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太宰府天満宮とその末社の天開稲荷社を参拝した後、北西の方向へ直走り、やってきたのは筑前國一之宮の筥崎宮。
後から気がついたけど、間違って参道の途中から入ってしまいました(笑)
よって、こちらは二の鳥居。
ここから後ろを振り返るとこんな感じで…
この参道らしき(というか結果、参道だったんですが)道のあちらの果てには、お潮井浜(箱崎浜)という水垣に囲まれた砂浜があって、そこに筥崎宮の三の鳥居が立っているようです。
いやぁ、そっちまで参道が続いてるとは思わなんだ。参道はここからだと思ってたので(笑)
雲ひとつない晴天で、参道のアスファルトの照り返しもなかなか夏を感じさせました。(これ10月)
そうこうしてるうちに、「敵国降伏」の扁額が掲げられた楼門が見えてきました!
『筥崎宮(はこざきぐう)』
所在地 福岡県東区箱崎1丁目22番地1号
御祭神 応神天皇(おうじんてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
玉依姫命(たまよりひめのみこと)
社格 式内社・筑前国一宮・旧官幣大社・別表神社
例祭日 9月15日
鳥居 筥崎鳥居
社殿様式 流造
【由緒】
筥崎宮は筥崎八幡宮とも称し、宇佐、石清水両宮とともに日本三大八幡宮に数えられます。 御祭神は筑紫国蚊田(かだ)の里、現在の福岡県宇美町にお生まれになられた応神天皇(第十五代天皇)を主祭神として、神功皇后、玉依姫命がお祀りされています。創建の時期については諸説あり断定することは困難ですが、古録によれば、平安時代の中頃である延喜21年(西暦921)、醍醐(だいご)天皇が神勅により「敵国降伏」(てきこくこうふく)の宸筆(しんぴつ)を下賜され、この地に壮麗な御社殿を建立し、延長元年(923)筑前大分(だいぶ)宮(穂波宮)より遷座したことになっております。創建後は祈りの場として朝野を問わず篤い崇敬を集めるとともに、海外との交流の門戸として重要な役割を果たしました。
鎌倉中期、蒙古(もうこ)襲来(元寇)のおり、俗に云う神風が吹き未曾有の困難に打ち勝ったことから、厄除・勝運の神としても有名です。後世は足利尊氏、大内義隆、小早川隆景、豊臣秀吉など歴史に名だたる武将が参詣、武功・文教にすぐれた八幡大神の御神徳を仰ぎ筥崎宮は隆盛を辿りました。江戸時代には福岡藩初代藩主黒田長政、以下歴代藩主も崇敬を怠ることはありませんでした。明治以降は近代国家を目指す日本とともに有り、同18年には官幣中社に、大正3年には官幣大社に社格を進められ、近年では全国より崇敬を集めるとともに、玉取祭や放生会大祭などの福博の四季を彩る杜(もり)として広く親しまれています。(筥崎宮HPより)
御朱印はこちら↓
筥崎宮は筥崎八幡宮(はこざきはちまんぐう)とも呼ばれていて、三大八幡宮の1社に数えられます。(他の2社は大分の宇佐神宮、京都の石清水八幡宮)
また、筥崎宮の「筥」ですが、丸い箱(円柱)のことを指しており、「箱」とは意味合いがちょっと違うので注意です。
しかし、お潮井浜は別名「箱崎浜」で、こちらは「箱」の字なんですよね〜。
後世の人がどこかで間違ってこの漢字を使ったのでしょうか。まぁ、どちらも「入れ物」という意味で「箱」であることには変わりないけど…
一の鳥居からお潮井浜までは約1km。
そこそこ長い距離ですね。
よし、いざ参拝!
筥崎宮の一の鳥居は、筑前国福岡初代藩主の黒田長政(秀吉の軍師、黒田官兵衛・如水の嫡男)より、慶長14年(1609)に建立されたもの。
国指定重要文化財です。
鳥居の柱を通ってる貫(ぬき)も楔(くさび)もないし、柱も足元がやたらどっしりしているし、笠木(かさぎ)の反り方も明神鳥居とはちょっと違う気がするな……
と思って調べたら、筥崎宮の鳥居は箱崎鳥居と呼ばれる特殊な鳥居でした。
黒田長政は箱崎鳥居のパイオニアやな。
この鳥居の石材は、長崎県鷹島の特産品である阿翁石(あおういし)で造られてるとのこと。
阿翁石は長崎県知事指定伝統的工芸品に指定されています。
こちらの狛犬さんは大正2年(1913)5月建立。
鳥居同様に、どっしりした出で立ち!
