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仕事で大阪へ出張してきました。
私が神社を巡るようになった”コト”の始まりの久保神社や、その近辺の天王寺区内など行きたいところはたくさんあったんですが今回はそこまでは時間が取れませんでした。
更に札幌へ戻るのが一日早まってしまいましたが、なんとか一箇所ぐらいは寄りたい!
と、大阪に着いた夜に無理やり立ち寄ったのがこちらの神社です。
夜だったけど明かりが灯っていたので参拝させていただきました。
『少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)』
所在地 大阪府大阪市中央区道修町二丁目1番8号
主祭神 少彦名命(すくなひこなのみこと)
神農炎帝(しんのうえんてい)
社格等 無格社
例祭 11月23日
鳥居 根巻鳥居
拝殿 権現造
【由緒】
ここ大阪道修町(どしょうまち)は、豊臣時代頃から薬種取引の場として、薬種業者が集まるようになっていました。江戸時代になると、幕府は道修町の薬種屋124軒を株仲間として、唐薬種や和薬種の適正検査をし、全国へ売りさばく特権を与えました。
薬は、人命に関わるものであり、その吟味は大変難しいものがあります。
そこで、神のご加護によって職務を正しく遂行しようと、安永9(1780)年京都の五條天神より少彦名命を仲間の寄合所にお招きし、神農炎帝王とともにお祀りしたのが始まりです。
中国の医薬の神様、神農氏をお祀りしていることにより少彦名神社は別名「神農さん(しんのうさん)」で親しまれる神社。
少彦名神社は日本の医薬品産業発祥の町と言われている道修町の「道修町ミュージアムストリート」という医薬品に関する資料館などが立ち並ぶ道修町通に建立されています。
例祭である「神農祭」は「薬師講」の行事として大阪市無形文化財として指定されており、大阪では一年の最後に行われるお祭りなので「とめの祭」とも呼ばれています。
神農祭は文政5年(1822年)に大坂でコレラが流行した際、「虎頭殺鬼雄黄圓」(ことうさっきうおうえん)という丸薬を作り、「神虎」(張子の虎)の御守と一緒に祈願したことに由来するといわれているそうです。
…虎の頭蓋骨を材料に使った薬です…
頭蓋骨…(効き目あるんだろうか…)
それが由来して、現在では五葉笹に少彦名神社の御札をつけた張子の虎が、家内安全無病息災の御守とされるようになりました。
張子の虎ってここからなんだ〜と思ったのと、阪神タイガースのことが頭に浮かびました。
大阪と虎ってこんな繋がりもあったんですね。
参道の入り口に大きな虎の銅像があるのもそういう理由からだったのか。
大きい虎の顔の絵が描かれた大阪のおばちゃんの服も。
参道の入り口からいきなりトラップですが、これはどっちから入るのが正しいんだろう?
と、左の通路を覗いてみましたがやっぱり右ですよね。
ていうか、きっとこの建物が後から建ったんだと思う。
スペースが狭くて御神木をカメラに収めきれませんでした。
小さなスペースをキュッとコンパクトに嵌め込んだかのような佇まい。
夜に鈴を鳴らすのは近所迷惑かな?と思って音が出ないように揺らす程度にしましたが、それじゃ意味ないか(笑)
帰りは通路の方を通ってみました。
その通路の端にはショーケースみたいなものがあって、薬品メーカー事に分けられてたくさんの薬が並べられていました。
後から気付いたのですが、少彦名神社の横の建物は「くすりの道修町資料館」という建物でした!
そりゃあ特別に参道まではみ出して建物を建てちゃっても許されるわ(笑)
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