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太宰府天満宮、前回の続きです。
御朱印はこちら↓
参道が左に折れるところまで進んで来ました。
この向こうまた先ほどまでの活気とは違い、日本庭園を思わせるような風景が。
こちらの鳥居が前の記事で軽く説明した五の鳥居です。
南北朝時代の1300年頃の九州最古の鳥居で、指定重要文化財。
筑後有坂城(久留米市田主丸)城主、新田大炊介(にったおおいのすけ)という人物からの寄進です。
太宰府天満宮の景観からは想像できませんが、社殿の奥の方に遊園地があるんですよ。
ちびっ子たちには人気のようです。
狛犬さんの奉納年月日の確認はしていませんが、見るからにかなりの年季が入った歴代ものの雰囲気を醸し出しています。
堂々としていて、いい狛犬さんだ!うん!
参道の途中に心字池という「心」の形を模った池があって(日本庭園において「心字池」はよくあるそうです)、そこに太鼓橋を渡らせてあります。
緑の中に朱色が生えますね。
太鼓橋の手前を右に行くとお食事処と、季節になると白や紫の菖蒲の花が咲き誇る菖蒲池があります。
心字池の真ん中の噴水が涼しげ。
太鼓橋の中間の中島に末社の今王社があります。
その昔は、太宰府天満宮へ参拝に来る途中に”穢れ”にあった場合など、本殿にて参拝ができない時に代わりにこちらで手を合わせていたそうです。
遥拝所のような感じかな?
この木は楠でしょうか?
なんかすごい生え方をしていました。
とても大きな木で、根っこから湧き出る生命力がすごかった!
池の向こうにあるのは太宰府幼稚園。
御神紋の梅花紋(うめはなもん)が付いていますね。
なぜ太宰府天満宮の御神紋が梅花紋なのかは後で記載しますが…
更にもうひとつ、橋の途中に小さなお社があります。
こちらの志賀社は長禄2年(1458)に建てられ、海の神である綿津見三柱神(わたつみのみはしらのかみ)をお祀りしています。
綿津見三柱神とは、底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)、中津綿津見神(なかつわたつみのかみ)、表津綿津見神(うわつわたつみのかみ)の三柱のことです。
恐らく、福岡県福岡市東区志賀島に鎮座する志賀海(しかうみ)神社の神様を勧請したのでしょう。
志賀海神社は創建が明らかにはなっていほど古いものですが、2世紀〜4世紀に現在の場所に綿津見三柱神がお祀りされていることが伝えられています。
なので、太宰府天満宮の志賀社よりも1000年前からの歴史があります。
ところで、綿津見三柱神と同様に海の神といえば、大阪の住吉大社でお祀りされる住吉三神ですよね。
こちらも底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)の三柱からなります。
この綿津見三柱神と住吉三神に共通しているのは、どちらも黄泉の国から帰った伊邪那岐尊が海で禊をした時に生まれており、底、中、表の三柱から成っている海の神だということ。
単純に、綿津見三柱神も住吉三神も海の神で同一なのかと思いきや、記紀(古事記と日本書紀)ではしっかりと底津綿津見神と底筒男命、中津綿津見神と中筒男命、表津綿津見神と表筒男命がセットで生まれています。なので、同一ではなくてニコイチのセット神になっているんですよね。
綿津見三柱神と住吉三神、どういう役割分担なのかははっきりとわかりません。
が、これは憶測ですが、もしかして和魂と荒魂のように、本体は1つだけど2つの性質を表しているのでは?
