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前回も前々回も期待値だけ上げて空振るスタイルでやってきましたが、今度こそは良いものをお見せしたい。
気持ちの上では。
京都御苑ではランチだけしに行った状態で、敷地内の他のエリアを回る元気が湧きませんでした。
というか、御所以外は参観できたんですが、全部見るとなると結構時間がかかってしまうのが予想できたので早々にその場を後にして二条城へ向かいました。

正式名称「元離宮二条城(もとりきゅうにじょうじょう)」。
江戸幕府初代将軍徳川家康によって天皇の住む京都御所の守護と将軍上洛時の宿泊所として築城されたお城で、城内全体が国の史跡に指定、二の丸御殿(6棟)が国宝、22棟の建造物と二の丸御殿の障壁画(1,016画)が重要文化財、そして二の丸御殿庭園が特別名勝に指定されています。
更に更に、1994年に「古都京都の文化財」としてユネスコの世界遺産(世界文化遺産)に登録されました。
あ、名城100選にも選定されるそうです。

なんかもうオリンピック選手などの家の調度品のガラス扉が付いた飾り棚の中に飾ってるメダルとかトロフィーとかがいっぱいなイメージ(笑)

二条城は初代将軍徳川家康の将軍宣下から江戸幕府最後かつ日本史上最後の征夷大将軍である第15代将軍徳川慶喜の大政奉還までの間、簡単に言うと、江戸幕府の始まりと終わりの場所を担ってきたお城です。
と、同時に徳川家が代々栄えた時代のお城ですね。
また、平城(平地に築かれた城)というところから、徳川家の時代は穏やかな時代だったのが伺えます。
山頂や険しいところにお城を建てて敵からの侵入を阻む必要がなかったわけだ。

私は今まで立派なお城には侵略したことがなく(函館の五稜郭はある…五稜郭a.k.a.柳野城)、お城に関してはド素人ですが、お城が好きな方の気持ちがなんとなくわかる気がするなぁ…
丸まんまその時代の物ではないけどそういう大昔の歴史を感じる建物が今でも残ってるというのも凄いなぁ…
妄想を掻き立てます。
明治維新後は京都府の府庁や皇室の離宮として使用されていたそうです。
因みに第二次世界大戦後にはGHQによって二の丸北側にテニスコートが作られたけど昭和40年(1965年)に庭園に変えられた、と。
当たり前や!
何してくれとんねん!
城にテニスコートて君ぃ!
どう見てもミスマッチでしょうよ君ぃ〜!

この案内板にある「青流園」がその元テニスコートだったとこですね。
「前から思ってたけどテニスコートとかやめてくんない?」ってことで戦後20年近く経ってから庭園に作り変えたのでここだけは比較的近い年代のもの。
東側の「東大手門」から入り、一番最初に現れるのは「唐門」です。

彫刻も細かく色彩が豊かなんです!

この彫刻の中には、長寿を意味する「松」「竹」「梅」「鶴」の他に、「蝶」「牡丹」「龍」「虎」、そして聖域を守護する「唐獅子」などたくさんのモチーフが施されています。

すいません、写真には「唐獅子」の姿がちゃんと写っていないんですが、かろうじて虎の右側の斜め向かいの方に青いのが…
見にくいですが、青色の中にグルグル巻いてる感じの✳︎みたいなマークがいくつかついてるやつです。
こっち側から見ると顔はありませんが、外側から見ると唐獅子の姿が顕になっています。(写真撮ってない)
こういった欄間などの透かし彫りは表と裏では絵が違っていて、日本の彫刻技術の高さを感じます。
因みに逆サイドの唐獅子は赤色。


