神社・仏閣ランキング
ポチポチしていただけると喜びます
前回に引き続き、櫛田神社の後編です。
早朝に訪れたため、まだ授与所は準備中。
授与所が開くまでの間、境内をぐるっと散策します。
こういう看板があるとありがたいっすね!
摂社・末社を記事にするときにいつも「何の神様だっけ?」と、その神社のHPで情報が載ってるページを探したり、自分で撮った写真と見比べて「これか?いやこっちか?」とやったり、別の方が参拝した際のサイト記事にヒントはないか探しに行ったりと、意外と大変な作業なので(汗)
では早速散策。
本殿から瑞垣を左に出て、本殿の背後、右側へと回っていきます。(順路に決まりは特になかったはず)
一つ目は夫婦恵比寿神社。
御祭神は事代主神と玉櫛姫神。
夫婦神の御神徳は、夫婦円満とか縁結びが基本ですね。
こちらもご多分に漏れず。
櫛田神社の例祭の一つである博多祇園山笠は、国重要無形民俗文化財に指定されています。
これがめちゃくちゃ大きかった!
コインを入れると祭囃子とナレーションが流れる機械があります。
凄いですよね、高さ13mほどのこれを牽いて練り歩くんですから!
横に倒れないか心配(;´-`)
この櫛田神社の飾り山笠は毎年7月1日に作り替えるそうです。
(古いやつはどうするのかな?)
お祭り好きとしては、この大迫力の博多祇園山笠を一度でいいから見てみたい!
公式サイトがあったので貼っておきます。
博多祇園山笠公式サイト
トップページだけでも熱が伝わってくるようですね!
博多では「銀杏」と書いて生えてる木も「ぎなん(ぎんなん)」と呼ぶんですね。
私の地元・札幌では生えてる木は「いちょう」、焼いて食べる種子は「ぎんなん」です。(ぎんなん好き。お店にあったら絶対食べる!最高!)
何やら大きな石がゴロゴロと……
これは「力石」。有形民俗文化財に指定されています。
現在は力自慢の証のようになっている「力石」ですが、本来は、神霊の依坐とされる石を持ち上げ、豊凶・天候や武運などの神意を伺う”石占い”だったそうです。
古来、博多では相撲を職業とする人もいたそうで、現代の角界の方々が持ち上げた石も!
神輿殿の先は、裏参道。
ちょうど本殿の背後になります。
石堂宮には大きな石がお祀りされていました。(アップで撮ってなかった)
石堂宮とは別のお社の石堂神社では、吾田片隅神(あたかたすみのかみ)と宗像三神が祀られていました。
このマイナーな名前(失礼)の吾田片隅神と宗像三神は深いご縁がありそうで、それについては108. 宗像大社(むなかたたいしゃ)・前編 〜福岡県宗像市〜で「答えの出ない考察(笑)」を繰り広げてるので、興味がおありの方はぜひ。
福岡と広島には濃い関わりがありそうなんですよねぇ。
二十二社では天神地祇(てんじんちぎ)の二十二柱をお祀りしています。
こちらのお社は末社群で、全部で8社(合祀も入れると12社)あります。
- 松尾神社 大山咋神(おおやまくいのかみ)
- 諏訪神社 建御名方神(たけみなかたのかみ)
- 金刀比羅宮 大物主神
- 皇大神宮 豊受比賣神(とようけひめのかみ)
- 竈門神社 奥津彦命(おきつひこのみこと)・興津姫命(おきつひめのみこと)
(合祀)淡島神社 少彦名神
(合祀)白鳥神社 日本武尊 - 今熊野神社 伊弉冊命
(合祀)手置帆負神社 手置帆負命(たおきほおいのみこと)
(合祀)少彦名神社 少彦名神社 - 松木天満宮 菅原道真公
- 石堂神社 吾田片隅神(あたかたすみのかみ)・宗像三神
聞き慣れない名前の手置帆負命は、天照大御神が天岩戸から出た後に住んだ瑞殿を造った神様。
林業の神様とされています。
注連懸稲荷神社(しめかけいなりじんじゃ)はもちろん倉稲魂命が御祭神。
どこの稲荷神社でも、連なる鳥居が良いですよね〜。
奥に見えるのがお社です。
急に風情のある建物が出現。
大正5年に、大正天皇が福岡県での陸軍特別大演習に行幸されたことを記念して、大正天皇が滞在した福岡県庁内の御用材を使い、同じ県庁内に大正天皇行幸記念殿を建て、昭和31年にここに移されました、ということのようです。
庭の真ん中にある大きな石板のようなものは、慶長5年頃に造られた博多大水道という運河の石蓋だそうです。
「自然埋没した」と書かれてるので、埋没したあとの運河に被せてたってことなんかな?
池には錦鯉。
網が張ってありました。
窮屈そうに見えるけど、鯉サイドからしたら水の中にしかいないからどうでもいいのかな。
錦鯉って高価なので、盗難防止のための網でしょうか?
