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厳島神社(いつくしまじんじゃ)・其の弍 〜広島県廿日市〜


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<前回の記事>

広島県は宮島にある厳島神社続きです。
いよいよお社の中へ。

今はまだ干潮ですが、これが満潮になると海の上に浮かんでるような趣に。
こんな場所に社殿を建てよう!って発案をした佐伯鞍職(くらもと)っちって、もしかしたら結構ロマンチストだったのかもですね。

満潮になっても社殿が浸水することは基本的にないので、当時の技術で海に被らない高さというのを緻密に測って建てたのがすごい。
それはつまり、今も昔も潮が満ちる時の海抜は、ほぼほぼ変わっていないということでもありますね。

社殿の中に、独立した状態ではなく組み込まれた状態で摂社があるというのも、またあまりない造りかなぁと思います。

「客」と書いて「まろうど」と読みます。
五柱の神様が祀られています。

客神社

客神社から後ろを振り返るとこんな風景。

向こうにそびえるあの五重の塔が気になるので後で探検しに行く!

札が立っています。

厳島八景の一
鏡の池
清水が湧き出ており 潮が引くと 手鏡のように見える ことからこう呼ばれる
秋の月とともに読まれた 歌が多く伝わっている

鏡の池

確かに手鏡のフォルム。
しかし、滲み出ているのが海水ではなく清水?淡水なんでしょうかね??
気になるから味見してみたい。(多分怒られる)

社殿の中は迷路みたいに回廊が張り巡らされています。

人気のない回廊の方は改装中か何かで、幕で覆われていました。

元来た回廊に戻ります。

回廊から望む参道と客神社

厳島神社の拝殿向かって左から、先ほど見てきた客神社の正面を捉えることができます。

こちらは祓戸かな?
違ったらゴメン。

厳島神社拝殿の正面には平舞台があって、そこに高舞台が乗っています。

高舞台から海に突き出したところを「火燃前(ひたさき)」と言います。

高舞台から望む火燃前

元禄15年(1702)の『厳島道芝記』には、火燃前は「舌先(したさき)」と表され、天保13年(1842)の厳島図会では「廊嘴(したさき)」になっていて、そこから一体どんな理由で「火燃前」となったのかは不明ですが、明治期からこの呼び方をされるようになったもよう。
多分、単に訛ったか伝言ゲーム的にかで「ひたさき」になり、それに当て字をしたんじゃないかなーと想像。

火燃前の先端には青銅製の灯籠があるのですが、人気スポットで全然割り入る隙がありませんでした(笑)

火燃前先端の灯籠は諦めて、代わりに火燃前手前の左右の灯籠を撮って不満解消(笑)

門客神社(東側)

拝殿に向かい合うように左右に門客(かどまろうど)神社があります。
その名の通り、主祭神から見てお客さんとして扱っている神様を祀っています。

東側の門客神社櫛石窓神(くしいわまどのかみ)

門客神社(西側)

西側の門客神社には豊石窓神(とよいわまどのかみ)が祀られていました。

拝殿前の立派な狛犬さん。

そして、もったいぶりましたが、こちらが厳島神社の拝殿です!(でもさっきチラッと写ってた)

拝殿

……逆光で見えにくい…。

この奥、正面です!(まだ見えにくい)

近くで見るとこんな感じです。

別角度から。

拝殿から振り返った風景

ここから大鳥居を望む景色が素敵でした。
約1000年も前からある景色。

拝殿を抜けて西側の回廊へ。

艶やかな朱色とは違って、渋い造りのものが。
回廊がそちらの方まで続いてるので後で見れるかな。

たくさんの奉納された樽酒は、各地の銘酒が勢揃いですね。

ふと目を引いたのは、写真左側にあるキッコーマンの樽。
これ、実はお酒ではなくキッコーマンゆえに醤油樽で、「御用蔵醤油」という特別なもの。

気づいた方もいるかもしれませんが、厳島神社の御神紋とキッコーマンの紋が同じ亀甲なんですよね。
厳島神社の御神紋は「三つ盛り二重亀甲に剣花菱」。
亀甲は神の常在を示す紋とされていて、中の剣花菱は神が宿る依代(よりしろ)という意味があるそうです。
厳島神社の神様は宗像大社宗像三女神なので「二重亀甲に剣花菱」を3つにした、と想像します。
キッコーマンの方は、大正の時代、今の千葉県野田市に設立されたのが最初で、現在の社名「キッコーマン」は、醤油の商標「亀甲萬」に由来するそうです。
香取神宮が鎮座している千葉県の亀甲山(かめがせやま)の”亀甲”と、「鶴は千年 亀は萬年」の”萬”から命名したものだそうで、これが後に社名となるわけです。
とてつもなく縁起の良い醤油、社名ですね。
そのおかげか、現代では日本人なら知らない人がいないぐらいの知名度とシェアを誇っています。
名前に願いを込めるのって大事ですね…って、醤油の紹介をするブログではない!

というわけで、キッコーマンのロゴが亀甲なので、もしかして厳島神社と何か関係が?と思ったら、特に関係はなかったようです(笑)

社殿の中の摂社はまだあります。

御鎮座の年月は不明ながらも、天文6年(1537)の『房顕覚書(ふさあきおぼえがき)』にて「大黒」との記載があって、それがこの大国(だいこく)神社ではなかろうか、ってことらしい。
確かに、読みが同じですもんね。

相殿神に保食神(うけもちのかみ)がいて、厳島神社の本殿にお供え物を運ぶ前に、ここに安置していたみたいです。

大国神社

厳島神社本殿を横から。

こちらは重要文化財天神社

天神社

祀られているのは天神様(菅原道真公)ですね。

毛利隆元(もうりたかもと)が「天満宮」として建立したのが始まり。別名「連歌堂」。

毛利隆元は、広島城の初代城主である毛利輝元のオトンです。
41歳で急逝しますが、毒殺とも食あたりともされていて真相は不明。
この時代って暗殺とか普通にあって、前の日に宴に招待されてたっていうのでこれは…と邪推をしてしまうわ。

絵馬が作る影が綺麗でした。

天神社の拝殿は派手さはないですが、逆にこれが良い。
歳を重ねると、こういう古いものや地味なものの良さがわかるようになってくるんですよね〜(笑)

さっき見えた渋い建物は能舞台と、能楽屋でした。

能って実際に観たことがないので、一度観たいなぁと思ってるんですが、なかなか機会が…

能舞台

海の上の舞台で演じる姿を観るなんて、なんて風情があることでしょうか。
今みたいに物が溢れていない時代に、こんなダイナミックな娯楽を当時の人は楽しんでいたんですね。
羨ましいと思うのは、無いものねだりだろうか。

この反橋は重要文化財に指定されています。

拝殿西側の回廊の端の方まで来ました。

早く満潮時も見たいですね!

社殿の外にはお寺もありました。
こちらは大願寺。

社殿の西側には御手洗川という細い川が流れていて、その向こう側に土産屋などが立ち並んでいます。

清盛神社…この社殿を建立した清盛っちが、別のところにちゃんとお祀りされているのね。
後でそこも行かねば!

厳島神社の社殿の中は以上!
ここからは社殿の周りとその近辺を散策します。

其の参へ続くー!



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