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京都旅行の2日目、八坂神社の次は晴明神社へ行きました。
野村萬斎さんが主演の映画「陰陽師」もありましたし、フィギュアスケートの羽生選手が演じたこともあり、多分知らない方の方が少ないと思いますが陰陽師の安倍晴明(あべのせいめい)をお祀りする神社です。
(あの映画の野村萬斎さんはかなりハマり役でしたねぇ〜!野村萬斎さんが持っている品や妖艶さもあり晴明のイメージそのもの、衣装も素敵でした!)
実は今回の旅の目的のメインはこの神社でした。
御朱印はコチラ→ 御朱印 晴明神社(せいめいじんじゃ)
『晴明神社(せいめいじんじゃ)』
所在地 京都府京都市上京区晴明町806堀川通
御祭神 安倍晴明御霊神
旧社格
例祭日 9月秋分日(晴明祭)
鳥居 明神鳥居
社殿様式 権現造り
【由緒】
晴明神社は、平安時代中期の天文学者である安倍晴明公をお祀する神社です。
創建は、寛弘4(1007)年。晴明公の偉業を讃えた一条天皇の命により、そのみたまを鎮めるために、晴明公の屋敷跡である現在の場所に社殿が設けられました。
古い資料によれば、創建当時の晴明神社は、東は堀川通、西は黒門通、北は元誓願寺通、南は中立売通という広大なものであったとされています。ところが、応仁の乱の後、豊臣秀吉による都の造営や度重なる戦火によって、その規模は縮小。古書、宝物なども散逸し、社殿も荒れたままの時代が続きました。
その後、式年祭の度に、氏子が中心となって整備・改修が行われ、昭和25(1950)年には、多年の宿望であった堀川通に面する境内地が拡張されるなど、晴明公の御神徳を仰ぎ尊ぶ崇敬者の真心によって復興が進められました。
近年は、文芸、漫画、映画などを通じて晴明公の存在は広く知られ、全国にその崇敬者を集めるようになりました。平成15(2003)年には、御鎮座壱千年祭が斎行されました。
安倍晴明が活躍していたのは平安時代。
名前の「晴明」の読みは「せいめい」が一般的ですが、「はるあき」または「はるあきら」とも読み、本来の読み方は確定していないそうです。
「せいめい」がカッコ良くていいですよね(笑)
映画で象徴されていたように、陰陽師とは”妖術を使うちょっと胡散臭い人たち”というイメージを持たれてることも少なくないと思います。
晴明(呼び捨て)にまつわる色々な伝説もあり、どこか現実離れしたお話、存在のように思われがちですが、ここで少し訂正を。
そもそも陰陽師とは、古代日本の律令制下において中務省の陰陽寮に属した官職の1つ、とされています。
官職の1つ、つまり公務員のようなものできちんとした職業として成り立っていたということです。
宮廷に仕える”技術屋”のポジションとして陰陽寮という部署がある、という感じです。
そこで秀でた能力を発揮していたのが清明でした。
陰陽師とは、全ての事象が陰陽と木・火・土・金・水の五行の組み合わせ(陰陽五行説)によって成り立っているとする思想の元、関連を持つ天文学、暦学、易学、時計等をブレンドし世相を読んだり占術などを行う日本独自の職で、その教え(学問)を陰陽道と言ったりもします。
陰陽五行説をベースに、星読み(星の運行)や自然の観察に関わるものを組み合わせた学問です。
平安時代のイメージが強い陰陽師ですが、実は聖徳太子がいた時代にはすでに百済(現在の韓国の一部の地域)から日本に陰陽五行説が入ってきていたそうです。
この時代は、神道、仏教や儒教に加えて陰陽五行説もちょっと流行っていたみたいです。
聖徳太子がいたのは飛鳥時代、陰陽師という職が成立したのは平安時代。
なので飛躍的に広まるまでは結構な時間を有していますね。
天武天皇(第40代天皇)自身が占いや天文学、陰陽五行思想に造詣が深かったこともあり、陰陽寮を設けたのがこの”職業”の始まりだそうです。
因みに現代でも陰陽師をしてる方もいますし、実際に安倍晴明の御子息から現代の子孫たちまで、”陰陽師”は代々継がれているそうです。
話を晴明に戻して、なぜ陰陽寮の中の人物の中で晴明がこんなに有名なのか。
簡単にいうと、日本の呪術師史上トップクラスと言われるほど技術がとてつもなくズバ抜けていたからです!
