名古屋城

中部地方

名古屋城 〜愛知県名古屋市〜



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伊勢神宮巡りで最後に訪れたのは、特別史跡にも指定されている名古屋城です。

「特別史跡」とは、文化財保護法により指定された史跡のうちで特に価値が高い!と認められているものです。
国宝と同格と見做されるものでもあります。

伊勢までの往路は中部国際空港セントレアからフェリーで伊勢湾を抜けましたが、復路はせっかくだから名古屋へ寄って熱田神宮に参拝しようと。
熱田神宮へ寄ったらお次は名古屋城へ行かなきゃ!とベタベタなプランを計画(笑)
でも台湾ラーメンやエビフライや味噌カツは食べてないのでベタベタではなくてベタべ…ぐらいでしょうか。

因みにエビフライは”名古屋めし”ではないそうですね。
あ、モーニングもいただいてみたい…

いけない、お城と全然関係ない話に逸れてしまった。

帰りのフライトの時間を気にしながら伊勢市の月読宮参拝の後に名古屋へ移動し熱田神宮を参拝、そして地下鉄を乗り継いで市役所駅で下車。

上の写真が名古屋市役所。
昭和初期に建てられたもので帝冠様式という造りだそうです。
カッコいい。

名古屋城はこの名古屋市役所の対角線上の一角です。
とても敷地が広いですが一目瞭然なので迷うことはないでしょう。

が、…その広さゆえ正門まではめちゃめちゃ歩く…

この看板を見てください。
右下角のところが地下鉄の出入り口。
左下角が正門。
これね、看板で見ると縮尺が小さいからそんなに大変な距離に見えないと思うんですが、実際に歩くとかなりです。
いやかなりじゃないかもしれないけど、旅の最終日ですよ?
連日相当歩いてますからね!?
この日も朝から行動していたしね、いや、そんなスケジュールで動いたのは自分ですよ、自分に責任があります。
がしかし、ここからまたこんなに歩かねばならないのか…と愕然としたわけです。
でもここまで来たらしんどいけど行くしかないでしょ!

トランクは名古屋駅に預けてきて正解でした。
こういう判断は間違わない。

で、この日はフードフェスタ的な催しが開催されていました。名前忘れたけど。
そんな誘惑にも駆られながらまずはお城見物ということで、外堀をひた歩き…

避けきれない晴天につき、もれなく日光湿疹が後で出ちゃうんだろうなぁと懸念しつつ…着きました!

やっぱりこういうのはちゃんと正門から入らないとね〜。

名古屋城といえば徳川家康。
なので家康が初代城主なのかと思ったら大間違い!

実は、名古屋城は建てたのは徳川家康ではありますが、初代城主は尾張徳川家の家祖で13歳で尾張藩の領主になった九男の徳川義直(よしなお)です。
家康が彼のために建てたお城なのでした。
それ以降は17代まで尾張藩主の居城として使われていました。

名古屋城最後の城主は、17代(14代)・徳川慶勝(よしかつ)。
慶勝は、明治維新で日本が揺れ動いていた1870年(明治3年)に名古屋城を壊して金のシャチホコを武士の手当にしてはどうかと新政府に申し出ましたが、名古屋城はそのまま保存されることが決まりました。

…やっぱり立派なお城だったからかなぁ?
その時に壊していたら私たちは名古屋城を見ることができなかったのかと思うとセーフでしたね!

で、金のシャチホコ

こちらはレプリカではありますが、高さは3m、重さは100㎏、表面には24金の金箔1,800枚をあしらわれ本物さながらの迫力でした!
(シャチホコ強そうだな、オイ)

希望する方はシャチホコさんと一緒に写真も撮れますよ(=´∀`)

私はオトナなので撮ってないですけど。

正門を抜けて少し歩くと早速、重要文化財である西南隅櫓(すみやぐら)天守閣が視界に入ってきます!

西南隅櫓(手前)と天守閣(奥)

か、カッコいい…
天守閣もこの距離でも非常に迫力があります!

逆サイドにある東南隅櫓も同じく重要文化財です。

私はお城は前回の京都の二条城が初めてで、今回の名古屋城が2基目の討ち入りとなりますので初々しい反応を何卒ご容赦ください。

天守閣

お城研究家さんだったりお城マニアさんだったりお城フェチさんだったり(全部褒め言葉ですからね!)にとっては「天守閣は再建されたものだからアレは本物じゃないんだよ〜…」とおっしゃる方もいますが、そうだとしてもこの規模の石垣や上物を約400年も前に人の手で作り上げてるって凄くないですか!?

