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福岡県にある神社と聞いて、思い浮かべるのは太宰府市にある太宰府天満宮という方が多いと思います。
太宰府天満宮には、多くの摂社・末社がありますが、中でもこちらの末社は見逃さないでいただきたい!
その名も、「九州最古のお稲荷さん」と言われる天開稲荷社!
後で説明しますが、これがまたなかなか珍しい稲荷神社なんですよ。
太宰府天満宮の本殿から更に奥へ行ったところにあるのですが、寄らないで帰る方も多いようです。
それほど遠くもないので、太宰府天満宮へ参拝に上がったら是非こちらも寄ってみてください。
『天開稲荷社(てんかいいなりしゃ)』
所在地 福岡県太宰府市宰府4丁目7-43
御祭神 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
社格
例祭日 旧暦2月の初午の日
鳥居 明神鳥居
社殿様式
【由緒】
この天開稲荷社は鎌倉末期に京都の伏見稲荷大社からの御分霊を御遷(おうつ)ししてお祀り申し上げたお社です。
御祭神 宇迦之御魂大神は須佐之男命(すさのおのみこと)の御子神であり人々の生命の根源である食物とくに稲の成長を守護する神さまであります。
社名に由来するように古来より天に開かれたお社とされ五穀豊穣 商工業の発展、更には人々に開運と幸運をもたらす神として広く信仰されています。
毎月一日には月次祭を斎行し崇敬者の皆様方の御平安と御多幸を祈念致しております。皆様方の御参拝をお待ち申し上げています。
御朱印はこちら↓
天開稲荷社へは、太宰府天満宮の本殿の瑞垣を出て、北東の方向に道なりに徒歩10分ほど。
ちゃんと立て札があるので迷うことはありません。
途中に茶屋が幾つかあります。
この日は全て閉じていて、いつ営業してるのか不明ですが、そのひとつに「お石茶屋」というのがあります。
明治の32年に生まれたおイシさんという綺麗な女性が、17〜18歳の頃に母親が営んでいた茶屋を引き継ぎ、自分の名前に因んで「お石茶屋」と名付けました。
そのおイシさんに恋心を寄せていたのが……あ、この話の続きは記事の後半に!
立て札には、天開稲荷社の下に宝満宮竈門神社とあります。
この宝満宮竈門神社は第40代・天武天皇の御代、天武2年(西暦673)に太宰府政庁の鬼門封じのために創建された神社で、今では人気漫画・アニメ『鬼滅の刃』の聖地巡礼として訪れる参拝者が多いそう。竈門炭治郎の苗字”竈門”にも由来してそう、ということで。
とはいえ、作者は「ここが舞台!」だとは一言も言っておらず「ここがモデルとなった場所なのでは?」とコアな鬼滅ファンが集ってるという状態です。
漫画などのお陰で、多くの人が神社や日本文化に触れる機会が増えるのは良いことですね。
時間の関係で、今回は宝満宮竈門神社はパスしましたが……
因みに私は鬼舞辻無惨と冨岡義勇さんと宇髄天元さんが好きです。(要らぬ情報)
舗装された道なのでヒールのある靴でもダメではないですが、やっぱりスニーカーの方が安心です。
私は旅行ではめちゃめちゃ歩くので、履き慣れたスニーカー必須!
何の苦行なのかと自分でも思うぐらい、足がポンコツになるぐらい歩くので。
稲荷神社はこういうのぼり旗が派手でいいですよね!
前に別の記事で書きましたが、朱(赤)には魔除け、そして豊穣の意味が込められています。
朱色は森の緑によく映えますね。
ここからは石段があって、少し登ります。
確か9時半は過ぎていたと思いますが、こんな感じでほぼほぼ人がいません。
個人的には静かに参拝できて良いけど、あまり知られてないのは残念でもあります。
のぼり旗はいくつぐらい立ってるんだろう?
結構ありますよね。
鳥居もいくつもあって、いかにも稲荷神社という雰囲気でスキ。
あと一息。
この階段を登ったら…
天開稲荷社に到着!
手水はパイプからダイレクトに出てくる仕様。
硬貨が投げ入れられていますね。
小さなお社の中にギュッとコンパクトに詰まった感じ。
でも綺麗にしてあって、しっかり稲荷神社の程を為しています。
ここから振り返るとこんな感じ。
右にあるのは授与所ですが、閉まっています。
開いてることはあるんだろうか?