二の丸御殿は、部屋数33室で800畳!(広っ)
「松鷹図」をはじめ、将軍の威厳を示す虎や豹、桜や四季折々の花を描いた障壁画(模写画)で装飾されていますが、中には入ることができませんでした…
が!
これに関しては「二条城障壁画 展示収蔵館」という施設が敷地内にあり、ナントそこで原画を見ることができます!!
私も見てきましたが豪華絢爛でした。
館内は撮影禁止ですが、私が入館した時は他に人がいなかったので係の方が親切に色々ご説明してくださいました。
そして、
係の方「どちらからいらしたんですか?」
私「札幌からなんです〜」
係の方「あ!私、○年前に札幌へ行ったんですよー!」
私「いつ頃いらしたんですか?」
係の方「6月頃に〜」
私「一番いい時期ですね〜。冬はちょっとハードル高いですよ!」
係の方「そうですよねぇ〜北海道の方ってどうして雪や氷の上でも普通に歩けるんですか?転ばないんですか!?」
私「あ、それはですね、歩くときは道民はちょっと地面から浮いてるんですよ。ドラえもんと同じ仕組みです」
なんて定番のやり取りをしてお相手していただきました。
その説はありがとうございますm(_ _)m



このさっきから丸いフォルムの木は、イチイの木ですかね?
好きです。
ピッと伸び出たところを刈り込みたい。

ここで剣の稽古などもしていたのでしょうか。

日本庭園ってセンスの塊だと思います。
色んな角度から見ても美しく見えるように設計されていたり、木が成長することも計算に入れて造園するんですよね。

この櫓門の向こうが本丸御殿になりますが、戦時には手前の木橋を落して敵が渡れないようにして銅板で覆われた扉を閉めて備えたそうです。
写真では確認できませんが、土塀に穴があって鉄砲での攻撃も可能になっているらしい。
本丸には井戸や米蔵もあるので籠城戦も可能なまさに要塞の構え!
「要塞」って響きかっこいい…
私が注目したのはこの扉です。


銅が酸化してこの綺麗な碧色になっていますが(好きな色)、よく見たら大きな鋲が無数に打たれてるんですよ。
ひとつひとつ穴を開け、ひとつひとつ鋲をさしていく。
その鋲もひとつひとつ手で作られているんですよね。
途方もない作業…
これが400年前に造られたものとは…!
それ言ったらお城全部がそうなんですが、昔の建築技術とかって現代でも真似できないようなものも多くあったりして(継手など)、当時の職人の技術の奥深さを感じます。
こういうのもお城や古い神社仏閣の見所ではないかな。
さて、いよいよ本丸に攻め入るぞ!!
行けーー!!
放てーーー!!


あ、えっと、まず庭園。
やっぱりこの丸いのイイですね。好きですね。食べれそう。
この庭園は明治天皇が指示で造られたものだそうです。

そして!
満を持してやっと辿り着いたぞ!
目指すは本丸!天守閣!!
敵はいずこーーーー!!

ん?
敵はいずこーー……?
ちょっと分かんない、少し離れて高い所から見てみよう。

敵は…???
えーっと…
なんですか、このグレーの建物群は。
看板を見つけました。

あ、オッケーオッケー、なるほどね、そういうことね、了解!
じゃないわ!!!
工事て!!
保存修理工事て!!
朝から伏見稲荷大社へ行って稲荷山に登頂して、結構なカロリーを消費しつつも相当な歩数を稼ぎつつも京都御苑で肩すかしに遇い、そこへきてこの処遇…!
全部グレーって何事!?見渡す限り全部グレーって!
修理するにしてもどっか一部分からやるとかさぁ〜!なんかやり方あったでしょうに!(泣)
あ、もう今日は帰ろう…
そう思いました。

撤退!!
しょぼんだわ…

内堀。
橋がかかって見える部分には本丸櫓門と同じような櫓門があったところで、こちらは焼け落ちてなくなってしまったそうです。

隅櫓は内堀と外堀の四隅、外堀の北側、計9つあったそうですが、大火で焼けてしまい残ったのはこの東南隅櫓とひとまわり小さい西南隅櫓のみとなっています。
一時期テニスコートになってた例の清流園もぐるっと周りましたが、なんかもう疲れていてボーッとして写真は撮っていませんでした(笑)
本丸御殿の保存修理工事は2021年頃までの予定なので、完了した頃にまた訪れたいです。
反省:行きたい場所はちゃんと確認してから訪れましょう。

今回の旅の最後の史跡巡りは、最近「麒麟が来る」で話題の明智光秀の首塚です!
タイミング的にちょうどよく明智光秀ネタ!
次回は失敗はないです(笑)
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