そんな時代にユンボもクレーンもドーザーも11tトラックもないわけですよ!
インパクトもサンダーもないんですよ!?
全部人のチカラ!!!
昔の人凄すぎ!
まず石垣の石を運んでくるのがしんどいし、それをね?こ〜やって隙間なく積んでいくんですよ?

で、この石垣ですが、石垣造り名人の加藤清正さんが指揮を取って造営するわけですが、熊本(肥後)から約2万人を引き連れて、なんと3ヶ月程で工事を終えてしまったんだそうです。

人数も凄いけど人力で3ヶ月て!
狂ったようにやらないと仕上がらない感じ!
でも昔の人って現代人より体力があったようなので、それほど珍しいことではなかったのかもしれないですよね。

上の図のように天守閣を外からぐるっと見て不明門から攻め入ると出会い頭に武士がいました!

斬られる!!?

と思って構えましたが「いい天気じゃの〜」と言って挨拶をしてくれました。
敵じゃなかった。

でも「見回りをしておるのだ」と言ってたのでギリギリ討ち入りに来てることがバレなかったようで命拾いしました。

本丸のエリアから見た天守閣と小天守。

小天守(左)と天守閣(右)

本当に大きなお城です!
天守閣、小天守ともに昭和20年(1945年)の空襲で惜しくも焼失してしまいまい、現在の天守は戦後に鉄骨鉄筋コンクリート造で再建されたものです。

同じく空襲で焼け落ちてしまった本丸御殿ですが、こちらは2009年(平成21)から復元工事を開始し、2018年(平成30)にかなりのレベルの忠実さで復元が為されました。

本丸御殿の外観です。

真新しさがわかるかと思います。

そして!
この復元された本丸御殿は一般公開されていて実際に中に入ることができます!
これは一見の価値あり!

潜入!

入ってすぐの正面の襖絵。
なんとこれは当時の物そのもので、重要文化財です!

本丸御殿については、被害を受けないようにと戦時中に取り外され大切に保管されてきた襖絵(ふすまえ)・天井板絵など、1049面もの障壁画があり、その内1047面が重要文化財に指定されています。
(重要文化財に入れなかった2枚の襖絵が気になる…)
また、昭和初期の調査・計測によって残された309枚の実測図、戦前に撮影された約700枚の写真、約2000個の礎石などが残されていて、それにより極限まで本物に近付けた本丸御殿(←ここ重要)が完成したわけです。

その煌びやかな世界を是非皆様にも堪能していただきたいと思います。

まずは玄関・大廊下から。

一之間
二之間

いきなりの虎三昧に目を奪われますね。
一之間と二之間はお客さんがまず通される部屋です。
立派過ぎて”通される部屋”レベルじゃないですよね(笑)
もうここで商談でいいわ!(笑)

続いて奥の部屋へ続く大廊下。

大廊下

大廊下の先に表書院があります。

表書院は要は現代でいう応接室のような部屋です。

表書院(三之間)
表書院(一之間から上段之間)

上の写真、手前が一之間で奥が上段之間。
上段之間はちょっと床が高くなってるのがわかると思うのですが、藩主が座る位置なので高くしてあるんです。

上段之間の背後の松も、一之間から見た時の構図を意識して配置されてますね。

一之間には梅と雉が描かれています。
松竹梅。
梅よりも松の方が上位ですもんね。

表書院(一之間から二之間、その奥に三之間)

横側から一之間を撮影。
雉も多様な羽色のものが描かれています。

表書院(横から上段之間)

上段之間を横から撮影しました。
床の間と、ちょっと見え難いですが違棚などがあり、正面の雉の障壁画の向こうは「納戸之間」となっています。

欄間(上段之間)

この欄間(らんま)に注目してください。(上のアミアミのとこ)

これは「組子」といって、釘を使わずに木を組み付けていく技術です。
細くひき割った木をノミやカンナで調節しながら1本1本組付けしていく木工技術ですが、古くは飛鳥時代から行われていたそうです。
飛鳥の人シャレオツ。

そういえば賓日館でも組子が多用されていました。

お次は対面所

対面所は藩主が身内や家臣と宴会などをする場所で、下の写真で手前が次之間、奥に見えるのが上段之間になります。

対面所

黄色の半被を着た女性はこちらのガイドの方ですが、とても流暢な英語で外国人の方を丁寧にガイドしていました。
外国人専門のガイドさんのようです。
カッコいい!
何気に近くによって説明を無料で聞いていました(笑)
あ、英語の全文は理解できないので要所、要所です(笑)