で、私はこのお社の左側に階段があるのを見逃さなかった!
こういう隠しダンジョン見つけるの得意。
階段を登った先にあったのは、天開稲荷社の奥の院でした。
祠の中にあって、何やら神秘的。
天井は立膝でちょうど手を合わせられる高さ。
どこの神社や家の神棚でもそうですが、手を合わせる時に見下す高さでは神様に失礼に当たるので、こういう場所でも立膝またはしゃがむ姿勢で手を合わせます。
お社の左側から上がって、お社の背後の奥の院、そしてお社の右側へぐるっと回るように小道があります。
小道からお社の正面へまた戻ろうとした時、不思議おじさんに遭遇しました。
私はなぜか神社や神社へ行く途中で不思議おじさんとか不思議おばさんに遭遇します(笑)
札幌から千歳空港行きのJRの中で、「あっちは暑いから熱中症に気を付けてね」と、私の行き先など分かりようもないのに、まるで関西へ行くのを知ってるかのように通りすがりに話しかけてくる不思議車掌おじさん。
住吉大社では、「住吉大社で参拝者にこうして説明するボランティアをやってる」と散々境内の説明をしてくれて、一瞬よそ見をしてまたおじさんの方を振り返ったら忽然と消えていたボランティアおじさん。(巫女さんに「白いジャンパーを着たボランティアのおじさんがいて…」とそのおじさんについて伺ったら「そういう人は当神社にはいません…」とキョトンされた)。
松尾大社では、私が北国から来たかどうかなんて分かりようがないし、もしかしたら九州などから来てるかもしれないのに「こっちは暑いでしょう?あっちに滝があるから後で行ってその水を飲んでみて!」(←どうやら霊水らしい。実際に言われた方へ行ってみたら地元の人もあまり知らない”霊亀の滝”と言われる神聖な滝があった。飲むと疲れが吹っ飛ぶらしい)と言う滝飲めおばさんなど……
不思議現象じゃなくても、奈良の箸墓古墳では古墳案内ボランティア(こっちは本物のボランティアの方)の古墳おじさん、石上神宮では神鶏見守り奈良名所カメラマンおじさんなど、いろんな方に出会す私ですが、今回も謎の案内人(笑)に出会しました。
展開稲荷社で会ったそのおじさんは「奥の院行ってきたの?」と不意に話しかけてきました。「ここはね、稲荷神社でも珍しい神社なんだよ」と。
おじさん「お社の中にある鈴は見た?」
RYO「見ました」
おじさん「その鈴の本数は何本だった?」
RYO「あ、数えてなかったけど、本数に何か意味があるんですか?」
おじさん「ちょっと見てごらん」
と私をお社の前まで連れてきて、「数えてみて」と。
RYO「12本ありますね」
おじさん「何の数字だと思う?」
RYO「えっと、時間?月の数?星座…ダース…」
おじさん「これね、干支の数なの」
RYO「あ!(それもあったな!クッソ、なんか悔しい…)」
おじさん「元はこの鈴は元は正面に下げられていたんだけど、今は鳴らせない(←理由聞いたけど忘れた)。その代わりにその右にある鈴を鳴らすことになってるんだよ。鈴の数、いくつある?」(正面に鈴紐がかけられていた以前の天開稲荷社の写真は、こちらで見ることができます)
RYO「大きいのが1つと、小さいのが12個…あぁ!小さいのは干支の数なんですね?」(写真では見切れていますが、この鈴紐の上部に一際大きな鈴が1つ付いていて、小さな鈴がまさに鈴なりに12個付いていました)
おじさん「そう、これを参拝の際に鳴らすことによって、どの干支の人もお参りできるようにしてるの」
RYO「ほえ〜」
おじさん「全国でもこの”十二支の干支参り”をやってる稲荷神社って珍しいんだよ」
RYO「確かにあまり聞いたことはないですね(ていうか初めて聞いたわ)」
おじさん「奥の院へは社の右から行って右回りで回ってきたでしょ?あなたそれ正解。左から回ると運気が落ちるって言われてる」
RYO「あ、それなら良かったッス!」
おじさん「御朱印はもう下(太宰府天満宮の楼門内の授与所)でもらってきたの?」
RYO「いえ、参拝してからいただこうと思ってまだいただいてません」
おじさん「それなら良かった、あなたツイてるねー。ここでいただいてったらいいよ。普段は閉めてる時が多いんだけど、今日はもう少ししたらそこの授与所が開くから、こそでいただいていくといい。こっちでいただく方が貴重だから」
