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奈良巡りも神社の域から抜け出して、突然始まった”纏向遺跡ツアー”4つ目の記事です。
考えてみたら、これまだ旅行2日目なんですよね(笑)
全然進んでない。
1日が長いわ。
で、これから向かうのは、勝山古墳と纏向石塚古墳です。

曇り空につき、写真が全体的にちょっと暗いですがご了承ください。
画質調整してもいいんですが、なんか嘘っぽい写真になるのが後ろめたくて嫌なのでそのまま掲載しています。(いちいち画質調整するのが面倒臭いのもある)
勝山古墳と纏向石塚古墳は、前回の東田大塚古墳の至近距離にあります。
下の画像の★がこれから行く場所。
★は既に訪れた場所。
纏向遺跡の住居跡(左下★)は記事を分けて次回にします。

まずは勝山古墳。
勝山古墳には「勝山池」という周濠(古墳の周囲に掘られた”掘”)があります。
箸墓古墳にも大きな周濠がありますが、周濠は権威の象徴だそうです。
この古墳もそれなりの権力を持った人物が眠っているお墓、ということがわかりますね。


勝山古墳の規模は、全長約115m。
主は不明、3世紀に築造されたことは間違いないようですが、前半なのか中頃なのか後半なのかは、判断の決め手となる出土品などがないようです。
埴輪や葺石はないけど、遺構から土器や木製品が多く見つかっているようで、これも権力者のお墓である証明を強めています。

周濠の逆側から見た景色。
古墳慣れしていない人にとっては、これだけを見るとただの雑木b…いえ、何でもないです。
この勝山古墳も前方後円墳の”前方”の部分がなくなっていて、田んぼ化されていました(笑)
結構”前方”蔑ろにされがち。
続いて、纏向石塚古墳。
こちらも勝山古墳から至近距離。
えっと、古墳古墳…と…
どこかな…

あ〜ピクニックに最適そうなこの原っぱ…あ、これかい!
よく見ると、少し盛り上がった形状になっていますね。
うむ。間違いなく墳丘の様子を呈している。

築造時期は現在、3世紀前半説と3世紀中説の2つの説があるようです。
纏向石塚古墳も勝山古墳同様に”前方”の部分が消滅してしまっていますが、後円部径と前方部長が2:1になる、典型的な纏向前方後円墳だったようです。
また、墳丘が少ししか盛り上がっていないのは、元からこの構造だったのではなく、第二次世界大戦中に高射砲陣地の設営目的で、埋葬部分と共に墳丘上部が大きく削平されてしまったんだそうです。
何とも残念…

纏向石塚古墳にも周濠跡があり、水を引き込む導水溝の存在も確認されています。
出土品に関しては、多くの土器のほか、鋤、鍬、建築部材なども確認されており、鶏形木製品や孤文円板など特殊な木製品も出土しています。
鶏の表情がシュールでたまらない逸品。
この2枚の鶏は輪郭が完全一致してるように見えますよね。
きっと見本みたいなものがあって、それを象って作ったんじゃないでしょうか?
左上のは素木を生かした匠の仕事、右下のは着色をしポップに…そんな感じ(笑)
こう見ると、古代の人達も創作することが好きだったんだなぁ、と現代人とそれほど変わらない様を感じて親近感が湧いてきます。
私たちのご先祖様も、「せや、鶏作ったろ」とか木を削ったりなんかして日々の楽しみとしていたのかなぁ。
この鍋敷きにも見える(多分違うけど)、円板の模様もよく見ると結構精密ですよね!
美的センス溢れる当時の巨匠の作品と思われますな( ^ω^ )
なんだか見れば見るほど素敵に思えてきます。

90°回って原っぱ…いや纏向石塚古墳を別角度から撮ってみました。
うむ、晴れた日のピクニックに最適…ダメダメ!あくまでもお墓ですからね!
しかしねぇ、このように民家のすぐ隣に何百年も前の遺跡が普通に在るという状況がすごいなぁって思うんですよね。
古代と現代が併存してるというか、時空が交差してるというか、ちょっと上手く言い表せられませんが、簡単にいうと浪漫ですね!
そう、浪漫を感じるのです(*´꒳`*)

次回は纏向遺跡ツアーのラストに相応しい、「卑弥呼が住んでいた場所では!?」という噂のある辻地区です!
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