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たまたまなんですが、なんと訪れた神社の記念すべき100社目が、瓊瓊杵尊が高天原から降り立った、日本神話の始まりの地、高千穂の天岩戸神社というね!
天岩戸伝説が残る天岩戸神社の奥には、天岩戸隠れの際に神々が集まってここで相談した、という伝説がある天安河原があります。
高千穂神社の次は、その天岩戸神社と天安河原へ向かいました。
『天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)・西本宮』
所在地 宮崎県西臼杵郡高千穂町岩戸1073番地1
御祭神 大日霎尊(おおひるめのみこと) 【天照皇大神の別称】
社格 旧村社・別表神社
例祭日 5月2・3日
鳥居 神明鳥居
社殿様式 神明造
【由緒】
古事記(こじき)、日本書紀(にほんしょき)等に皇祖天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)は御弟素盞鳴尊(すさのおのみこと)を御避け遊ばして暫く天岩戸(あまのいわと)へ御籠り遊ばされた事を記して居ますが、当神社は其の霊蹟天岩戸(あまのいわと)を斎ひ奉る神社です。
境内社殿の背後断崖の中腹に御窟あり天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)籠らせ給ひし処と伝へ、古より其の御神域を御神体としてお祭り致して居ります。
社殿は東本宮(ひがしほんぐう)と天岩戸(あまのいわと)直拝の西本宮(にしほんぐう)と岩戸川(いわとがわ)の渓谷を挟み相対して御鎮座ましますが東本宮(ひがしほんぐう)関係の昌泰(しょうたい)年間の記録に天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)、天岩戸(あまのいわと)より御出ましの節、思兼神(おもいかねのかみ)其の御手を取りて東本宮(ひがしほんぐう)の土地に御造営の御社殿へ御鎮りを願ったと記してあります。
弘仁壬辰三歳中秋には三田井(みたい)候の遠祖、大神大太惟基(おおかみたゆうこれもと)公霊夢に恐惶して頽廃せる社殿を再興し深く其神明を崇敬したと申します。
又神社に由縁の舞楽として岩戸神楽(いわとかぐら)三十三番の古雅なる手振を宮司社家代々伝へ氏子達習ひ伝へて祭典に奉奏する外、毎年十一月下旬より二月初旬にかけ、各集落において、民家に〆かざりして終夜舞続け黎明に及びて岩戸開(いわとびら)きと称するを舞納むる慣習があります。
住時名士の此の地を訪ふ者も多く寛政の奇士高山彦九郎(たかやまひこくろう)の参詣紀行あり薩摩の歌人八田知紀(はったとものり)礼参し、水戸の烈土井上主人義秀(いのうえもんどよしひで)等八名参籠して俳句「落つるには 手もなきものよ 蝸牛(かたつむり)」を残して居ます。
又大宝の昔京都神祇宮卜部朝臣(うらべあそん)参拝の記録あり相当古くより中央に認られて居た事が考えられます。
皇室の崇敬も厚く秩父宮殿下、秩父宮妃殿下、高松宮殿下、三笠宮殿下、朝香宮殿下、常陸宮(義宮)殿下を始め皇族、侍従の代参等、度々の御参拝がありました。
御朱印はこちら↓
むむ、この鳥居にあるしめ縄…
前日、泊まったホテルのエントランスに掛けてあったものと同様に、前垂れが、3本、5本、7本と並んでいます。
子供の健やかな成長を願う七五三や、家紋でも五三の桐、五七の桐などがあるように、奇数(陽)は縁起が良いとされていて、これは中国由来の暦による考え方だそうです。
それとは別に、日本では「八」を尊重することが多いですよね。
「八百万(やおよろず)」「八千代(やちよ)」といった言葉のほかに、末広がりで縁起が良いとされたり。
朝早かったので、まだ参道へ続く道に連なるお店は開いていませんでした。
天照大御神と天手力雄命。
今にも岩盤をぶん投げそうですね!
この日向の土地はとにかく神話まみれであちこち行きたくなるのですが、時間に限りがあるので宮崎県ではこの天岩戸神社西本宮と、その奥にある天安河原、そして天岩戸神社東本宮だけに絞りました。
まあまあ広そうな境内。
とにかくグングン進んでみましょう!
参道の右側から水が流れる音が…
覗いてみると沢がありました。
岩戸川というこの渓流は後に五瀬川と合流し、大河となってやがて太平洋へと注ぎ込まれます。
清らかな水の音を皆様にお届け。
朝の静けさの中の参拝はいいですね♪
由緒で説明されていますが、この天岩戸神社・西本宮は、例の天照大御神が引きこもった天岩戸が御神体となっている神社です。
拝殿の背後に先ほどの岩戸川が流れていて、その対岸にある洞窟が天岩戸です。
参道をひたすら直進。
お!?