上段之間と次之間の障壁画は「風俗図」と呼ばれるものだそうで、上段之間には京都、次之間には和歌山などの四季の風物詩や名所、風俗などが描かれています。
人々の生活を垣間見ることがでる障壁画となっています。

対面所(上段之間)
対面所(次之間)
対面所(納戸一之間)
対面所(納戸二之間)

表書院とはまた違ってキンキラしてないし障壁画も穏やかな雰囲気ですね。

続きまして鷺之廊下

鷺之廊下

鷺之廊下ですが肝心の鷺の絵を写してませんでした(笑)
というのも、天井に見惚れていましてね!

鷺之廊下(天井)

漆の格子。
クロスになってる金色のところにしっかり家紋がそれぞれに入っていました。

徳川家康家紋「葵紋(あおいもん)」はフタバアオイと言われる植物を家紋としたもので、京都にある加茂神社(上賀茂神社下鴨神社の総称)の神紋が由来となっております。
この神社の神官である加茂氏三河に住む武士団が非常に密接な関係であった事がきっかけだそうです。

こういうとこで神社と繋がったりしちゃうから神社巡りや歴史探訪はやめられないんです♪

因みにお城などは天井を見ればその部屋などの格式が分かるようになってるそうです。

上の写真は舞良戸(まいらど)の飾り金具。
細工がすごくないですか!?
これ機械じゃないんですよ!?
全て手作業!
昔の人ってとても繊細な技術を持っていたんだなって思います。
今でも職人さんはいると思いますが、どうかそういった伝統でもある手仕事はなくならないで欲しいなと思います。
こちらにも葵紋が入っていますね。
周りにあるのは菊かな?

因みに舞良戸というのは建具です。
現代はなかなか見る機会はありませんが、割烹などに行くとトイレの戸が舞良戸にだったりします。

そしてこの本丸御殿のメインのお部屋、上洛殿をご紹介!

上洛殿三代将軍・徳川家光の上洛に合わせて作られたお部屋で別名「御成御殿」と言います。
要は寝泊りしたお部屋ですね。

廊下を三之間から上段之間へぐるっと周ります。
上洛殿は本丸御殿の中で最も格式の高い殿舎且つ、上段之間は最も格式の高いお部屋です!

まず目に飛び込んだのがこちら!

上洛殿(三之間と奥の二之間)

先ほどの対面所とは比べものにはならないほどの豪華絢爛さ!!

そして何が凄いって、欄間ね!!(フーッフーッ)
これは三の間と二之間の欄間なんですが、ま〜〜〜〜〜凄い彫刻!!

写真では確認しにくいかもしれませんが、3D感が凄いんですよ!
そしてね、こういうところの欄間によくある造りだと思うんですが、透彫みたいになってるのに表と裏で全く違う構図になってるところ!それが凄い!

下の写真は三之間側から撮ったもの。
欄間に注目してくださいね!
赤い花と鳥のモチーフがあるのが分かりますか?

上洛殿(三之間)

因みに三之間の天井も綺麗で見惚れました。

上洛殿(三之間天井)

続いて下の写真が三之間の欄間を二之間から撮ったもの。
同じ板の表裏で違う彫り方をしているのが分かりますか?

上洛殿(二之間)

さっきは赤い鳥だったのにこちら側は極彩色豊かな鳥!
そして鳥の数も花の数も三之間よりも多くなってるんです。
でも、裏の木彫りがが透けて見えてるんですよ!
どちら側から見ても美しく、裏側の彫刻が透けて見えるところまで計算され尽くされています!
日本の工芸技術、凄いです。

下の写真は上洛殿の釘隠です。
リスと葡萄がモチーフになっていて葵紋も真ん中上部に小さく2つ。
なんともシャレたデザインだと思いませんか!?
そして細かい細工が施されていることがお分かりになると思います。

や、コレ釘を隠すためだけのものですからね!?(笑)
コレが各部屋の四隅に上下2つずつ、一辺の真ん中にも上下2つずつ、一部屋で計16枚付けられているわけです。

上洛殿は全部で6部屋あるから………96個!!
こんなの96個も…気が狂いそう(笑)
上洛殿だけじゃなく他の部屋にも使われているので…釘隠の金細工の人めっちゃ仕事してんじゃん!!(笑)

下は上洛殿の廊下です。
(あ!さっきの半被の女性がいる!)

廊下の欄間も素晴らしいので、ぜひ見ていただきたい!