うむ、この距離からでも威厳を感じますね。
筥崎宮では、3月と9月の社日祭に、三の鳥居が立ってるお塩井浜で「お潮井取り」(砂を汲むこと)をし、その真砂(まさご)を厄除けとして使うそうです。
境内にあるこの真砂は、厄除開運の祈願がされています。(光が入ってるのは「波動がー!」じゃないです、レンズフレアです笑)
”この石に触れると運が湧き出る”と言われている湧出石。
触ってないので検証できてません、すいません…って言うか、そもそも肝心要の石を写してないやん私。
また、湧出石は”国に一大事がある時、地上に姿を現す”との言い伝えもあるとか。
肝心要でふと思ったけど、つまり要石(かなめいし)的なことね?
要石といえば、アニメ映画『すずめの戸締り』に出てくる、要石みたいに”ナマズ”が暴れないように抑えてる右大臣が可愛かったなぁ(*´-`*)……
おやおや?
何やら黒い胡麻つぶみたいのがいっぱい。
鳩でした!
この写真だけだと分かりにくいけど、びっくりするほどいました!
札幌の大通公園で焼きとうきび(焼きとうもろこし。「とうきび」は北海道弁)を食べてる時に集まってくる鳩の数より遥かに多い!
社務所の側に「ハトのおやつ」(餌)の自動販売機があったので早速購入(笑)
自販機も餌も、鳩のことで頭がいっぱいで写真を撮るのを忘れてましたが(笑)、直径5cmぐらいのモナカの中に(もちろんモナカは生地だけ)、ツブツブの餌がたくさん入ってるやつを出した途端この様子!(歓喜)
遠くの方からもたくさんの鳩が飛来してきて、鳩集団に囲まれ、しまいには手乗り鳩が私の腕(ヤダこのアングル腕太に見えるわん!)を取り合って……てか鳩意外に重い!!(笑)
おデブな鳩もいて、それは一層重かった(笑)
餌はすぐになくなってしまい、最終的に餌が入ってたモナカをちびちびちぎって与えてました。
一騒ぎ終え、少し落ち着きを放つ鳩たち。
手を出してみるとまだ餌があると思って寄ってくる、「餌あるよあるよ詐欺」に騙される鳩たち。
よそ見して手を動かしたら鳩にぶつかって、鳩が豆鉄砲を食らった顔になってました。(ごめんね、鳩よ…)
あと、鳩の他にギャラリーも集まってきました。
ちょっと楽しくなってこの後また餌を買いに行って鳩たちと戯れてたけど、そんなことしてる場合じゃなかった!!
今日この後は2箇所の神社へ行きたいし、ラストを飾るそのうちの1箇所へは時間の期限があるので、鳩と戯れてなんかいないでもう移動しないと!
その神社はどうしても外したくない時間帯があるんだ!
太宰府天満宮の末社、天開稲荷社では天開稲おじさんに予想外のレクチャーを受けて時間を食ってしまったし、ここでもまた鳩トラップにかかって時間を浪費してしまった。
かといって神社取材の手抜きはできん。
無駄な時間を省きつつ、境内を歩く時はサササッと素早く歩き、車での神社間の移動時間を短縮しつつ調整しよう。
とはいえ、まだ鳩と戯れることしかしていないんだが……今日のゴールに間に合うのか私?
まずは落ち着いて国指定重要文化財の楼門の調査。
筥崎宮で一番有名なのが、この楼門に掲げられている扁額!
そう、「敵国降伏(てきこくこうふく)」!
