、宮簀媛命のオトンになります。
宮簀媛命とその兄である建稲種命は熱田神宮の正宮の方にお祀りされているので、同じ境内にファミリーが揃ってるわけですね。
こういった事は珍しくなく、結構ファミリー単位でお祀りされてる神社は多いです。
でも現代の人みたいに苗字が同じとかじゃないので分かりにくいですけどね(^-^)
熱田神宮の一の鳥居をくぐらずに手前で左折し、その正面に見えるのが上知我麻神社です。
地図で言うと下の写真の黄色のマル印の位置です。
本殿の両脇にある小さな流造のお社はそれぞれ大国主社(右)と事代主社(左)。
毎年1月5日にこの両社の祭「初えびす」があって、お正月の風物詩としてたくさんの参拝者が訪れるそうです。
手水舎は参道から来て右手の方にあります。
由緒について、です。
この上知我麻神社、由緒や創建は不明とされていますが平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)である「延喜式」にその名があることから、その編纂以前からあったのでは?と言われています。
延喜式が編纂されたのは927年(延長5年)なので、それ以前に創建されたと言う事になります。
今から1093年前です。
また、この名前の由来ですが、上を取り除いた「ちかま」という言葉は”千竈(ちかま)”という昔の尾張国(愛知県西半分)の古い地名が元なのでは?というのが有力説になっています。
また、上知我麻神社と下知我麻神社があることについては、普通の解釈をすると2つの神社の距離感はどうあれ上知我麻神社が上(北)、下知我麻神社が下(南)にあったと想像できます。
また、それぞれが遙拝所だったのではないか、もしくは1つの「千竈神社」だったのが途中で上社と下社に分かれたのではないか、とも言われてます。
いずれにしてもはっきりとした創建や由緒はわかっていません。
ひとつ確実に言えるのは、
なんかかなり古いっぽい!!1000年以上とか前!
って事ですね(笑)
すみません、ちょっと写真がボケていました(笑)
社務所は八剣宮の対応もしてくださいます。
御朱印も上知我麻神社と八剣宮の御朱印の両方をこちらでいただくことができます。
御祭神の乎止與命は知恵の文殊様として篤く慕われており、受験シーズンになると合格祈願や絵馬奉納などで多くの参拝者であふれるそうです。
1000年以上、その信仰が変わっていないのが凄いなと思います!
これにて、伊勢神宮巡りは終了です。
場所だけでも8箇所行きましたかね?
今回も天候に恵まれ、とても良い旅になりました(^-^)
日本国民の総氏神、伊勢神宮へは是非何度でも足を運びたいです。
伊勢市の街も好きです!
出発の直前に色々あって行くかどうするかとても悩んだけど、無事に行って帰ってこれて本当に良かった!
天照大御神へ感謝の気持ちを心に、そして行く先々で親切にしてくださる方々との出会いや起こる出来事を楽しみに、これからも神社を巡る旅を続けたいと思います(^-^)
新型コロナウイルスが大人しく身を潜めてくれるのを願って…
上知我麻神社の御朱印の記事の次からは今回の旅で行った神社以外の記事をアップします!
おかげ横丁も♪(*´∀`*)
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