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前回までは、奈良県桜井市の大神神社とその摂末社を綴ってきました。
摂末社だけでも15社もあって、かなりのボリュームになって沼でした(笑)
記念すべき摂末社のラストである桧原神社を参拝した後、体力の限界を感じながらも果敢に纏向遺跡巡りに続投!
お遍路かってぐらい歩き回って足がおかしくなりそうだった…
お遍路やったことないけど。
まずは桧原神社から一番近い茅原大墓(ちはらおおはか)古墳へ向けて少し歩くと、右側にちょっと地面が盛り上がってるところが。
「え、段々になってる。何これ」と思って草むらを踏み締めながら近付くと、看板が立っていました。
看板には、”史跡 茅原大墓古墳”の文字。
コレかいっ!
と、思ったのと同時に、「何これ」と思ってスマンかったと反省…
何しろ私にとっては初古墳。
First Contact with the 古墳。
だったし、鍵穴的なイメージ(あの上から撮影されたやつ)しかなったので、すぐに頭の中で”古墳”に直結しなかったのです。(言い訳)
茅原大墓古墳は前方後円墳で、中でも後円部に対して前方部が著しく小さい「帆立貝式古墳」という墳丘形態。
規模は、全長約86メートル、後円部径約71メートル。
4世紀末頃から現れた形態で、前方後円墳の次に格式の高い位置付けとされています。
この場所からは見えませんが、墳丘のアッチ側には長方形(「小池」)と大きな円形(「丸池」)の周濠がそれぞれあります。
平成20年度から24年度にかけて発掘調査をした結果、墳丘の斜面には葺石が施されていたけど多くは後世に取りはずされ石垣に転用されたと考えらています。(転用すな!笑)
墳丘は盛土により構築。埴輪列も検出されたそう。
中でも貴重な出土物は盾持人埴輪(盾を持った人の形の埴輪)で、6世紀後半まで続く盾持人埴輪の中で最も古いものと位置付けられていて、貴重な歴史の資料となっています。
いつの時代にもブームとかがあって、盾持人埴輪ブームの火付け役がここにいたっていうことですな(´∀`)
古墳がお墓であることは言うまでもありませんが、そのお墓に埋葬されてる人物は天皇だけではなく、その地域の位の高い人、リーダーも埋葬されます。
つまり古墳の形状や規模、作られた時代から、その地域の勢力を分析することができるというわけです。
この地域のリーダーが眠っている茅原大墓古墳からは、単に一地域の首長墳であるというだけではなく、この地域の勢力の衰退を表していることが読み取れ、古墳時代の政権勢力の変動を体現しているという点において歴史上重要な意義を持つことから、国の史跡に指定されています。
どんな時代で、どんな生活をしてたん?
家族は何人?
食べ物は何が好き?
どんな風景がそこにあったの?…
今もこの中で眠っているお墓の主と会話をしてみたいですね(*´꒳`*)
今こうして記事に起こすために、ネットで色々調べてながら書いているのですが、古墳の頂上で写真を撮ってる人が普通にいるんですよねぇ……古墳って登っても良いの!?(笑)
一応さ、お墓だし亡骸を踏みつける感じがするし登っちゃダメだと勝手に思ってたんだけど、登っても良かったの!?
そしたら古墳のアッチ側にある周濠とかも見れたん?…
え。なんか悔しい。
かといって、またここを訪れよう!とまでは気持ちは昂らないけども。
さ!茅原大墓古墳の次は「卑弥呼のお墓」という説のある箸墓古墳!
…と、このまま続けたいところですが、何しろ謎が謎を呼ぶあの箸墓古墳ですからね〜、やっぱり単発で一球入魂した方がいい気がしてきたので、また次の記事でじっくりと!
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