(繰り返すけど「波動がー!」じゃないです。レンズフレアです)
なんだか仰々しい感じのする文字列ですが、これは、「武力で敵を降伏させるのではなく、徳の力をもって導き、相手が自ら靡き降伏する」という意味。
我が国の在り方としての王道を説いています。
鎌倉時代、元(蒙古)が日本を侵略しようとした折(「元寇」。2度攻めてきた蒙古軍が、あの”神風”に吹かれて敗退させられた…という例のアレ)、第90代・亀山天皇が外敵退散を祈願し、筥崎宮の神門に「敵国降伏」と掲げたと言われています。(延喜21年(921)に第60代・醍醐天皇がこの4文字の宸筆を残していたものが元になっている)
蒙古襲来(「元寇」)に打ち勝ったことから、筥崎宮は厄除け・勝負運の神様として篤く慕われるようになりました。(「福岡ソフトバンクホークス」は毎年こちらで必勝祈願祭を取り行っていますね。この日も必勝祈願の垂れ幕がかかっていました)
以来、足利尊氏、大内義隆、豊臣秀吉や小早川隆景が詣で、関ヶ原の戦いが終わり江戸時代の幕開け後も、福岡初代藩主となった黒田長政(父は官兵衛・如水)や以下歴代藩主も崇敬してきた、ということです。
黒田長政は石材の鳥居も建立していましたよね。
福岡藩四代藩主の黒田綱政もまた、太宰府天満宮の6基ある石鳥居のうちの2基を寄進しています。鳥居推し藩。鳥居推し家系。
現在あるこの立派な楼門は、小早川隆景が文禄3年(1594)に建立し、その際に亀山上皇がお納めになった「敵国降伏」の御宸筆(天皇の自筆)の扁額を模写拡大し掲げました。(だとしたら、亀山天皇って字がめっちゃウマいな!)
もちろん今掲げられているものは当時のものではありません。(実物は宝物としてどこかに保管してあると思います、多分)
楼門自体も檜皮葺きで、重厚感がありとても立派です。
「敵国降伏」の扁額を掲げていることから「伏敵門」とも呼ばれているそう。
それにしても、神の思し召しとも思えるような本当に良い天気に恵まれた!
この様子だと今日最後に訪れるあの神社で、最高の景色に出会えそう。
そう、あの神社ですよ、あの神社!
一般の人はここまで。
奥に見えるのが本殿です。
あ、「敵国降伏」の説明がありました。
上で説明しなくてもこれを先に提示すればよかった。
明治天皇のこの御製、それよな〜って思わせられますね。
本殿と拝殿も、楼門同様に国指定重要文化財となっています。
筥崎宮の御神木は「筥松(はこまつ)」。なんか名前が可愛い。
筥崎宮の御祭神の応神天皇がお生まれになった際、御胞衣(ごほうい。ごえな。へその緒のこと)を”筥”に納めて浄地に埋め、その標しに松を植えた。
その場所がここで、後にこの地を”箱崎”と称するようになったと。
うーん、”筥”を納めた場所を”箱崎”と……
ちょっとモヤりますが、何らかの理由で漢字を使い分けてるのかもしれないしスルーしよう。
水垣左側から見る拝殿。
いやこれもしかして、どこかから楼門の中へ入れたのかな?
今になってそんな気がしてならない(笑)
楼門止まりって考え難いよなぁ……
境内の右側奥には「紫陽花園」があります。
紫陽花の季節には綺麗な色の紫陽花が咲き乱れてるんでしょうね。
一つのお社に五社入ってる末社がありました。
西末社と総称されたこのお社には、以下の五社が祀られています。
これも今書いてて思ったのですが、西ってことはもしかして東も……?
調べてみたらあったわ、東末社……
行ってない……
東末社も同様に五社入っていて、稲荷社や住吉殿などが祀られてるようです。(急ぎながら巡ると絶対こうやってどこか見逃すからダメだよなぁ〜!)
本殿の背後にも、真っすぐ伸びる参道があります。
本殿の背後までは行ったけど、ここから西巡りで正面に戻れば途中で西末社も拝むことができたのに……!
悔やまれる。
亀山天皇の像があるのか。御尊顔を拝見できるかも?
「敵国降伏」を納めた主、亀山天皇がこちらです!
……高さがありすぎるしガラスが反射して顔がよく見えない。
多分だけどネットで見たりする亀山天皇の絵より男前にできてると思う。
ちなみに、こちらは福岡県指定文化財。
博多区の東公園内に建立されている、亀山天皇の銅像の原型となるのがこちらの木造の亀山上皇尊像だそうです。
製作者は福岡県出身の彫刻家(1867年3月22日-1954年6月4日)・山崎朝雲。
尊像の大きさは6m。デカイ!
あ!かろうじてここに写ってた!
社務所の左にある緑の物体が、ハトの餌の自動販売機です!(笑)
御朱印もいただいたし、次の神社へ行くぞう!
ちょっと急ぎめで。
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