そんなことを話してるうちに燻銀な雰囲気を醸し出す神職さんがやって来て、さっきまでは閉まっていた本当に授与所が開きました。
おじさん「ここにくる途中にお石茶屋ってあったの見たかい?」
RYO「見ました。けど閉まっていました」
おじさん「あのお石茶屋はね、元はおイシさんという女性が営んでいて、筑前三美人の1人と言われるほどの美人で有名な人だったの。そのおイシさんが家からお石茶屋に行くには丘をぐるっと回って遠回りをしなくちゃならなくて、いつも通うのが大変だった。そこで、おイシさんに惚れ込んでた人がおイシさんのために近道になるトンネルを造ったの。その人が麻生太郎さん(第92代内閣総理大臣)の曾祖父の、麻生太吉(たきち)という人。お石茶屋の横にそのトンネルがあるから、帰る時に見て行ったらいいよ」
RYO「ぜひ見てみます!色々教えてくれてありがとうございます。そこで御朱印いただいて戻ります」
「あ、それとね」とおじさん。
「『鬼滅の刃』は好き?」と、前述した竈門神社のことを教えてくれました。
御朱印をいただいた頃には太陽が天辺近くに昇っていて、気温も上昇。
ほんといつも天気に恵まれて有り難いし、不思議おじさん・おばさんや親切おじさんなどに出会えて、そういう方々から教えてもらえねばわからない色んな情報をもらえて有り難いなー。
やはりこれは私の普段の行いが良いからであろうな。うんうん、そうだそうだ。
のぼり旗が綺麗だわー。
そういえばこののぼり旗、3000円の初穂料で奉納できたよな……(回想)
なかなか3000円という手頃な金額で自分の爪跡を神社に残すことはできないので(笑)、これはぜひ奉納してくれば良かった!
おじさんとのカンバセーションに夢中で、そんなことに気が向かなかったよね。
ここに私の名も並べたかった……ような気がする……
などと浅ましいことを考えてるうちにお石トンネルに到着。
レンガを綺麗に積み上げた可愛いトンネルです。
おイシさんが通るために造られたものなので、2人並んで歩くのが精一杯なぐらいのサイズ感。
上部には「宝満宮 参拝隧道」と掘られた石板が嵌め込まれています。
どうやらこれが正式名称なのかな?
トンネルを通り抜けてみましょう。
なんか既視感!
ケミカル・ブラザーズのPVとかに出てきそうなビジュアル!(伝わりにくい例え)
トンネルの向こうはおイシさんがいた時代へタイムスリップ…!
するわけもなく、トンネルを抜けた右手に、現在お石茶屋を営んでいるおイシさんの姪の娘さんの大きなお屋敷と県道578号線があるだけ。
出口(というかおイシさんが家から出てここを通るので、こっちが入口なのか?)の方には、きっちり「昭和三年十一月 寄進 麻生太吉」と掘られていますね。
現・麻生グループは麻生太吉さんが創始者で、麻生セメントの前身である麻生商店から経営を多角化し、一代で九州財界にこの人あり、という地位を築きました。そのお父様とお爺様は庄屋、曽祖父は武士だったそうです。
そして、子孫は更に事業展開し麻生グループを大きく育て、曾孫の麻生太郎さんは総理大臣にもなったわけで、なんかすごい家系なんですよね、麻生家って。
お石トンネルを抜けて、県道578号線を道なりに東北方面へ2km弱進むと宝満宮竈門神社に着きます。
お石トンネルの上部に嵌め込まれていた「宝満宮 参拝隧道」を考えると、本来はここから宝満宮竈門神社へ参拝に行くために造られたトンネルなのかもしれませんね。
もしくは、本当におイシさんのためだけど、あまり公にしたらアレだから宝満宮竈門神社への近道ってことにしたのか?
まぁあまり野暮なことは言わずに、「おイシさんのため」ってした方が浪漫がありますね。
太宰府天満宮サイドに戻ってきました。
お石茶屋はやっぱり閉まっています。
後で調べたら開店は11時からのようで、まだこの時間は開店準備時間だった可能性大。
店内では太宰府名物の梅ヶ枝餅やうどんをいただけて、ちょっとした売店もあるようです。
あと、ビールや清酒もあるので、天開稲荷社へ参拝する時にお父さんをこちらで預かってもらうのも良さそうですね!(笑)
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