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四国二日目、金平狸(金森大明神)のいる大宮八幡神社の次はこちらに参拝。
先に見えるのは、目的の神社の”東の鳥居”。
”一の鳥居”とかじゃなくて”東”ということは、西もあるの?と思って調べてみたら、やっぱり西も存在しました。

東の鳥居から車で直進1分。
大鳥居が見えてきました。

下の写真の場所は「御旅所(おたびしょ)」といって、お神輿が巡行する際に休憩する場所です。

車を停めるため、一旦境内の裏手へ。

妻入造の可愛い交番もありました。
で、今回やってきたのは、愛媛県松山市にある伊豫豆比古命神社(いよづひこのみことじんじゃ)。
通称、椿神社とも呼ばれています。

『伊豫豆比古命神社(いよづひこのみことじんじゃ)』
所在地 愛媛県松山市居相二丁目2番1号
御祭神 伊豫豆比古命(いよずひこのみこと)
伊豫豆比売命(いよずひめのみこと)
伊与主命(いよぬしのみこと)
愛比売命(えひめのみこと)
例祭日 旧暦1月7日〜9日(椿祭)
鳥居 明神鳥居
社殿様式 王子造(=熊野造)
【由緒】
「椿神社」「お椿さん」は、松山市内・四国四県で特に敬称を込めて呼ばれていますが、この由来は、『往古、伊豫豆比古命・伊豫豆比売命の二柱の神様が舟山(境内図参照)に御舟を寄させ給い、潮鳴栲綱翁神(しおなるたぐつなのおきなのかみ)が纜(ともづな)を繋いでお迎えした。』との伝説が示すように、神社周辺は一面の海原でありました。『津(海の意)の脇の神社、すなわち「つわき神社」が時間の経過と共に「つばき神社」と訛った。』との学説の一方、民間伝承では、現在も境内一帯に藪椿を主に、各種の椿が自生していますが、「椿の神社」つまり「椿神社」と呼ばれるとの説話があります。
大政奉還が行なわれて幕政が閉じられ、廃藩置県の実施を見て明治を迎えましたとき、伊予の国8藩も例外に漏れず、現在の愛媛県が誕生しました。県名策定に際し、古事記・日本書紀にも記されている、当神社の御祭神の一柱、愛比売命から県名とされましたが、都道府県名に御神名を冠されたのは、愛媛県のみのようです。(伊豫豆比古命神社公式サイトより)
なんと2,300年以上も前からある伊豫豆比古命神社。
そして恐らく都道府県で唯一、県名になった神様(愛比売命)を祀る神社です。

車払所もあります。

神門から参道を振り返った眺め。

遠〜くに東の鳥居が見える。
こう見ると結構長い参道ですね!

それでは神門を潜って境内へ。

……広っ!!!!
広すぎてカメラに収まりきらなかったので三分割で!(パノラマか広角で撮れば良かったか?)



摂社もいくつかあるし、これは全部見るのにそこそこ時間がかかりそう……

水盤の底に紅白の梅……じゃなくて、これは椿ですね。

伊豫豆比古命神社の別称である「椿神社」は、”この辺りに椿が群生しているから”という由来の他に、”津(海)の脇の神社という意味の「つわき」から転じて「つばき」に変化した”という説があります。
地図を見ると、海とは”近い”といえる距離にありませんが、これは現代の話。
遠い過去の日本では海面がもっと高く、戦国初期ごろまでは日本の陸地はもっと少なかったのです。
現代と比べて2mほど差があったそうなので、そう考えると”津の脇”というのも信憑性が増しますね。

伊豫豆比古命神社はお狸様と無関係かと思いきや、さすが四国。
この神社にも”たぬき伝説”があって、この御神木の大楠に「お紅さん」という雌狸が住んでいるということです。
姿形や詳しい伝承は不明ですが、それなりに信仰を集めているお狸様だそうです。