技術というか霊力が凄かったそうです。
今で言う「霊感の強い人」をハイパーにした感じでしょうか(笑)
色々な伝説が残されていて、どれもこれも一般的には耳を疑うようなお話…ですが、実際に霊感の強い人はいるし私個人としては安倍晴明が大好きなんです(^-^)
更に言うけど、とても好きです(笑)
晴明神社へ行く前に、ここは外せない!ってポイントがひとつがあります。
こちら、晴明好きな方ならご承知の上かと思いますが、一条戻橋です。
一条戻橋は晴明神社の目の前の堀川に架けられている橋でミステリーなネタが幾つかあるところです。
元は土御門橋(つちみかどばし)と呼ばれていたそうですが、上の看板の内容のようなことがあり、アチラの世界からコチラの世界へ戻る、と言うことで「戻橋」と言われるようになったそうです。
今から千年以上前からある一般道に架かる橋なので、老朽化などで何度か新築もしていて現在の戻橋は平成7年に造られたもの。
橋の下は遊歩道があって、鳥も人も一休みできるような環境になっています。
なぜ晴明を語るに一条戻橋が外せないのか?
それは、晴明がこの橋の下に式神(しきがみ)を隠していたと言う所以によります。
式神とは、陰陽師が使役する鬼神(神霊)のことで、式鬼(しき)などと言ったりもします。
飛んでいって悪い奴(霊など)をやっつけてくれたり護衛をしてくれたりするもので、基本的には陰陽師サイドが操るものとされています。
で、晴明が式神を隠していたと言う橋の下。
もちろん、晴明がいた頃の橋ではないし、周辺の作りも変わっています。
式神云々より、ここだけちょっと雰囲気が違ってて正直私は苦手です。
頭痛するかも。
アカン。
(夜はちょっと避けたい…)
そして、いよいよ本丸の晴明神社へ!
堀川と晴明神社の間には大きな堀川通りがあるので、車に気をつけて渡ってくださいね。
今回の旅行、3泊4日の日程で全日オール雨または雷雨の予報だったんですが、初日は小雨程度で済み、翌日のこの日は晴天!
朝の天気予報でもずっと降水確率100%な勢いだったのに、ナニこの天気!?
奇跡すぎる。
しかも暑い、暑すぎる…
などと独り言を心の中で言いながら鳥居の前まで来ました。
ここまで来て、「あ!なんかすごい良い雰囲気!」と思いました。
あの橋の下のところとは雲泥の差(笑)
実はこの晴明神社、晴明が住んでいた跡地に建てたのだそうです。
ひょっとして今でも結界が張ってあって、それによって雰囲気が良いのかな?なんて思ったりしました。
晴明神社が建てられた当初はもっともっと敷地が広かったそうです。
応仁の乱の後、豊臣秀吉による都の造営や戦火などによって規模が縮小してしまったらしい。
以前はあった古書、宝物などもなくなってしまって社殿も荒れたまま暫く時がすぎて、その後、氏子さん達により整備・改修が行われ、長い月日をかけ晴明神社の復興が実現したんだそうです。
氏子さん達に感謝!!
なのでこの街の方々はきっととても大切にお祀りしているんだと思います。
古書や宝物…見たかったなぁ…。
晴天にはためく「晴明神社」の文字。
(はためいてないな。木に引っかかってる)
やっと来れた〜と年甲斐もなくウキウキしてしまいました。
しっかり守ってる感じだし何か強そうですよね!
安倍晴明と言えばこの印ですが、社額が☆ってカッコ良すぎませんか!?(笑)
神紋が掲げられているのも全国では珍しいですが、この星形は「晴明桔梗」または「五芒星(ごぼうせい)」と言い、晴明が創った陰陽道に用いられる祈祷呪符、魔封じのひとつとなっています。
晴明桔梗という呼び方は、桔梗の花が星形だからです。
晴明、ファンシー。
一の鳥居をぐぐった先はこんな景色です。
左手前に「桔梗庵」というお土産屋さんと、当時の一条戻橋を復元したものがあります。(ミニチュア版)
「欄干親柱(らんかんおやばしら)」とは橋の左右の「一条」と「戻橋」と彫られた柱のことです。
橋自体は昔あったものを小さくしたレプリカですが欄干親柱は大正11年(1922年)〜平成7年(1995年)まで実際に使われていたもの。
つまり前途した一条戻橋の前のバージョンの時に使われていたものですね。
ミニ一条戻橋の左には式神さんの像があります。
ちょっとコミカルで接しやすい感じ(笑)
ミニ一条戻橋はちゃんと渡ることができます。
渡ってみたけど、あの世とこの世の境目がわかりませんでした。(わかったらコワイわ)
因みにあの世へ渡った先にある「桔梗庵」は誘惑がたくさんあって参拝前に物色しすぎてかなり時間を使ってしまい、危なくあの世から戻ってこれなくなるところでした。(怒られそう)
この☆が散りばめられたバッグ、普通に可愛くないですか?
