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前回の旅の続きです。
江差町では史跡を見学し、最後はこちらへ。
北海道最古の神社と言われる、姥神大神宮(うばがみだいじんぐう)!
遠くて見えんか。
一応この道は姥神大神宮の参道になります。
ちょっと接近。
昔の神社の参道って、現代ではだいたい舗装された広い道路になっていますが、それだけその神社へ通う人が多いということの証左でもありますね。
『姥神大神宮(うばがみだいじんぐう)』
所在地 桧山郡江差町字姥神町99-1
御祭神 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
住吉三柱大神(すみよしのみはしらおおかみ)
春日大神(かすがのおおかみ)
社格 旧県社
例祭日 8月5日
鳥居 明神鳥居
社殿様式 流造
【由緒】
創立年代不詳。社伝によると、江差の津花に天変地異を予知し住民に知らせ、神のように敬われていた折居(おりゐ)という老婆が草庵を結び住んでおり、ある日鴎島の巌上に現れた翁から小瓶を授かり、その中の水を海に注ぐと鰊が群来するとの啓示を受け、水を海に注いだところ鰊が群来した。その後老婆は忽然と姿を消し、草庵に残されていた老婆の祀る5体の御神像を人々が小祠を建立し姥神としてお祀りし、後に老婆も祀ったとある。当初は津花町浜手に鎮座していたが、正保元年に現在地に遷座、安永3年老婆の神霊は折居社として現在地に遷座された。松前藩政時代には鰊漁業の祈願社として永久祈祷を仰せ付けられ、例祭には檜山奉行が派遣されていた。文化14年7月正一位姥神大神宮の勅宣額を拝戴する。明治4年12月郷社に列せられ、同17年4月県社に昇格、明治4年に至るまで、毎年松前家より米3俵と75銭が奉納されていた。合併により合祀された歴史をもつ御祭神館稲荷神社 倉稲魂神 文政12年9月創祀。山祇神社 大山津見神 文化3年創祀。神明神社 天照大神 創立年代不詳。赤沼神社 大名持神 明和8年3月創祀。八幡神社 稲荷神 譽田別神 創祀年代不詳。山祇神社 大山津見命 文政元年9月。八幡神社 誉田別命 倉稲魂神 延宝9年創祀。豊丘神社 天照皇大神 慶応3年創祀。
(御朱印はこちら↓)
由緒を要約すると、鰊の群来の啓示を受けた特殊能力を持つ老婆の「折居(おりゐ)」さんが忽然と姿を消した後に、折居さんの家で祀られていた5体の神様を模った像を町の人々が小祠を建てて祀り、更にそこに折居さんを祀ったのが始まりのよう。
姥神大神宮がこの地に鎮座したのは正保元年(西暦1644)。安永3年(西暦1773)に老婆・折居さんの神霊を「折居社」として境内に鎮座。
姥神大神宮は松前藩時代から明治4年(西暦1871)まで、松前家から米3俵と75銭の奉納を毎年授かっていたそうです。
函館の船魂神社が1135年頃の創建で、姥神大神宮の前身である祠は鎌倉時代の創建という説があり、どちらも北海道最古を謳っています。
鎌倉時代は1180年からなので、船魂神社の方が先なのかなぁ?とも思いますが…
これも、「古すぎて正確な年数がイマイチわからんけど、とりあえずどっちも日本最古ってことでいいんじゃね?」という奈良県の大神神社と石上神宮のような感じで、どちらも北海道最古ってことで!(笑)
古すぎて確かな記録もないなら、どちらが先ってのは断定できないですからね。
こういう、どちらも”立てる”ところが日本らしくて好きかも(笑)
ひとつ疑問が湧きました。
社号に「神宮」と付く神社は、基本的に御祭神が皇室の祖先や皇族に縁の深い神社であることが多いのですが、姥神大神宮も天照大御神をお祭りはしているものの、系統的に関係が深いのか否か?
