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奈良巡り3日目。
まずは石上神宮へ!
(御朱印はこちら↓)
ここもずっと行きたかった神社。
大神神社に並び、日本最古と言われる神社です。
どんな発見や出会いがあるのか、この日がとても楽しみでした♪
石上神宮は天理市にあります。
JR桜井線に乗り、天理駅で下車。徒歩約30分。
駅から石上神宮までこんなルートで行ってみましたよ。
途中から天理市本通り商店街というアーケードに潜入…
どんなブツがあるのか品定めっと…
…と目論んだけど、平日の朝なので開店してるお店は少なく、収穫なし!
天理市本通り商店街を抜けると、そこにはとても大きくて立派な寺院が!!
なんとここは、寺院ではなくて天理教教会本部でした!
そう、天理市といえば天理教で有名。
「え!?なんかエライとこに出ちゃったけど、これ部外者が通過して大丈夫な道なん??怒られない??」と思いながら、少しよそよそしい感じで天理教教会本部前を通過。
やはり朝だからかこちらも人はあまりおらず。
この先には天理教の幼稚園、小・中学校、高等学校に大学、そして寮があります。
学生さんたちがたくさん登校していました。
にしても初めて目にしましたが、凄い規模ですね!(海外支部もあるようですし)
もちろん観光地ではないので、ミーハーな気持ちで見るのは失礼にあたると思いますが(笑)
敷地内には立派な枝垂れ桜があったり、近辺では銀杏並木も有名みたいです。
秋に来てみたいなぁ♪
付近にある天理大学附属天理参考館には、古墳や遺跡から発掘された埴輪や木製面、桃の種、その他諸々の歴史的埋蔵文化財といったものが展示されてるようです。
行きたかったー!後で知った!てか時間が足りなくなるからきっと知っても却下してたと思うけど!(笑)
あと、天理市に来て驚いたのは、この天理大学附属天理参考館と同じようなデザインの、マンションみたいな建物があちこちにたくさん立ち並んでいたこと。
町全体が天理教の世界という感じでした。(多分、例えが適切じゃない)
決しておちゃらけてるわけではなくて、単純に圧巻されました!
ご当地名物として天理ラーメンってのも人気らしいですが、気になりつつもラーメンとかは普段全然食べないし、って感じでスルー。
いや、ローカルフードを楽しむのも好きだし、せっかくなので食べてみても良かったんですが朝だし…朝ラーはあまりする気になリませんでしたな( ´_ゝ`)
そんなこんなで、石上神宮に近付いてきました。
大神神社から石上神宮へは山の辺の道で繋がれています。
山の辺の道については、大神神社の摂末社巡りの中で少し書きましたが、日本最古の道で、奈良盆地の東の山裾を繋ぐ古道です。
更にこの山の辺の道は石上神宮から春日大社までも繋がっています。
殆ど当時のままの姿で、今でも歩ける小道です。
(夜歩くのは怖い…北海道と違って山道で熊に出会うことはないと思うけど…笑)
お!
大きな灯籠!