「天岩戸」の洞窟を見ることができるとな!?
これはぜひ拝観させていただきたい!
神職さんの案内によって拝観は可能で、途中からシレーっと合流しても大丈夫なようなので、それまであちこち見ておきましょうかね〜っと。
徴古館には、この辺りで発見された偉大の遺物が多く展示されています。
天安河原から戻ったら、徴古館の中を見ようと思ってたのですが、すっかり忘れてました(笑)
緑が多くて心地よい。
御朱印はこちらでいただきます。(参拝を済ませてからにしましょう)
こちらにも高千穂で発掘された、古代の品々が展示されていました。
境内は広く、参道は意外と長いので、疲れたらここで休憩してくださいね。
この更に奥に拝殿があります。
お!
美味しそうなニワ…
この鶏は東天紅(とうてんこう)という種類の鶏で、天岩戸神話で、天照大御神を天岩戸から引っ張り出すドッキリの時に、宴の開始の合図で長鳴をした鶏が東天紅だと言われています。
鶏小屋を奉納された方のお名前に惹きつけられた(笑)
明治天皇の御製。
一つ目は「天照大御神」と「天を照らす太陽」をかけていますね。
その威光が開けゆく世を正に表している、という意味かな?
二つ目は、目に見えぬ神に対して、少しも恥ずかしくない清らかな心でいられることこそ誠である、という感じでしょうか。
誰かが見ていなくてもお天道様は見ているので、誠実で後ろめたさのない人生を送りたいものです。
これは古札やお守りを納めるところ。
秋篠宮殿下・妃殿下と佳子内親王殿下が参拝あそばされた際の記念樹。
何の木なんだろ?
ちゃんと見ておけばよかった。
ちょっとね、可愛い灯籠を見つけまして。
灯籠のてっぺんに梟がちょこんと(*´∀`*)
祓所は茅の輪くぐりのようなものがあしらわれていました。
参道の一番奥に拝殿があります。
拝殿の瑞垣の門がなかなか重厚。
一礼して門の中へ。
瑞垣の中にある、御神木のオガタマ(招霊)の木。
天鈿女命が天岩戸の前で踊った時に手にしていたのが、このオガタマの木の小枝。
拝殿の後ろからちょうど太陽が昇っていました。
建築様式は伊勢神宮と同じ神明造。
やっぱりこの造りの方が重厚感があって好きだなぁ。
この拝殿の後ろに、御神体とされる天岩戸があります。
と、ここで神職さんと神職さんから説明を受けつつここまで案内された参拝者の方々がやってきました!
ナイスなタイミング。
拝殿の前で神職さんから軽く説明があり、横に施錠された鉄格子を開け、拝殿の裏へと案内されました。
そこにあったのは、大きく口を開けた洞窟!
天岩戸です。
入り口には注連縄。
眼下には岩戸川が流れていて、天岩戸には近づけないようになっています。
気のせいだと思いますが、その洞窟を見てると異空間にいるように感じるから不思議。
天岩戸を見ながら、天岩戸神話について、この神社が創建された由来についてなど、神職さんが色々レクチャーしてくれます。
神職さんから直接ご教授いただけるなんて、とても貴重!
日本神話を知ってる方なら誰しも疑問に思う、高天原にあるはずの天岩戸がなぜこの地上にあるのか、については、記紀に書かれる神話の部分は、そこに意味(含み)を持たせるように描かれている、と神職さんからのお話がありました。
意外とそのあたりも率直に説明してくれるんだなぁ…と感心。
ここで聞いたお話を全部書いてしまうと、まるで映画のネタバレのようになってしまうので、ぜひ直接参拝に伺って、神職さんと共に天岩戸の前で神話と太古の昔に想いを馳せながら、色々なお話を聞いてみてくださいね。
天岩戸は聖域につき撮影禁止なので、皆さんにはその景色をお届けできないことをご了承ください。
拝殿の表に戻ってきて、また軽く説明を受けて神職さんによる天岩戸神社ガイド終了。
参加者から神職さんへお礼と拍手をして解散です。
案内をしてくださった神職さんへのお礼のお気持ちはこちらの箱へ。
神楽殿は、この向こうにある天安河原の遥拝所でもあります。
奥に天岩戸を模した絵。
天井にある切り絵が非常に気になったんですが…
これ、前の日の夜にホテルでいただいた栞に描かれていた、紋章のような絵柄のシリーズですね!
これらの由来を神職さんに聞けばよかった〜!
気になって仕方ないし、悔やまれる!
さて、ではいよいよ今回の一番の目的地である、天安河原へ向かいますか!
この記事の締めに、帰りにまた会った東天紅さんをば。
鶏って色々な種類がいるけど、雄鶏の羽って本当に綺麗ですよね。
神様は色んなものをこの世界に作ったもんだ(*^ω^*)
(よくネタが尽きないな笑)
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