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京都旅行記の続きです。
滋賀県にきたなら…と竹生島神社の帰りに建部大社へ寄りました。
実はこの建部大社には不思議なご縁があって、私が以前からお世話になっている社長さんに深い繋がりがある神社なのです。
その方のご先祖様はなんとこの神社の御祭神である日本武尊(やまとたけるのみこと)!
その社長さんの曾々々お爺様や曾々お爺様などは、日本史や古い書物に名前が載ってる由緒正しきご子孫であります。
で、不思議なご縁と言ったのは、私の父方の祖先が、戦国時代にこの滋賀県大津市瀬田にいたのです。(すっごい探さないと文献には出てこないぐらいマイナーな人物ですが)
そんなこともあって、大昔と現代で関わりがあるなんて、これはご縁ですね…と思ったけど、不思議ってほどのご縁でもないか(笑)
そんなこんなでいつか行ってみたいと思っていた建部大社に足を運んでみました。
『建部大社』
所在地 滋賀県大津市神領一丁目16-1
御祭神 日本武尊(やまとやけるのみこと)
天明玉命(あめのあかるたまのみこと)
大己貴命 (おおなむちのみこと)
草野姫命(かやのひめのみこと)
社格 式内社
例祭 4月15日
鳥居 明神鳥居
社殿様式 一間社流造
【由緒】
当社は近江国の一の宮と称えられ、景行天皇四十六年(西暦三一六)四月神崎郡建部郷千草嶽に、日本武尊の御神灵を建部大神としてお祀りしたのが創りである。
天武天皇白鳳四年(六七五)四月に近江国府のあった瀬田の地にお迂し、此の国の守護神として仰ぎ奉られる様に なった。天平勝宝七年(七五五)には 孝徳天皇の詔により大和一の宮大神神社から大己貴命を勧請し権殿に奉祭せられ現在に至っている。
建部大社へ行くには琵琶湖から流れる瀬田川にかかる瀬田唐橋を渡ります。
駅から歩いてそんなにかからなさそうだったので、1人ブラブラと歩きました。
程なくすると黄色の欄干の橋が見えてきました!
唐橋って言うからなんとなく朱色をイメージしてましたが黄色だった(笑)
「お〜!瀬田唐橋って書いてある〜!」と当たり前のことに感動していました。
あ、そっちは「瀬田川」なのね。
バリエーションがある。
お気付きかとは多いますが、この時点でもう夕方なんですよね。
建部大社は参拝できるのでしょうか?
タマネギ(擬宝珠)を撮ってる場合じゃない!
急がなくては!
橋を渡り終えたらそのまま通成で国道1号線を甲賀の方向へ向かいます。
まもなくすると看板が。
近い!近いぞ!
ジャーン!
着きました!
参道に建部大社についての色んな看板がありました。
こういうの親切だなぁと感じます。
参道は途中で左に直角に折れます。
遠くの神門…なんかちょっと嫌な予感がする…
ガーーーン!!!
やっぱり閉まってたぁ〜!(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)
社務所も全部閉じられてる…
そんな私をよそに綺麗な風鈴の音が聞こえてきます。
これだ!
たくさんの風鈴が神門に下げられていました。
本当に綺麗な音。
そして大きな提灯!
ここで私はハッと気づきました!
この格子の隙間から写真が撮れるかも!って(笑)
手ぶらで帰るのも癪なので頑張りました(笑)
どうですか?
結構頑張ったと思います。
まるで格子がないかのよう(笑)
これ以上は諦めました。
なんでしょう、この川柳は。
「建部川柳」。
深い。
いや深くない(笑)
建部大社の神紋は境内にもあった「三本杉」です。
今回はこれにて帰路につこうと、また来た道を戻りました。
完全に夕暮れ。
燕も軒下で休んでいました。
錆びた乾電池の自動販売機が気になりつつまた瀬田唐橋へ…
と、橋のとこまできて息を飲みました!
なんという絶景でしょう!!
向こうに見える山影は蓬莱山でしょうか?
近江八景に指定されてるものの1つに「瀬田の夕照」というのがありますが、今まさにそれに遭遇しました!
そりゃ玉ねぎも撮りますよね!
全方位こんな感じの景色です!
月もいました。
見てるうちに刻々と色を変えていくその景色になぜかジーンときてしまいました。
こんな風景を遠いご先祖様も見ていたのかな?
同じ風景を今自分も見ているのかも?
そんな風に考えるととても不思議な気持ちになりました。
建部大社には参拝はできなかったけど。
最後にまた燕おった。
目光ってるしこっち見てる…
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