どうやら石上神宮に到着したようだ。
更に奥に見える灯籠に明かりが灯っています。
景色もさることながら、空気感がガラッと変わり、木々の良い香りも充満してきました。
『石上神宮(いそのかみじんぐう)』
所在地 奈良県天理市布留町384
御祭神
主祭神 布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)
布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)
布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)
配祀神 宇摩志麻治命(うましまじのみこと)
五十瓊敷命(いにしきのみこと)
白河天皇(しらかわてんのう)
市川臣命(いちかわおみのみこと)
社格 式内社(名神大)、 二十二社(中七社)、旧官幣大社、別表神社
例祭日 10月15日
鳥居 明神鳥居
社殿様式 流造
【由緒】
石上神宮は、大和盆地の中央東寄り、龍王山(りゅうおうざん)の西の麓、布留山(ふるやま・標高266メートル)の北西麓の高台に鎮座し、境内はうっそうとした常緑樹に囲まれ、神さびた自然の姿を今に残しています。北方には布留川が流れ、周辺は古墳密集地帯として知られています。
当神宮は、日本最古の神社の一つで、武門の棟梁たる物部氏の総氏神として古代信仰の中でも特に異彩を放ち、健康長寿・病気平癒・除災招福・百事成就の守護神として信仰されてきました。
総称して石上大神(いそのかみのおおかみ)と仰がれる御祭神は、第10代崇神天皇7年に現地、石上布留(ふる)の高庭(たかにわ)に祀られました。古典には「石上神宮」「石上振神宮(いそのかみふるじんぐう)」「石上坐布都御魂神社(いそのかみにますふつのみたまじんじゃ)」等と記され、この他「石上社」「布留社」とも呼ばれていました。
平安時代後期、白河天皇は当神宮を殊に崇敬され、現在の拝殿(国宝)は天皇が宮中の神嘉殿(しんかでん)を寄進されたものと伝えています。
中世に入ると、興福寺の荘園拡大・守護権力の強大化により、布留川を挟み南北二郷からなる布留郷を中心とした氏人は、同寺とたびたび抗争しました。戦国時代に至り、織田尾張勢の乱入により社頭は破却され、壱千石と称した神領も没収され衰微していきました。しかし、氏人たちの力強い信仰に支えられて明治を迎え、神祇の国家管理が行われるに伴い、明治4年官幣大社に列し、同16年には神宮号復称が許されました。
当神宮にはかつては本殿がなく、拝殿後方の禁足地(きんそくち)を御本地(ごほんち)と称し、その中央に主祭神が埋斎され、諸神は拝殿に配祀されていました。明治7年菅政友(かんまさとも)大宮司により禁足地が発掘され、御神体の出御を仰ぎ、大正2年御本殿が造営されました。
禁足地は現在も「布留社」と刻まれた剣先状石瑞垣で囲まれ、昔の佇まいを残しています。
石上神宮も大神神社同様に、元は本殿がなかったようです。
本来の神社(特に上記2社は日本最古と言われる神社)というのは、基本的にお社はなく、山や岩、自然そのものに手を合わせ、お祀りするスタイル。
偶像も何も要らない。なぜなら自然信仰だからです。
山、川、海、風、岩、木、月、太陽…自然そのものにそれぞれ神が宿る、八百万の神がいる、という考え方です。
海は海でも浅い部分、深い部分、そしてその間の部分、など3層それぞれに神が宿っていたり。
例えば住吉大社の住吉大神。
住吉大神とは伊弉諾尊の禊祓(みそぎはらえ)の際に海中より出現された底筒男命、中筒男命、表筒男命の三柱のことです。
底筒男命 → 海底の神
中筒男命 → 海の中間層の神
表筒男命 → 水面の神
そんな感じで、日本人は古来より、自然のあらゆるものに対して手を合わせ、畏れ、感謝を抱いてきた民族なのです。
神社のお社などは後の人が拵えたもので、本来の姿は祭壇がある程度でした。
この石上神宮も元は背後の布留山が御神体で在ったところ、大正2年になって本殿が造営される運びになりました。
あら、ここにも柿本人麿さん。
この歌は、『万葉集』の巻4(501番)にある歌。
未通女(おとめ)らが 袖振山(そでふるやま)の 瑞垣(みづがき)の 久しき時ゆ 思ひき吾(われ)は
と刻まれています。
「乙女が袖を振る、そのふると名も同じ布留山(ふるやま)の古くより神様をまつる瑞垣(みずがき)のように、長い間あの人のことを思ってきた、わたしは」という意味。
まだ石上神宮に本殿がなかった時代に、人麿さんは誰を想ってこの歌を詠んだのでしょうか?