こちらは一之間から写したものですが、この3D感、わかりますか!?
もうちょっと真下から。

鳥が浮き出てますよね!

でね、欄間彫刻の凄いのは表と裏が別の絵になってるところと説明しましたが、上の写真で青と赤のカラーリングの鳥が5羽いるのがわかりますか?
そして下の写真は二之間から写したもの。

こちら側はその鳥が2羽です。

三之間と二之間でも鳥や花の数が違いましたが、これ、部屋の格式によってモチーフの数を変えてるんです。
(黄色の半被のガイドさんが外国人に説明してるのをこそっと聞いてわかりました(笑))

当然、二之間より一之間の方が位の高い人が滞在するのでより豪華な彫刻にしてるってわけです!
素晴らしい配慮と技術!!

そしてそして、いよいよ本丸御殿の中で最上級のお部屋、上洛殿上段之間がこちら!!

上洛殿(一之間から上段之間)

あ、えっと手前が一之間で襖の奥が上段之間ね。
欄間も更に大きな鳥になり箔が出てますよね!

上洛殿(上段之間)

うん、キラキラして豪華絢爛なのは分かるけどそこまでかなぁ??

と思ったそこのアナタ、先ほどお部屋の格式を示すのは天井ってお伝えしましたよね!?
上段之間の天井を見てみましょう!

上洛殿(上段之間天井)

「黒漆塗二重折上げ蒔絵付格天井」と言って…よくわかんない名称ですが、とにかく最上級の天井です!(伝わらんかー笑)

”蒔絵”っていうのは、金粉・銀粉などで漆器などの表面に絵模様を付けた日本独得の美術工芸。
黒い格子になってる部分の金のところが蒔絵になっています。

更に花、鳥、山、水などを描いた”板絵”が嵌め込まれています。
拡大してよーく見たらわかると思うのですが、全部違う絵になっています。
一枚一枚、絵師が描いてるんですよ?めちゃくちゃ手が込んでいますよね!(興奮)

そして二段になって天井に奥行きが出ています。
この作りが”二重折上げ”です。

本当に素晴らしい…(ため息)
仰向けに寝て天井を見るとこの光景が目に入るんですよ…

そして最後のお部屋は梅之間です。

梅之間は上級家臣の控えの間だったそうです。
見てください、この金箔!!

梅之間

全部金箔!!
ま、眩しくて目が潰れる…!
目がぁ!目がぁ〜〜〜!!(ナウシカのムスカ大佐のモノマネです)

障壁画は「雪中老梅図」という名前です。
雪をかぶった冬の梅の木が描かれているんですが、この静寂の中にある美に心を奪われます。

なんか気持ちがスーッとするわね…

いかがでしたか?本丸御殿。
昔の人の美意識の高さ、建築技術の高さ、細工・装飾技術の高さ…
こういうのってずっと残っていて欲しいなと感じます。
手間と時間をかけたもにしかない価値がそこにありました。

意気揚々と討ち入りしたわけですが、思いっきり返り討ちをくらいました。
凄いわ、お城…
お城に関しては素人ですが夢中になる方々の気持ち、なんか分かった気がします。
なにしろ、これらは日本の歴史の一部であり、その歴史の延長線上に私達がいるという事実を実感することができる、というロマン!

頭の中で想像がブワーーーッ!っと広がっていく感じ。

ああ…神社もいいけどお城もいいなぁ…(*´꒳`*)

京都の二条城は肩透かしをくらってしまいましたが、今回の名古屋城は大満足でした!

東門

帰り道は東門を抜けて…

いやぁ本当に良いものを見せてもらいました!
家康先輩、ありがとうございましたm(_ _)m

帰りのフライトまでちょっと時間が空いたので名古屋駅で一休みしてから帰ることにしました。

どこか良いカフェがないかな〜、どうせならあの最上階にないかな!?

と検索をして見つけたのがこちら!
高島屋51Fの天空のカフェ、「カフェ・ド・シエル」というお店。

ロケーションが素晴らしく素晴らしい!(日本語おかしい)
名古屋市を一望できます。
お腹は全然空いてなかったのでコーヒーしかいただきませんでしたが、食事もあるしケーキも豊富です。

このお店のHPはなかったのですが紹介サイトがあったので、2つ埋め埋めしておきますね↓

夜景が綺麗そうなので夜にも行ってみたいです♪

以上で伊勢神宮シリーズ、完結です!
三重県と名古屋よ、どうもありがとう!
次回上陸した時も宜しくぅ。



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