着物を着る時に活躍しそうなちりめん布のポーチは買ったんですが、このバッグは散々悩んだ挙句、散財しすぎだなと思い断念しました。
未だに買ってくれば良かったと後悔しています(笑)
次回買う!
「桔梗庵」は晴明神社公認のお土産屋さんなので安心してお買い物ができます。
お菓子などもありましたよ。
桔梗庵のお向かいに大きな狛犬さんもいます。
君も昔からここをずっと守っているんだね。
下水のアレだと思うんですが、こんなところにも陰陽の太極図。
…何か地下の悪いものを封印してるの?
と勘ぐってしまうけど、ただ描いてあるだけだと思います、多分(笑)
細い道路を挟んだ向こうが二の鳥居。
ここまでくると更に清浄な雰囲気が強まった感じがします。
あくまでもシンプルに”そんな感じがする”というニュアンスで受け取ってください。
二の鳥居の前にも狛犬さん達がいました。
提灯にも☆マークが付いています。
晴明神社の境内に千利休の屋敷があったとされていて、お茶を淹れる時に晴明井の水を使った、というお話も残されています。
晴明神社の中に屋敷を建てるなんて!って思ったけど、一時期は規模も縮小して荒んでいたので、その近辺に屋敷を建てることはそんなにハードルが高かったわけではなさそうですね。
「何か縁起良さそうな井戸もあるしちょうどいいや」ってなったんでしょうね(笑)
神紋の下部にも☆!
我が家の玄関にも施したい…
マンションオーナーに怒られるかな(笑)
戸建てならやりたい(笑)
手水舎は二の鳥居をくぐってすぐ右にあります。
近づいて気が付きました!
お水の中に桔梗の花。
素敵は計らいですね(^-^)
その手水舎の更に右奥には例の晴明井があります。
写真ではわかりにくいですが、この中央から水が渾々と湧き出ています。
水が滴り落ちる部分がその年の恵方を向いているそうです。
写真では右やや上目に注ぎ口があるのが確認できると思います。
諸病平穏に良いとされ、手に受けて飲んだり、汲んで持ち帰ったりする方がチラホラいました。
さて、かなり勿体つけましたが、こちらが全体の風景です!
右から社務所、御神木、本殿(拝殿)、見えにくいですが桔梗苑、顕彰板(壁の絵)、そして左手前が授与所(と絵馬舎)です。
拝殿の左右にあるのは安倍晴明公像と厄除桃です。
桃は日本神話でもイザナギ様が黄泉の国の化物から逃げる時にぶつけた物とあるように、厄除の象徴として伝えられています。
この厄除桃はたくさんの方の厄を跳ね除けてきたのでしょうか、撫でられ過ぎてテカテカです(笑)
お社の上部にも晴明桔梗印。
晴明神社の拝殿の隣には末社のお稲荷様が並んでいます。
御神木は樹齢300年(推定)の楠。
ちょうど咲いている頃でした。
青紫と白の桔梗はキレイな星形でとても可愛らしいお花です。
社務所のところにも桔梗がたくさん咲いていました(^-^)
顕彰板では晴明の数多くある伝説の中からチョイスしたベスト10の逸話が紹介されています!
(左から順に掲載)
変な貴族に言われてカエルを殺す晴明さんより、赤い空に書いてあった本当は殺生はしていない優しい晴明さんの方が私は好きだなぁ…
なんてパネルを読みながら思っていました。
晴明神社の授与所では色々なものがあるし、星形がモチーフになっていてちょっとカッコいいし目移りしすぎて辛かったです(笑)
令和元年に因みこんなのもあるし…
写真ではわかりにくいかもしれませんが、この昆布茶の昆布、全部が星形にカットされてるんですよ!!
これはズルくないですか!?(笑)
昆布が星形ってだけで欲しくなっちゃうじゃないですか!
昆布なのに!
買わなかったけど(笑)
桔梗土鈴は桔梗の開花時のみの授与。
今更ですが、それもいただいてくれば良かったかな…なんて。
相当悩みましたが結局、魔除ステッカー守りと鈴守り、そして御朱印帳を自分用にいただきました。
御朱印帳カッコよすぎ!
晴明神社のある辺りは何となくですが街の空気感が良くて、もし京都に住むならこの辺りに住みたいなと強く感じました。
具体的にどうにも説明ができないんですが、「なんかイイなぁ」っていう感覚、単純にそれだけです。
もしかしたら晴明の守りが効いているのかも?(^-^)
何しろ街の名前が”晴明町”ですからね!
最後に、晴明神社へご参拝の際は是非これをオススメしたいです。
顔はめパネル!(笑)
一人だったので写真は撮れず残念だったなぁ〜。
式神の方に入りたかったんだけどなぁ…敢えて(笑)
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