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<前回の記事>
其の弍からの続きです。
厳島神社の社殿の中を東から西へ巡ってきました。
社殿から出た先には大願寺(だいがんじ)というお寺があり、そこから右手(東方面)へ行くと現在の寝殿造の厳島神社を建立した平清盛を祀る清盛神社があります。
近場から見ていこうということで、厳島神社の社殿の外は大願寺からスタート。
まだまだ海水は上がってきていません。
時間は10時半をすぎたあたりかな。
見えにくいですが、山門(お寺の門はこう呼ぶらしい)には「亀居山」の文字があります。
このお寺の正式名称は亀居山放光院大願寺といって、高野山真言宗だそう。
やっぱり空海が安芸国から比較的近い讃岐国出身なので、当時はこの辺りでも空海熱が高かったのかもしれませんね。
白檀で彫られた大きな不動明王さんが鎮座するのがこちら!
……肝心の不動明王が見えない。
どこかで写してないかと写真のフォルダをくまなく探してみたけど、どこにも見当たらなかったです(困)
お寺はなんか不慣れで、こんな風にどこをどう撮っていいのやらって感じでポジションが定まらない(笑)
とりあえず大きな線香立ては撮って起きます。
こちらは水子地蔵。
お地蔵さんは奉納できるんですね。
ほんと神社専門すぎて、お寺は滅多に立ち入らないので結構無知だわー。
大願寺の向かいにあるのは宝物館。
後で時間があったら入るかな。
せっかくなので町中の様子を見つつ、柳小路という通りを抜け清盛神社へ。
古めかしい家屋が良い雰囲気を醸し出しています。
柳小路から右に折れてまっすぐ進むと西松原にでます。
西松原は厳島神社の参道の対岸にあるエリア。
枝ぶりの良い松がたくさん植えられていて、ここから見る大鳥居もなかなか良いものでした。
こちらが厳島神社の末社の清盛神社。
松の間に朱の色が映えますね。
確かに松の姿が美しい。
『清盛神社(きよもりじんじゃ)』
所在地 広島県廿日市市宮島町28-1
御祭神 平清盛(たいらのきよもり)
社格
例祭日 3月20日
鳥居 明神鳥居
社殿様式 一間社流造
【由緒】
昭和29年3月19日鎮座。
昭和27年(1952)が平清盛公の没後770年にあたる事から、昭和28年に清盛公の遺徳を顕彰するため、清盛神社を創建すべく奉賛会を組織し、摂社三翁神社から分祀した新しい神社である。
創建は意外と新しく、昭和29年とのことです。
平清盛といって思い出すのは『平家物語』です。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵におなじ。
(『平家物語』第一巻「祇園精舎」より)
小学校の頃に暗記させられましたが、ウン十年経った今も意外としっかり覚えてるものですね〜。
栄華を誇った者も、永遠には続かずいつかは朽ちる。
これは何世紀と時を重ねても普遍ですね。
何事にも終わりは来る…
清盛神社の近くに、「清盛茶屋」もありました。
西松原から島の陸地側に橋が架けられていて、ショートカットで渡れます。
ここから東に向かうと『宮島水族館 みやじマリン』があって、更に奥へちょっと進むと、厳島神社の摂社で重要文化財の大元神社があります。
神社の木陰で鹿さんたちがのんびり過ごしていました。
動物を見るとついつい近寄ってしまう。
流石に熊とか虎には近づかないけど。
そして鹿さんはお尻が白いのが可愛い。
この大元神社、重要文化財なのに認知度が低いのか、私が長居してる間中、誰も参拝に来なかったんですよねぇ。
もったいないなぁ…
創建の年月は不詳ですが、『伊都岐島社神主佐伯景弘解』という仁安3年(1168)の文献に「大伴社」と記載があるので、多分大元神社のことだろうね、ということです。
年季の入った狛犬さんがいい!
