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なんだか久しぶりの神社ネタです。
愛媛県からしまなみ海道→広島県→岡山県→瀬戸大橋を経由して、今夜は香川県は高松に泊まります。
私の計算通り、日没前に数時間はあるので、そのまま讃岐國一宮・田村神社へ。
『田村神社(たむらじんじゃ)』
所在地 香川県高松市一宮町286ー1
御祭神 倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)
五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)=吉備津彦命(きびつひこのみこと)
猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)
天隠山命(あめのかぐやまのみこと)=高倉下命(たかくらじのみこと)
天五田根命(あめのいたねのみこと)=天村雲命(あめのむらくものみこと)
例祭日 5月8日・10月8日
鳥居 明神鳥居
社殿様式 春日造
【由緒】
社伝によれば、古くは「定水井(さだみずのい)」という井戸にいかだを浮かべて、その上に神を祀っていたという。その後、和銅2年(709年)に行基によって社殿が設けられたのが創建とする。この「定水井」は現在も奥殿の下にある。
なお、当初は義淵僧正によって大宝年間(701年-704年)に開基された一宮寺と同一視(建物も同じ)されていた。
朝廷の当社に対する信仰は篤く、平安時代には度々神階の授与が行われている。また延長5年(927年)の『延喜式神名帳』では「讃岐国香川郡 田村神社」と記載され名神大社に列したほか、讃岐国一宮として信仰された。建仁元年(1201年)には正一位の昇叙があったとされ、後宇多天皇が弘安7年(1284年)7月に寄せた「正一位田村大明神」の勅額が残っている。
また武家からも崇敬・統制を受け、長禄4年(1460年)には細川勝元により、社殿造営や寄進のほか「讃岐国一宮田村大社壁書」(高松市指定文化財)が定められた。これは当社の関係者に対し、守るべき事項を26箇条で記したものである。
天正年間(1573年-1592年)には兵火により一切経蔵を焼失したが、仙石秀久から社領100石を寄進された。その後も社領の寄進を受け、藩主が松平大膳家に代わったのちも祈願所として崇敬された。
延宝7年(1679年)、高松藩主であった松平氏により一宮寺が分割され、後に一宮寺は別の地に移された。その際、一国一宮として選ばれていた四国八十八箇所の札所と本地・正観音像は、一宮寺に移される。
明治4年(1871年)、近代社格制度において国幣中社に列した。
大正14年(1925年)12月10日、北白川宮大妃こと能久親王妃富子お成り(松をお手植え)。
昭和9年(1934年)4月5日、閑院宮載仁親王お成り。同年5月22日には梨本宮守正王お成り(松をお手植え)。
倭迹迹日百襲姫命といえば、奈良の箸墓古墳の主。
第7代孝霊天皇の第1皇女に当たる人物となっていて、その弟される吉備津彦命も一緒に祀られています。
猿田彦大神は道案内の神様で主祭神とあまり関係なくても祀られていることが多いけど、高倉下命は尾張連の遠祖だから四国にあまり関係ないと思うし、その子とされる天村雲命がセットで祀られているのがちょっとわからず……
まあとりあえず現場へ。

高松市中心部から田村神社まで車で約20分程度。
なのですが、正面の鳥居がどこなのか、少し彷徨(うろつ)きました。
こんだけパッと正面の鳥居を探せないってことは、規模が相当大きそうだな(予感)……


一対目の狛犬さん。
どっしり系コマちゃんですね。

二対目の狛犬さん。


こちらは武闘系コマちゃんな感じ。

いやこれ参道もなかなか長いですぞ。

全く社殿が出現する気配がない……


三対目の狛犬さんはだいぶ年季が入っていそうですね。
口の形が富士山みたいで特徴的。
富士山系コマちゃんとでも名付けましょうか。

この先もまだ参道……境内どんだけ広いんだ!?
参道だけで今回の記事が終わりそう(笑)

やっとなんか建物らしきものが見えてきました。

手水舎で手と口を濯いで、と。

まだ参道の途中。
右手に現れたのが古札所。

こちらにも狛犬さん。
ここまで見てきた狛犬さんとはまた作り手が違いますね。


古札所では、歳徳神(としとくじん)がお祀りされています。
いわゆる歳神様(としがみさま)ですね。

「力石」なんてのもあって。

昔の人の娯楽の一つに、力自慢の男性陣による、どれだけ重たい石を持てるか、という「力くらべ」がありました。
やっぱり”誰よりも重たい石を持てる強い男がモテる”ってことで、当時の人はこぞって力くらべをしたのでしょう。
現代でいう総合格闘技とかそういう類でしょうね。

まだ参道を歩いてますが、古札所に並んで土俵。

そしてその斜め後ろに「子育て布袋尊」が祀られています。

布袋さんつったら商売繁盛じゃ?と思ったら、子宝とか夫婦円満のご利益もありました。

社務所の前には、布袋さんの相方の大国さん。
ていうか、本殿に辿り着くまでに結構サブイベントあるんですが。

と、思った頃にやっと田村神社の本殿!

ん?ちょっと待てよ……
あっちにも境内が広がっている?……

もう一基、大きな鳥居が!

そしてここで私はとんでもないものを見て興奮していた。

そのとんでもないものは次の記事でご紹介するとして、さらに右にも小さめの鳥居が二基。
赤いのは稲荷神社か??

まあ良い、あとでじっくり見にこよう……
あ、ミニ布袋さん。

田村神社に戻って、まずは参拝を済ませましょう。

来た道を振り返ると、ずいぶん長い参道だったことがわかります。
キューブリック並みの一点透視図法で撮るとこんな感じで、入り口がよく見えないぐらいの距離の長さ。

色んなものに気を取られすぎて、全然進まないうちに陽も傾いてきました。
少し急がないと。

拝殿の手前には「右近の橘」と「左近の桜」が植えられています。


この二種類の木は他の神社でも同一の配置で植えられていることが多いのですが、平安時代のしきたりが由来になってるようです。
京都御所の正殿では左右に護衛がいて、天皇から見て左の陣には梅(途中で日本を代表する桜に変わる)が、右の陣には橘の木があったことから「右近の橘」と「左近の桜」と呼ばれるようになりました。
故に、天皇に由来する神社でもそれに倣い桜と橘がそれぞれ植えられるようになり、左は日本人の愛する桜、右には冬でも葉を落とさない橘の姿から「不老長寿」や「繁栄」をもたらす木として大切にされてきたということです。

照明の上にミニうさぎ……可愛んだけど何故?

はい、やっと拝殿です!
屋根は檜皮葺かな?
現在は特にこの檜の皮を剝ぐ職人さんが減少していて、後継者を強く求めている、と以前石上神宮の宮司さんにお伺いしました。
宮大工さん自体も後継者不足で、日本の素晴らしい技術を後世に伝えることがだんだん難しくなっていることを憂いますね……

拝殿前にも手水があるのですが、よーく見たら石で掘られたカエルがたくさんいますね!

さらによーーく見たら真ん中に亀いた!

矢の形を模したお神籤、「矢みくじ」。
神籤掛けに結ぶんじゃなくて、俵みたいなのに刺してるのが面白い。

参拝後に授与所の方で御朱印をいただきます。

で、田村神社はこれで終わりではありません!
この向こうに物々しい雰囲気のモノがあるのを、私はすでに目にしていたのです!!
あの謎の大鳥居の方です!

その正体は、次回に引っ張りまーす!
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