もうひとつ疑問が。
御神紋が花菱なのは、住吉大社の神様を勧請してるからなのか、それとも松前藩の藩主松前氏の始祖の武田信広の武田家の家紋を用いたのか?(松前藩が治めていた地域に江差町も入っていたのか?)
実は住吉大社と武田家は繋がりがあるんですよね。
武田信玄の祖先である源頼義(みなもとのよりよし)が住吉大社に戦勝祈願に参拝した折、御信託を受けて住吉大社から鎧を賜り、それが後に武田家の家宝となるのですが、この鎧に住吉大社の御神紋の花菱が装飾されていて、武田家はこれを家紋としたんだそうです。
また、武田信玄は割菱の家紋のイメージが強いですが、花菱の方を愛用していた、という説もあります。
武田家の女性が家紋を用いる際は、柔らかさを出すために花菱にした、という話もあります。
手水舎には水中花が飾ってありました。
華やかさが出ますね♪
拝殿が思ったよりも立派!
社額に「勅宣」の文字。
由緒にもありますが、姥神大神宮は文化14(西暦1817)年7月に第119代・光格天皇から正一位の勅宣を与えられています。
拝殿の右に目をやると…
梅と桜が交差するように咲き誇っていました。(きれー!)
天満宮の狛犬さんのもなかなか年季が入ってますねぇ。
勝手なイメージだけど、この狛犬さんは姥神大神宮を創建した当初のもので、現在拝殿の前にあるのは新たに奉納された狛犬さんではないかなぁ?
古くなった狛犬を廃棄するようなことは、神社はあまりしないんですよね。大体が境内のどこかに置かれてる。
また、式年遷宮などでもあるように、社格が上のお宮で使われていたお社の材料などは、その摂末社などがお下がりとして有り難く利用することが多いんですよね。
この辺りに、日本独特のものを大事にする「もったいない」精神が垣間見えるんですが、この狛犬も同様にお下がりで姥神大神宮本殿からのお下がりじゃないかなぁ?
別の神社で見かける、300年〜400年ほど前の創建の狛犬と風化具合が似ているので、そんな風に見受けられました。(勝手な想像です)
老婆・折居さんをお祀りする折居社は元は江差港の入り口、江差町花津町浜手にあって(折居さんが住んでた場所か?)、そこから姥神町の現在の折居社跡の場所に折居さんが祀っていた御神像5体(何の神かは不明)を移し祀り(後に折居さんも祀る)、正保元年(西暦1644)に現在地本殿に御神像を遷座し、安永3年(西暦1774)に折居さんのお社も遷座した、ということのようですが、最初の御神像5体と現在お祀りしている天照大御神、住吉大神(三柱)、春日大神(四柱)の合計の数が合わないんですよね…
ということは、最初の御神像と現在の御神祭がどこかで置き換わったのでしょうか?
由緒には天照大御神を合祀した記録はありますが、住吉大神と春日大神を合祀したという内容は見当たりません。
すると、最初の5体の御神像とは別に、新たに姥神大神宮にお祀りする神様を勧請したのか?
港町なので海の神様の住吉大神をお祀りするのはわかりますが、春日大神は?
どういう経緯があって勧請されたのか気になるところですなぁ。
折居さん教えてー。
この鈴鹿甚右衛門という方は江差の発展に多大な功績を残した人です。
が、案内板では1819年に江差に生まれたとなっていますが、ネットで調べると1819年に江差ではなく近江に生まれて、1820年代に父親と一緒に江差に渡ったと書かれていました。
どっちが正しいんだろ?