文学の町・俳句の都松山を代表する俳人といえば正岡子規。
彼の俳句にもこの椿神社は詠まれています。

拝殿への階段下に、椿の形の可愛い絵馬がたくさん掛かっていて、風に揺れてカラカラといい音が鳴っていました。

その階段の真ん中と両脇に建てられた石柱の上に乗っている黒い玉の柄をよーく見たら、ひとつずつに干支の絵が掘られていました!
花柄かと思ったら違った。
いや、更によく見たら椿の花の絵が彫られているので、花柄ではある!
よって、全部で12個あります。
こういうのって自分の干支を探したくなりますよね。
ちなみに上の写真は巳と馬、下の写真は辰と未。

自分の干支の辰はやっぱりカメラに収めておきたい。

拝殿へ来てみると、回廊があることに気付きました。
参拝したらぐるっと回ってみよう。

あっ、そしてこの隠れポイントは皆さんにお伝えしておきたい!
拝殿で手を合わせたら中の天井を仰いでみてください。
色とりどりの、こんな綺麗なたくさんの椿の絵を見ることができますー。

よく見ると椿の種類も微妙に違うんですよ。
是非ご注目ください。

伊豫豆比古命神社の授与所では、オリジナルのご朱印帳をいただけます。
この御守りにもなっている巫女さんのキャラクターの名前は、「冨久椿(ふくつばき)」ちゃんです。

摂社の児守神社と将軍八幡神社の御朱印もあります。


「絆守り」は、数枚の欠片を合わせると一つのお守りになるというもの。
その手があったか!というような、なかなか工夫されたお守りですね。
厄玉とか土器(かわらけ)とかって、投げつけて割るの気持ち良さそうだなーっていつも思うけど、なんとなく一人で憎しみ込めて思いっきり投げつけてるのとか誰かに見られると気まずくてできない(笑)
あ、別にストレスが溜まってたりツイてないことが多いわけでもないです!


厄玉祓の岩の場所は、境内の右側の奥。
陰になった場所なので思いっきり投げつけてるところを誰かに見られる心配はなさそう。
……でもリスクゼロではないよなぁ。

拝殿横にも絵馬掛けがあります。

さあ、では回廊の中へ参ろう。……

鼠、そして牛……ふむ、この流れは干支ですな。

多くの神社を巡っていると、回廊に大きな十二支の絵が掛けられていることがよくあります。
この伊豫豆比古命神社でも同じように十二支が描かれていました。

なぜ十二支を掲げてるのかというと、十二支は方角や時間を象徴するものではありますが、この場合は主に魔除けや参拝者への守護をしてもらうために十二支たちに居てもらっています。

そういうことを知ると、その神社の想いを感じられて有り難くなりますね。

十二支は中国由来なので、神社よりも寺院の方が回廊で十二支に出会うことが多そうですね。
私は神社専門でお寺はあまり行かないのでわかんないけども、きっとそうだと思う。

ちょっと余談で、十二支の起源って実は木星の運行だったりします。
12年かけて地球を一周する(そう見える)木星の運行を12分割して、それぞれに子、丑、寅……と名前をつけました。
この十二分割した時に用いている漢字は、本来は順序などを表す時に使う漢字(数詞)であって、干支になっている動物の漢字と違うのはそのためです。
その干支の動物たちも、文字が読めない人たちにもわかりやすいように、覚えやすい動物を後から割り当てられたものです。
つまり、十二支というのは天文学が元になっていたんですね。
同じく天文学を元に、時世を読み解いたりする陰陽道でも十二支は活用されています。

ふと中回廊をみると幣殿への出入り口が……
これはちょっと入ってみ…てはダメだな!我慢。

中回廊にはたくさんの灯籠が立ち並んでいて綺麗でした。

本殿真裏。
庶民が行ける神様に一番近いポジション。

お天気が良くて、木漏れ日…というか灯籠漏れ日が綺麗でした。

先ほどの冨久椿ちゃんがこれでもかってぐらいに密集してる!
……なるほど、さてはただの神社のキャラじゃないな!?
「古冨久椿の納所」ということは、冨久椿ちゃんには願掛けか何かのお役目があるのか。
己を犠牲にして、誰かの願いを今日この瞬間も叶えてるのね。尊い。

はい、回廊をぐるっと回って出てきました。
良い天気ー!
今回はここまで。
後編では摂社とそれ以外の場所をご紹介します!
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