というのも、日本書紀では綿津見三柱神を「小童」と書いて「わたつみ」と読ませているのです。対して、住吉三神ですが、「男」の付く神は例えば素戔嗚(須佐男)命とか、天手力男命のように荒々しい神が多いですよね。(…あれ、「男」が付く神って他に誰かいたっけ?笑)
よって、綿津見三柱神も住吉三神も同じ海の神で同時に生まれてるけど性質が違うことが推測されます。
和魂と荒魂でなくても、ニュアンス的に何かしらの役割分担がなされていそうですよね。
また興味深いのが綿津見三柱神と住吉三神は、たいてい同じ地域にどちらも祀られていること。
生まれる時も底、中、表と綿津見三柱神と住吉三神が対になって生まれてきてるので、一緒の場所におらねばならぬ理由が何かあるんでしょうね。
ちなみに(しつこい)、綿津見三柱神を祖先神にするのは阿曇連(あずみのむらじ。阿曇=氏、連=豪族などの地位を表す)。
住吉三神を祖先神にするのは、天照大御神の孫にあたる天火明命(あめのほあかりのみこと)の流れを汲む田蓑宿禰(たもみのすくね)の子孫である津守(つもり)連。津守連は世襲で住吉大社の宮司を務め、それは大正12年まで続きました。
この津守連、新羅征伐から帰還した神功皇后を出迎えに行った際に、神功皇后から「住吉三神の神功があったから、筑紫(現福岡市博多区住吉に住吉神社がある。全国に2,129社ある住吉神社の中でも最初の神社と云われている)から住吉三神の和魂を御魂分けしてもろて、私と一緒に大阪へ連れて行きなさい」的なことを言われます。これが大阪の住吉大社が創建されたきっかけとなりました。
ゆえに、大阪の住吉大社には住吉三神の他に神功皇后も祀られているというわけ。
阿曇連と津守連もまた何か繋がりがありそう。
6世紀以降に日本各地に個々に成立していた海人(あま)集団がひとつの氏にまとめられ、阿曇氏はその代表の氏となった説があります。
この”個々成立していた海人集団”の中に津守氏があったんじゃないでしょうかね?
「津」には港を指す意味があります。港を守るから津守という氏になったのではないでしょうか?
いずれにしても海とは関わりが深い氏のはず。津守氏が住吉三神の御分霊を大阪に運び込んでいることも考えれば津守氏は元は福岡にいたのでしょう。よって、福岡の阿曇氏と大阪の津守氏は元は同郷の民ということが推測できます。
あかん、志賀社だけでこんなに尺を取ってしまった!いつも陥るパターンや…
というわけで、社殿が独特で重要文化財にもなっている志賀社のご紹介でした。
更に歩を進めると、右手に摂社の楓社が。
楓社に祀られているのは、宣来子命(のぶきこのみこと)。
聞き慣れない名前ですよね。
この方は、菅原道真公の正室の島田 宣来子様です。
父は道真公の師の一人といわれる島田忠臣。
更に参道を進みます。
と、出た!!麒麟像!!
太宰府天満宮の麒麟像、ずっと見てみたかったんだよなぁ〜。
日本橋にも麒麟像がありますが、このような聖獣って感じではなく、翼もあって西洋の龍みたいなフォルムですよね。
日本橋の方は明治44年(1911)に完成したもので、国の重要文化財にもなっています。
太宰府天満宮の麒麟像は、嘉永5年(1852)に博多の町人たちによって制作・奉納されたもの。県指定文化財。
中国では、「徳をもって世を治める王者が表れた時に、麒麟が姿を見せる」と伝えられており、菅原道真公の生き方と重ね合わせて作られたそうです。
大河ドラマで明智光秀を題材にした『麒麟がくる』というのがありましたが、個人的にアレ好きだったなぁ〜。
謀反者のイメージが強い明智光秀ですが(実際に謀反は起こしたんだけども)、彼にまつわる色んな本を読んでると、世間的なイメージとはちょっと違った感覚を持ちます。
……話がそれました。
で、この麒麟像、元は2体あったのですが、戦時中に金属提出を求められて1体は……だそうです。(一人ぼっちになって悲しい)
それも時のさだめというものでしょうかね……
注目したいのが、麒麟像の後ろ姿!
立髪がすごい!
そもそも麒麟ってなんなん?
wiki先生によると、
形は鹿に似て大きく背丈は5mあり、顔は龍に似て、牛の尾と馬の蹄をもち、麒角、中の一角生肉。背毛は五色に彩られ、毛は黄色く、身体には鱗がある。古くは一本角、もしくは角の無い姿だが、後世では二本角や三本角で描かれる例もある。
「麒角、中の一角生肉」???