甚右衛門さんの父親は呉服商を営んでいて、父親の死去によって2代目を襲名し家業を継いだそう。
姥神大神宮の拝殿左側には、末社の海神社 風神社・金刀比羅神社があります。
1866年、強風によって民家に大きな災害が出て、漁業の安全祈願のためにも風神社をここに建立し、当時の龍神社という社号を1868年に海神社と改めた、と。
金刀比羅神社は、神仏分離政策によって、明治4年(西暦1871)に正覚院というお寺からこちらの神社に合祀となったようです。
神仏分離令(政策)とは、神道の国教化政策を行うため、明治政府が明治元年(西暦1868)3月から、神社から仏教的な要素を排除するために実施した政策です。
境内は町の規模に比べて広めですかね。
江差町が栄えていた時代があったことの証。
まだ咲いていませんでしたが、椿の木もありました。
御守りや御神籤がなかなかバラエティに富んでいて、見てるだけでも楽しかったです。
桶に入ってるのもイイ!(´∀`*)
絵馬も数種類ありますね!
ニシンの絵のにしんみくじと絵馬のセットや、土鈴の蛙と亀の交通安全御守りに、…
恋じゃなくて鯉みくじ、そして釣竿で釣り上げる一年安泰じゃなくて安鯛みくじ!
なかなかシャレが効いてる(=´∀`)
絵馬とのセットではなく、にしんみくじだけのもあります。
可愛い(*´ω`*)
カラフルおみくじはピンクで統一。
授与所の反対側に、模型山車館というのがあります。
姥神大神宮の例大祭、姥神大神宮渡御祭は北海道指定無形民俗文化財に指定されています。
姥神大神宮渡御祭は御神輿に山車が13台もお供する、370有余年の歴史と伝統を誇る行事。
夜の姥神大神宮渡御祭(文化遺産オンライン)の様子がとても圧巻で、これは是非一度見てみたいもんです。
その山車を模型で再現したのがこの模型山車館。
ガラスが反射してあまりちゃんと見えませんが、これらがズラズラと町を練り歩く姿を想像するとウハウハしますね!
祭り好きとしてはタマラン光景です。
姥神大神宮渡御祭は毎年8月9日〜11日までの3日間執り行われます。(例大祭とは別)
旅行で北海道の夏を満喫するついでに、姥神大神宮渡御祭も旅のスケジュールに入れるのは如何でしょうか?(^-^*)
姥神大神宮からは江差の海が見えます。
現在はこんな感じですが、ニシン漁と北前船の往来で栄えていた頃は、海がもっと近くて目の前の建物も少なく、港の活気をここから一望することができただろうと思います。
時代の移り変わりと共に、物を運ぶ手段も飛脚、船、飛行機と変化し、昔は数日〜数ヶ月かかっていたのが今では数時間で物を運べるようになりました。
船でさえ画期的だと当時の人は思ったでしょう。事実、それが日本の文化と歴史を動かしもしました。
このあたりのことは私が好きな小説家、司馬遼太郎の『菜の花の沖』(高田屋嘉兵衛が主人公)でもよく描かれています。
こうして時代を振り返ると、今は便利な世の中だなぁと心底思います。
運送業者の方が数日間で、しかも最短で翌日、更に指定した日時に荷物を届けてくれるなんてことも、本来ならすごいことなんですよね。
北前船が盛んだった時代の人が聞いたら驚愕とすること請け合い!
そんなことを考えながら、江差町を後にし、次の目的地である松前城がある松前町へと向かうのでした…(続く)
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ようやく時間に余裕が戻ってきて、ブックマークしたきりのネット版「積ん読」になっていた神社ブログ記事を久方ぶりにじっくり読ませていただいています。
「神宮」の名がつく神社は皇室由来あるいは所縁のところが多いというお話、これまた寡聞にして存じませんでした。これを知っているだけで、読みとれる情報が全く変わりますね。
お忙しい中、時間を割いて読んでくださってありがとうございます。
全く寡聞なんかではないと思います!ネタがマニアックなだけです(笑)
そうなんですよね、一つ知ると更にそこから波及する情報が自ずと入ってくるので、そこが「知る」ことの楽しさだと感じています(^-^)