なんとも物騒な世の中になったもんで……
下の写真のこの記念碑にある川上音二郎という人物は、1864年に生まれた博多出身の芸人さん。
上京する際に、自分が生まれ住んでいた土地家屋を櫛田神社に寄進しました。
外国でも舞台演劇をやり、シェークスピアを日本に紹介した、芸の道の功績者だそうです。
熱田神宮には日本三大屏の信長屏がありましたが、櫛田神社には博多べいがある!
もっとも、信長塀と博多べいの趣旨は違いますが、塀っていうのは何かと持て囃されるものですね。
熱田神宮にある信長塀は、桶狭間の戦いの勝利を熱田神宮の神様に祈願した織田信長が、見事敵を打ち破って勝利をおさめることができたので、そのお礼に奉納したもの。
色々な神社を見て回ってると気付くのですが、戦国武将ってとても信仰心が篤いんですよね。(武将に限らず、その時代に暮らす民皆がそうだったのかも)
普段から神仏を敬うだけではなく、願いが叶ったらきちんとお礼をする、という礼儀がありました。
今はどうでしょうか?
恋愛だの試験だの昇進だの、個人のお願いをしに神社へ行く人は多いですが、その願いが叶った後にきちんとお礼に行ってるって人は少ないんじゃないでしょうか?
私はキラキラスピリチュアルとかはやっていないので、「神ガー」とか「波動ガー」とか「光ガー」っていう趣味は全然ないし(量子力学でいう可視化できないエネルギー体は在ると思う)、神社でお願い事はしません。せいぜい内観をするぐらい。
が、神様仏様〜!とすがって個人的な願いを叶えてもらいに行ったならば、そしてその願いが叶ったならば、自分が信じてる神様にお礼の一つや二つ言うべきかと思います。
私が神様なら、自分が辛い時だけ都合よくすがってきて、助けてやったのにその後は知らんぷり…みたいな人の願いなんて叶えてられんわ!そんならもっと努力してる人に力を使いたい!……ってなります。
いや、そんな心の狭い神様はいないか……
というか何の話をしてるんだ。
博多べいに話を戻して、この塀、ゴロゴロとした石が埋め込まれています。
これは、豊臣秀吉が天下を獲り、博多の町を整備する際に、戦災で山積した瓦礫や焼石を使って作られたためです。
ただ撤去するんじゃなく、こうして塀を作る材料にしてしまうのは、古来日本人の”もったいない”というエコ精神を感じますし、当時の博多の人たちの「町を建て直すんだ!」と言う気概も感じますね。
ちなみにこの博多べいは、別のところにあったものを保存のために櫛田神社に移設再建したものだそうです。
なぜかここが気になって写真を撮ったのですが、結局なんだかわからず…
昔の井戸でしょうか?
紙垂がかけられるところを見ると、何か特別な場所ではありそうなんですが…(神職さんに聞けばよかったな)
本殿の左から瑞垣を出て、背面をぐるりと周り、本殿の右側まで来ました。
瑞垣の中では、巫女さんがせっせと朝のお掃除に邁進。
更に瑞垣の外側を散策。
境内社はこのお社で全部かな?
こちらには二社入ってました。
菩薩様と権現様。
神仏習合の軌跡ですね。
境内散策の最後はこれ。
櫛田神社のもう一つの御神木で福岡県文化財の、「櫛田の銀杏(ぎなん)」。
樹齢1000年と言われています。
「櫛田の銀杏」は長寿延命のシンボルとされていて、博多祝い唄の『祝いめでた』で「さても見事な櫛田のぎなん 枝も栄ゆりゃ葉も繁る」と歌われてもいます。
社務所も授与所も開きました。
では御朱印をいただきましょうかね〜っと。
修学旅行生もわらわらーっとやってきて、賑わってきました。
御朱印もいただいたし、見るところも全部見たし、私はこの辺で撤退。
今回の九州の旅も充実した時間になりました。
若い頃は海外の方が興味があって海外も何度か行ったけど、10年前にとある夢がきっかけで国内の神社・史跡巡りをするようになってからは、歴史ってこんなに面白いものなのかと国内旅行ばかりしています。
綺麗なだけだったりメジャーな場所を単に訪れるだけの”観光”とかではなく、その土地の歴史・史跡に基づく場所を攻めて、あーでもないこーでもないと考察するのが楽しくて仕方ない。
時間を巻き戻せるなら、学生の頃にしっかりと歴史の勉強をしておきたかった……とも思いますが、逆に学生の頃に真面目な生徒だったら今みたいな価値観は持ってないでしょうし、日本の歴史教科書(左寄り)を鵜呑みにして、わかった気になっていただけだったかもしれませんね。
時間的にも財力的にも自由にあちこち旅行できる大人になった今だからこそ、歴史探索も楽しいと思えるのでしょう。
(オバハンの自分語り)
さて帰ろ。
これにて九州シリーズ終了!
次回からは広島シリーズ!
またよろしくお願いします。
人気ブログランキング
ポチポチしていただけると喜びます
この記事へのコメントはありません。