真新しいよりこれぐらい時の流れを感じるものが好き。
『大元神社(おおもとじんじゃ)』
所在地 広島県廿日市市宮島町10
御祭神 大山祇神(おおやまつみのかみ)
保食神(うけもちのかみ)
国常立尊(くにのとこたちのみこと)
社格
例祭日 1月20日
鳥居 神明鳥居
社殿様式 三間社流造
【由緒】
鎮座年月不詳。
仁安三年(1168)「伊都岐島社神主佐伯景弘解」に大伴社と記述があるのが現在の大元神社と考えられる。
現在の本殿は大永三年(1523)に再建されたものである。
大元神社は長浜神社と恰も向かい合い両社が御本社の両翼を成し、毎年旧暦の6月17日の管絃祭の時、御両社とも沖合の御座船上で祭事を執り行い管絃が奏される。河内屋武平の三名がその選に入ったので、その頃の町内の大工棟梁が打ち寄り、永遠に模範となるような物に組上げたものである。
現在の本殿は、大永3年(1523)に再建されたもの。
ちょうど今から半世紀前。
大元神社の御祭神と共に相殿神として祀られているのが、厳島神社を創建した佐伯鞍職(くらもと)で、この人物が厳島神社の初代の神主。
前述した『伊都岐島社神主佐伯景弘解』のタイトルにある佐伯景弘、この人物は鞍職の子孫です。
鞍職は飛鳥時代の人で、景弘は平安時代の人なので、景弘は鞍職よりも10世代以上先の子孫になるのでしょうか。
この景弘、なかなかに世渡り上手なタイプのようで、平安時代末期には平家に取り入ってその保護のもと厳島神主家は栄え、平家滅亡後は源氏によって樹立された鎌倉幕府に取り入って栄え、その後30年あまり繁栄を続けました。
あざとさも一族を守るため。生き抜くためには必要な時もあるよなぁ〜なんて思ったりしますね。
この奥に見えるの朱塗りのが本殿。
手前の神額には「大元大明神」の文字。
また鹿さんたちの中へ戯れに(笑)
宮島の鹿と奈良の鹿は同じぐらいのサイズですかね。どちらもニホンジカの種。
我が地元、北海道に生息する鹿はエゾシカと言って、ニホンジカよりも1.5倍〜2倍ぐらい大きい。(決して大袈裟ではない!)
肩の位置とか高いし、雄とかまあまあ迫力ありますよ。
札幌市に住んでいても、山に近い地域に行かない限りはなかなか生の野良鹿を目撃することはあまりないけですけどね。
あまり島の中心部から離れてしまうと戻るのが大変なので、ここらで厳島神社の方に引き返します。
途中の道にこんな穴があったんですが、お地蔵様が納まってた場所かな?
島の中心部にも厳島神社の摂社と末社がいくつあります。
それらもできる限り巡りました。(いうても満潮までの時間潰しでもある)
『金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)』
所在地 広島県廿日市市宮島町朧町
御祭神 大物主命(おおものぬしのみこと)
佐伯鞍職(さえきのくらもと)
社格
例祭日 11月10日
鳥居 明神鳥居
社殿様式 一間社流造
【由緒】
鎮座年月不詳。
大正四年に留守口恵比須神社を、昭和三十八年に大願寺鎮守住吉神社をそれぞれ合祀した。
本殿内の玉殿は京都御所御造営の時、全国から棟梁が四十七人選ばれたが当島の晒屋重蔵、橘屋幸右衛門、河内屋武平の三名がその選に入ったので、その頃の町内の大工棟梁が打ち寄り、永遠に模範となるような物に組上げたものである。
こちらの末社・金刀比羅神社は四国は香川県にある金刀比羅宮からの勧請ですね。
全国に約600ほどある金刀比羅神社(または琴平神社)の総本社は、香川県の金刀比羅宮です。
金刀比羅宮の社伝によれば、創建が1001年だそうなので、こちらの金刀比羅神社がここに鎮座されたのは1001年以降となりますね。
金刀比羅神社の境内に植えられていた木に実が成ってました!
これってザクロですよね!?
ザクロ好きなんだよな〜…(食べたい)
厳島神社を挟んで反対側に移動。
朝から気になっていた五重塔のところへ!
この下からのアングル良いですね〜。
奥にお堂のようなものもある。
次回はこの階段の上をウロウロ徘徊します!
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