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松前藩があった道南の松前町で松前城と桜を見て、その奥にある松前藩屋敷も見学しようと松前城の後ろに回ると、そこには松前神社がありました。
ここに神社があることは全く把握してなかったので、油断していました!
『松前神社(まつまえじんじゃ)』
所在地 松前郡松前町字松城145番地
御祭神 武田信廣公(たけだのぶひろこう)
社格 旧県社
例祭日 8月5日
鳥居 明神鳥居
社殿様式 神明造
【由緒】
松前家にて当初松世祠を設け信廣公始め代々の神霊を奉斎したが、旧藩臣及び庶民は公の蝦夷地開拓の基礎を築かれた功績を追慕し、松前家にのみ委すべきに非ずとして神社創立の議起り、明治12年以来開拓使に出願して同14年2月8日許可せられ、旧福山城北の丸址を境内地に充て社殿を建立し、武田信廣公1柱の神霊を奉斎して松前神社と称した。大正4年の御大典に際し創立当初の社殿腐朽甚だしきを以て、時の函館支庁長河毛三郎氏慨然奮起し公の頌徳会を組織して神社の興隆を計り、同7年5月6日無格社より一躍して県社に列せられた。同年5月21日神饌幣帛料供進神社に指定せられた。同9年社殿改築に着手し同11年現社殿竣成した。昭和11年昭和天皇本道に行幸の際幣帛料を御奉納せられた。
御朱印はこちら↓
御祭神は松前氏の祖である武田信広公、一柱のみ。
元々は松前家で松世祠を設けて、信広公や先祖代々を奉斎していたのが始まりで、明治12年に開拓使の許可を得てこの地に社殿を建立し、その際に御神祭も信広公のみとしたようです。
ふと気が付いたんですが、例祭日が姥神大神宮と同じなんですよね。
姥神大神宮の方では武田氏、松前氏に関わる御神祭はお祀りされていませんが、やっぱり社紋や例祭日を見ても、なんらかの繋がりがありそう。
しかしこの桜と神社って絶対に間違いない組み合わせ!
実に日本らしい画。
松前城の方には人が結構いましたが、お城の裏側の方まではあまり散策に来ないのか、人影もまばらでした。
手水舎の手水鉢の形が可愛かったんです!(水は張ってなかにったけど)
日本の伝統文様の「松」っぽいけど、違うかなぁ?
丸みを帯びた形がいいですね♪
社殿は大正11年に改築され、現在の姿になりました。
神社幕と社紋は丸に武田菱。
前回の松前城の記事でも触れましたが、松前氏の家紋は、祖である武田信広の武田家の家紋を用いています。
因みに、かの有名な戦国武将、武田信玄は丸がない武田菱(四割菱)です。
拝殿から見える風景は、松前城と桜を眺めることができ、この場所を境内地にした意味がわかるような気がしました。
ここから、御祭神である武田信広公にこの松前の地を見守っていて欲しい、という願いを込めてこの位置に建立したのではないかな。
桜の名所らしく、開くと桜の形になる「さくらみくじ」というのがありました。
”三角みくじ”には天然石が入っています。
2本の寄り添うイタヤカエデの木は、縁結びの木。
まだ季節的に葉が茂ってない上に、この角度からだと2本の木があるように見えないな…アングル間違えた。
と、この境内には実に不思議な梅の木がありました!
一本の梅の木から、紅白の花が咲くんです!
こんな風に!
京都御所から移入された「御所錦(ごしょにしき)」という梅の木だそうです。
とても不思議ですね〜!
ネットで検索してもこのような梅の木は松前公園の木以外に見つけられませんでした。(もっと念入りに探したらあるかも)
本家本元の京都御所でも「御所錦」というと、木によって花の色が紅と白がありますが、一本の木に紅白の花が咲くものはないようです。
どういう仕組みでこのように咲くんでしょう?
この世界にはまだまだ好奇心をくすぐるものに溢れていますね♪
紅い花だけまとまって咲いてる枝もありました。
明治維新の頃に新政府が設置した箱館府にいた松前藩士の田崎東は、箱館戦争(1868年)で榎本武揚軍に敗れて、第13代松前藩主の松前徳広と共に青森の弘前に逃げ落ち、その後、箱館戦争での怪我が元で亡くなりました。
享年27歳。
こんなに若いのに…と現代の一見して”平和”という環境の中で色々考えてしまいますね。
境内の椿も見事に咲き誇り、桜と梅の中で真紅が色を添えていました。
足元にはタンポポと雛菊も共演。
北海道の短い春の始まりです。
この後は、松前公園の更に奥にある、松前藩屋敷(を再現したテーマパーク)へ向かいます。
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