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では、橿原神宮の御朱印を紹介します。
神璽印(神社印=御朱印)の書体は篆書体がベースだと思いますが、少しデザイン性があるのが特徴。
橿原神宮の場合は丸かったり、蔦模様のようであったり、どこか可愛らしさのある文字ですね♪
ちょっと注目していただきたいのが、神璽印の右にある文字。
”紀元”と書かれていますが、正式名称は神武天皇即位紀元(じんむてんのうそくいきげん)で、これは「皇紀」のこと。
紀元とは、橿原神宮の御祭神、初代天皇である神武天皇が即位したとされる年を元年(”日本”としての紀元)とする日本独自の紀年法。
因みに西暦というのはキリスト紀元で、西洋から日本に渡ってきた紀年法。
イエス・キリストが生まれたとされる年、またはイエス・キリストがユダヤ人として割礼を受けた日を元としたものです。
紀元は、1840年代〜1860年代(江戸時代後期)に水戸藩士でもあり国学者でもある藤田東湖という人物によって用いられたことが始まり、とされています。
藤田東湖は、最後の将軍・徳川慶喜の実父である徳川斉昭の腹心ではありましたが、吉田松陰や高杉晋作などに代表される尊皇攘夷派の思想の基盤を築いた人物。
それ以前は元号の他には、中国の宣明暦(せんみょうれき)というのを用いていたようです。
この紀元である神武天皇の即位から数えて、今年(2022年現在)は2682年にあたり(橿原神宮へ行ったのは一年前)、西暦とは660年の差があります。
つまり、イエス・キリストが生まれた、または割礼を受けた頃より660年も前に”日本”が成立していた、となります。
それを踏まえると、わざわざ西洋の紀年法を使わなくても日本の紀年法を使えばいいのに、というのは十分に納得できる話ですが、明治維新の頃、西洋に追いつけ!西洋文化を取り入れよう!という思想が広まり、紀年法も西洋に合わせた西暦が用いられるようになりました。
この時に、旧暦(太陰太陽暦)も現在の新暦(太陽暦=グレゴリオ暦)に改暦されました。(暦については、過去記事「祝日の意味と由来とウンチクと <1月(成人の日)>」でもう少し掘り下げて書いています)
ついでに(?)この時に(正確には改暦の6日後)、神武天皇即位を紀元とすることも布告されました。
要は、紀元も正式な紀年法として定められたということです。
根拠となる「日本書紀」の信頼性に疑問を持つ意見がありつつも…でもそれを言ったらキリスト紀元だって神話やろがい!っていう(笑)
まぁそれは横に置いといて、上記のようなことから、現代で「紀元」を使用することは何の問題もありません。
西暦が日本で用いられるようになったのは、明治5年(1872年)の12月からという結構最近の話なので、藤田東湖が皇紀を用いたよりも後なんですよね。
これは意外と知られていないかもしれません。
このように、日本の歴史が刻まれた紀年法とも言える「紀元」ですが、このまま廃れていくのはなんだか寂しくも感じます…
もちろん、現代において西暦やめて紀元にしろ!!改革じゃー!!とまでは思わないけど、身近なところで日本の色が西洋に塗り替えられているものが結構あるなぁ…なんて時折考えたりします。
私がこういうブログを書くのは、少しでも日本が日本であることを、そしてその歴史と文化を後世に残していきたいという思いもあってのことなので、今後もこうして蘊蓄を並べ立てていきたいなーという所存。
まぁ、単なる自己満足ですが(笑)
次回は、畝傍山に登ります!
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