恋をしてたんだなー。トキメキっていいよねー( ^ω^ )
石上神宮の鳥居はこちらの一基だけ。
社額には、逆光で見えにくいですが、本来の名称「布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)」と書かれています。
鳥居をくぐるとその先に何か豆粒が動いて……あ!
神鶏がいっぱい!(*^ω^*)
威勢のいい「コケコッコー!」いただきました!
最後の手前の子の「コケコッコー!」完璧!
「コケコッコー!」の模範!
しっかし、みんな美味しs…綺麗だなぁ〜!
雄の鶏って本当に立派な姿をしていますよね。
マジョーラのように色を変える尾がまた綺麗☆
こういう感じの鶏は名古屋コーチンとよく間違えられますが、名古屋コーチンは体が全体的に赤茶で、尾だけが黒っぽいのが特徴です。
この神鶏たちをストーカーしていたら、休憩所の方へ誘き寄せられました。
おやおや!
まだこんなにいたんかい!
めっちゃいる!鶏天国だぜぇ〜!(☝︎ ՞ਊ ՞)☝︎
しかもバリエーションに富んでいる!!
セキショクヤケイの尾が朝日を受けて、とても綺麗に輝いています。
ヌシっぽい茶色の神鶏に間合いに入られて物色される私。↓
動画の真ん中にいる尾が長くて首や腰が白いのは、トサカはちょっと小さめに感じるけどショウコクかな?
体が白くて黒い尾が上に跳ね上がってるのがチャボ。
全身黒づくめのはレグホン・ミノルカ。
右から見切れてくる子は会津地鶏っぽいけどちょっと違うような…
後方から前面に滑り込んできた白いモフモフが烏骨鶏。
ヌシは何の種類かわからなかった!
今ここに鶏の種類を書くためにめちゃくちゃ鶏事情を検索したけど、こんなに鶏に時間を使ったことがかつてあっただろうか…(少し鶏スキルがアップ)
あ、あと上の写真の手前の茶色の子もわからんかった。
ここでは放し飼いにされてるので、他の種類の子と交配して混ざってる可能性もあるのかな?
烏骨鶏カワイイなぁ(о´∀`о)
ショウコク先輩、めっちゃ姿勢良い。
猫は猫背だけど鶏は姿勢が良いね。
ふと後ろを振り返ると、ゲージの中にちょっと大きくなったヒヨコがたくさんいました♪
ピヨピヨ言うててカワイイ!(*゚∀゚*)
その横には「山の辺の道」と書かれた道標。そして神鶏の石像。
撫で牛さんもいましたよっ。
かなり撫でられ倒してる感じで年季が入ってます!
銅はこの綺麗な青になるのがいいですよね( ^ω^ )
後で神職さんに「神鶏がいっぱいいますねー!ヒヨコ可愛かったです♪」って神鶏の話を振ったら、”賑わし”の為に数羽飼ったのが始まりだそうで、そこから、近所の方々が鶏を奉納してくれたり、繁殖したりして自然に増えていった、と教えてくれました( ´∀`)
(今回も神職さんとトークショーを繰り広げました)
上述した【由緒】にあるように、本殿が造営されたのは大正2年。
この時に、何だかもの寂しいから…という感じで、境内を賑わせるために鶏さんを神鶏として連れてきたんですね。
その時の神社の方々の気持ちを考えると、なんかほのぼのする(*´︶`*)
きっと、「あ、アレだな…ここに神鶏とかがいたら参拝者も気持ちが華やぐだろうなぁ…」とかって少しワクワクしてたたりしたんじゃないかなって思って。
…あ!
ついつい神鶏と戯れて時間とページをだいぶ割いてしまった…!
石上神宮のことを書きたいのに、天理教と神鶏のことしか書いてないやんけ(笑)
神鶏トラップ。
長くなったので、続きは後編で!
祓所でお祓いして神鶏の煩悩を解き放ち、次回はすぐにサッと本題に入りますからね!
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