生肉?生で食べられるの??
違う、そうじゃない。
「麒角」はツノのことで、「中の一角生肉」とは、その角には肉がかぶさっているという意味。つまり痛くない角(柔らかい)ってことらしいです。
続いて、
普段の性質は非常に穏やかで優しく、足元の虫や植物を踏むことさえ恐れるほど殺生を嫌う。
神聖な幻の動物と考えられており、動物を捕らえるための罠にかけることはできない。麒麟を傷つけたり、死骸に出くわしたりするのは、不吉なこととされる。
とありました。
殺生を嫌って虫とか植物でさえ踏むことを躊躇うとかめっちゃええ奴やん。
ていうか、ジブリ映画『もののけ姫』のシシ神様みたいですね。
アレはもしかして麒麟をモデルにしたんじゃないかなぁ?今思いました。
その麒麟像の横で棒の上に何か乗っかってますが、これは鷽(うそ)像。
実在する鷽(うそ)という鳥の像です。
独特な造形センスですが、実物はこんな感じ。
かわいー!
し、綺麗な羽色!
スズメ目の小鳥さん。こちらはオスで、メスはもうちょっと地味な色合いでした。
鷽は、嘘を誠と替え人々に幸せを運ぶと信じられている鳥。(「うそ」の語呂あわせ)
太宰府天満宮には、”かつて御本殿造営中に蜂が境内に巣を作ってしまい作業が滞っていたところ、鷽の群れが訪れ、蜂を追い払った”という伝承が残されており、今でも守り鳥として大切にされているそうです。
この鷽像も県指定文化財となっています。
この麒麟像と鷽像の後ろにあるのが末社の人丸社。
御祭神は柿本人麻呂命。
菅原道真公よりも約200年前に生きていた柿本人麻呂がなぜここに?
色々調べてみると、柿本人麻呂はこの九州にも来ていたようで、その旅路で歌も遺していました。
また、万葉集の代表的な歌人なので詩歌の神様→学問の神さまと慕われていたらしい。
菅原道真公との直接的な関係性は見つけられませんでしたが、どちらも属性が学問ということで、柿本人麻呂もここに祀られるようになったんでしょうかね?
人丸社の横には、「和魂漢才碑」があります。
「和魂漢才」とは、漢字に精通しつつも日本精神を失わない様にと、いう意味。
菅原道真公の子孫、菅原為定という人の書。
麒麟像とかに夢中になってたら、六の鳥居を写し忘れて、どうにか六の鳥居が写ってる写真はないかと探し出したのがコレ。
左右の柱しか写ってないし、しかも反対側(本殿側)からの写真……
盛大にミスった。
……終わったことだからもういいや!
そしてもう楼門が目の前です!
と、その前に、手水舎で手と口を清めなければだわ。
やや!?手水舎の奥にもお社がある。
水神社とあります。
更にその奥には番の鹿の銅像と、太宰府天満宮の御神紋の梅花を模った石板。
手水舎にも神様がいて、参拝者をお守りしているんだなー…なんて思いながら手と口を濯ごうと思ったら!
なんと石板の底に亀さんがいました。光の反射で見にくいけど。
一枚岩の中央に除災延齢を意味する神亀が掘り込まれています。
ご利益がありそうですね♪
手水舎の奥にある建物は宝物殿。
今回はちょっと時間がないので、恐らくスルー。
参道を挟んで宝物殿の向かいにあるのが社務所。
やたらでかい!
太宰府天満宮の規模を表していますね。
本殿の瑞垣の外にも御神牛がいました。
瑞垣の中にもいるので、チェックしてみてくださいね。
いくつ探せるかな?(て言うほどいないかも)
この御神牛のアングル、我ながら◎。
楼門の前にもしっかり狛犬さんがいて、挙動不審な奴が紛れ込んでいないかセキュリティに努めていました。
お疲れ様です!
では、いよいよ楼門の向こうへ!……
といったところで、次回へ続く〜٩(๑❛ᴗ❛๑)۶
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