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四国2日目!
いつものように朝から活動です。
この日の一発目は、大宮八幡神社。

『大宮八幡神社(おおみやはちまんじんじゃ)』
所在地 愛媛県松山市上野町甲51
御祭神 應神天皇(おうじんてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
武内大臣(たけしうちのおほおみ)
豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
田心姫命(たごりひめのみこと)
湍津姫命(たぎつひめにみこと)
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
社格 式内社、旧県社
例祭日 4月29日
鳥居 明神鳥居
社殿様式
【由緒】
往古は神明宮と称えたという。崇峻天皇2年小千益躬が当地に奉遷し筑紫より胸肩大神を勧請、合斎し、八町歩の神地を定めて神野大宮と称した。
貞観9年には筑紫宇佐宮を合祀し、大宮八幡宮という。爾来、武門の崇敬篤く、社殿の造営、宝物、社領の寄進などあり、称光天皇の花押のある書状、征南将軍宮満良親王奉納の御剣などあったとの記録もあるが、慶長5年9月兵火に罹り、社殿宝物記録など焼失した。同9年神殿楼門など再建した。
御衣更の神事は元正天皇養老5年8月、小千玉純が勅を奉じて安芸の厳島神社の神輿を当社に奉迎し神衣を賜ったという。その時当社の神主は厳島神社に参向し御衣を拝授して戻り、七日間御衣更の神事を執行、厳島神社に参詣の国人に官印邦札を下げ渡す例があった。その後、御衣更の下賜は廃されたが、神事は今も続けられている。
大宮八幡神社は住宅街にあるこじんまりとした神社ですが、こういうロケーション、個人的には結構好きです。
派手な神社もいいけど、地域に根付いてる神社もそれはそれで趣があって。

こちらの社号標ですが、なんとあの秋山好古が書いた(彫った)ものです!
ちゃんとサインが入っていますよ!

あ、秋山好古って誰やねんって方もいると思うので説明すると、日露戦争の時に大活躍した秋山兄弟の兄貴の方で、日本初の騎兵部隊を作った愛媛の英雄です。
弟の秋山真之は東郷平八郎率いる海軍の連合艦隊の参謀で、バルチック艦隊をぶっ潰したキレ者です。
この秋山兄弟がメインで描かれる司馬遼太郎の『坂の上の雲』は私の好きな本でもありますが、秋山好古の直筆がここで見ることができるなんでテンションが上がりますね!(私ぐらいかな、そんな人)
旅先の神社探しもプロにもなると、特有の風景で「あそこに神社があるな」ってわかるようになります。
わかりやすいのは、下の写真のように、ある一帯だけこんもりと木々が密集してるとことか。

基本的に、神社の境内には周囲の住宅などよりも木が多く植えられているので、そういうのをひとつの指標にしたりしています。

言うて今回はもちろんGoogleマップで検索して来ていますが。

…と、話している間に大宮八幡神社の楼門まで辿り着きました。

なかなか歴史を感じさせる雰囲気。


狛犬さんは最近奉納された感じではありますね。
何代目かな?

今回の四国の旅は狸巡りがメインなので、この神社を選んだ理由もそれです。

普通はこのような中心部から離れた住宅街の神社に来る人なんてあまりいないんでしょうけど、私はあのお狸さんに会いたくてやって来ました。

この楼門左にある拝殿の主、金平狸さんに!

金平狸さんはどんなお狸様かというと……

恵原の金平狸
この巨大なイブキビャクシンの樹に、金森大明神という名をもつ金平狸が鎮座している。
金平狸は、どこで学問をつんだのか文字が読め、算盤も上手な学者狸であった。それに、当神社宮司大西家の代々の当主によく仕えるお使い狸であったという。「松山の城下へ用で出かけて夜遅く帰ってくると、どこからか、ぽっと提灯の灯りがさして、道を教えてくれる。あれが金平狸の出迎えじゃった」と何代か前の宮司が語ったと伝えられている。
また、金平狸は、恵原の人々にも親切で、迷い子や老人の世話、病人の使いなど、いろいろと尽くしたという話が残されている。
こういったことから、大明神の位を得て、金平狸は、今も人々の厚い信心を受け、立派なお堂や御篭堂が築かれている。
めっちゃかしこ狸様!


金平狸さんの石像、コロンとしてて可愛いです。
おへそもあって(*´ω`*)
このお狸様が境内の御神木イブキビャクシン(ヒノキ科の木)に住んでい…鎮座してるということで、そのイブキビャクシンを……の前に、まずは本殿の神様にご挨拶しましょう。

手水舎で手を口を清めて、と。

こちらのお社では八柱の神様が祀られています。
由緒にある胸肩大神とは九州は福岡県の宗像大社の宗像三女神(むなかたさんじょしん)のことです。
最初にこの宗像三女神を勧請し、後に大分の宇佐神宮から應神天皇、神功皇后を勧請して社名を神明宮から大宮八幡宮へと改名したようです。
ここで気になるのが、共に祀られている神功皇后の旦那の仲哀天皇と神功皇后ファミリーに仕えた武内大臣(武内宿禰)の存在。
宗像大社にも宇佐神宮にも祀られていないのに、いつどのタイミングでこの大宮八幡神社にやって来たのか……
単なる宮司さんの計らいでしょうかね?

上のお社はどの神様を祀ってるのか不明でした。

「神威赫灼(しんいかくしゃく)」。
光り輝いて明るい神の威厳や神聖な力、という意味。

こちらが金平狸さんが住んでいるというイブキビャクシンの木。
近づいてみると、木の根本に小さな祠がいくつも。

祠の数は、見落としがなければ7つ。
七福神たちの住まいでしょうか、7つ中3つにそれらしき人がご在宅でした。

では金平狸さんのお社へ向かいましょうかね。

金平狸さんのお社は楼門のすぐ右手にありますが、ちょうど先ほどのイブキビャクシンの御神木と背中合わせの配置になっています。

スペースがなくて正面の引きの写真が撮れない……

苦戦(笑)
でもまぁ、あまり真正面から中を撮るものでもないので、これぐらいで勘弁してください。
金平狸は、松山城のお堀のほとりにある八股榎お袖大明神(こちら後ほど行きます)のお袖狸さんと夫婦で、その息子の狸平というお狸さんが、我が街札幌の本陣狸大明神(その父親が山口霊神社の隠神刑部)の娘の真狸と結婚して2人の子供をもうけています。
お狸さんの系譜は本陣狸大明神の記事でご紹介していますので、ご興味のある方はどうぞそちらも眺めてみてください。

拝殿と反対側の塀の足元にも祠が二つ。
こちらにもお狸様がいるのかな?

楼門から道路を挟んだ向かいには、用水路と小さな橋、一対の石灯籠があります。
状況的に、昔はこの向こうまで参道が続いていたのかもしれませんね。
現在はその向こうには畑が広がっているだけでした。

しかしこの橋、まあまあ年季が入っている感じ。

なんて彫ってあるのか全ては把握できませんでしたが、「平岡善吉」さんの名前だけはわかりました。
反対側には「栗原太三郎」さん(多分)の名が彫られています。
お名前の感じからして江戸末期とか明治とかかなぁ?当てずっぽうですが。

古い社号標。
塀の外から見る金森大明神(金平狸)のお社。
後から建てた鳥居とお社なので、めっちゃミニマム設計になっています。

朝の長閑な風景にまったりと長居してしまいました。

今日もあちこち行く予定!
では次の神社へ向かいまーす!
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