九州地方

103. 加藤神社(かとうじんじゃ) 〜熊本県熊本市〜


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熊本城の天守6階から眼下を眺めた際に、城郭の一角に青や緑の幟がたくさん立っている神社があることに気が付きました。
もちろん寄らない理由はないので、お城を脱出し、そそくさとそちらへ向かいました。

その神社の名は、加藤神社
秀吉に仕えた”賤ヶ岳(しずがたけ)七本槍”の一人で、初代肥後熊本藩主であり熊本城の設計者築城名人と謳われた加藤清正公をお祀りする神社でした。

『加藤神社(かとうじんじゃ)』

所在地  熊本県熊本市本丸2番1号
御祭神  加藤清正公(かとうきよまさこう)
社格   旧県社
例祭日  4月第4日曜日
鳥居   明神鳥居
社殿様式 流造

【由緒】
慶応 四 年 熊本藩主細川韻邦公の弟長岡護美公の建議により明治元年朝廷より神祭仰出され、浄池廟を神道儀式にて守護する。
明治 四 年 神仏分離の際熊本城内に神宇を創建し錦山神社と公称する。
       同年神祗官を経て大木兼能・韓人金官公の両霊を合祀する。
明治 七 年 明治六年に熊本鎮台が置かれ、城内が悉く陸軍用地に編入された為に、京町台に改築遷座奉祀する。
明治 八 年 社格を県社に列せられる。(昭和二十一年社格制度が廃止)
明治 十 年 西南の役に際し、社域は恰も交戦の衝路となり手水鉢以外建物悉く焼失する。(ご神体は事前に健軍神社に移し奉護する)
明治 十一年  陸軍中佐乃木希典氏西南の役戦勝報賽の参拝をされ祭文を奏上される。(直筆の祭文は御神宝として所蔵)
明治 十七年 社殿再建に着手し、十九年に竣工正遷宮する。
明治四十二年 清正公三百年祭を斎行し、社号を加藤神社と改称する。
       同年閑院宮殿下の御参拝あり幣帛料を供進される。
       同年陸軍大将乃木希典氏より太刀一振薙刀一本献納される。
明治四十四年 伏見宮殿下の御参拝あり。同年米領ハワイ在留民の懇請により加藤神社を創建する。
大正 三 年 朝鮮京城府龍山有志者の懇請により加藤神社を創建する。
昭和 六 年 昭和天皇の勅使として侍従山県公爵が幣帛料を下賜される。
昭和三十七年 永年の熊本城内遷宮の宿願叶い現在地に遷宮する。
昭和四十六年 御創建百年を記念して、御鎮座百年記念大祭を斎行する。
昭和  五十年 夏祭りに神幸行列を復活する。(昭和五十七年より清正公まつりに改称し、昭和六十年清正公まつり奉賛会を組織する)
昭和五十一年 青少年の健全育成と教化を目的として子供会を結成する。
昭和五十二年 広大無辺なご神徳の昂揚を目的として崇敬会を結成する。
昭和五十六年 清正公生誕四二〇年。御鎮座一一〇年記念大祭を斎行する。
昭和六十三年 清正公肥後入国四百年記念大祭を斎行する。
平成 三 年 清正公生誕四三〇年。御鎮座一二〇年記念大祭を斎行する。
平成 四 年 城内遷宮三十年記念大祭を斎行する。
平成 十三年  清正公生誕四四〇年。御鎮座一三〇年記念大祭を斎行する。(記念事業として、社務所屋根を緑青銅板に茸替える)

(加藤神社HPより引用)

御朱印はこちら↓

熊本城の天守の東の広場には、旧陸軍第六師団司令部が置かれていた時代がありました。
賛否両論、様々に評価される陸軍大将・乃木希典がその部隊に所属していたこともあり、明治11年、乃木大将が中佐だった頃に、西南の役の戦勝の奉賽(祈願成就のお礼で神仏に参ること)で参拝、祭文を奏上したということが由緒に書かれています。
直筆の祭文は加藤神社の御神宝として所蔵されているそうです。

緑と青に統一された幟が華やかで綺麗でした。

狛犬さんは2対だったのに、私としたことが手前の1対しか写真を撮っていなかったようだ…(悲)

手水舎

ん?何か改修でもしてるんですかね?(下の写真、右部)

どうやら”加藤神社創建150年記念・熊本地震復興事業”の一つ、”令和の大造営”による境内整備事業だそうです。
内容は以下の通り。

  • 神殿他塗替工事
  • 授与所兼参集所建設工事
     令和4年5 月~令和4年11月ごろまでを予定
  • 新社務所建設工事
     令和5年5月~令和6年夏ごろまでを予定
  • 城側玉垣新設工事
     令和6年春頃より開始予定
  • 参道石畳新設他整備工事
     令和6年春頃より開始予定

参拝に訪れた時は、授与所兼参集所建設工事の期間でした。
完成したら授与所越しの熊本城が見れるわけですね。

拝殿

拝殿はシンプルな流造。
意外と流造好きなんだよなぁ、横から見た時の流線が綺麗で。

御神紋は加藤家の桔梗紋蛇目紋
熊本城の記事で触れた通り、加藤家には2つの家紋があります。
本来の加藤家の家紋は蛇目紋
もうひとつの桔梗紋は、元は讃岐国(香川県)を改易された尾藤氏のもので、清正が肥後国に入る際に秀吉から贈られた調度品についていた紋で、これをそのまま使用していました。
なお、家具などには桔梗紋武具などには蛇目紋というように、この2つの家紋を使い分けていたそうです。

「仰清正公(ぎょうせいしょうこう・ぎょうせいしょこ)」と書かれています。

”きよまさ”なのになぜ音読みで”せいしょう”なのか?
これには幾つか説がありますが、

  • お寺は中国から入ってきた仏教のものなので、寺号は訓読みになっている。例として浅草(あさくさ)にある「浅草寺(せんそうじ)」など。
  • 有職(ゆうそく)読み。敬うべき故人の実名(諱)を音読みにして敬意をあらわすこと。

このふたつがそれっぽいかな〜。
もしくは両方かも?
信長の家臣、太田牛一信長の死後に完成させた『信長公記』も、「のぶながこうのき」ではなく「しんちょうこうき」と読むところを見ると、やはり有職読みが有力か?

更に有職読みが1893年(明治26年)5月発行の『史学普及雑誌』9号で初出したのを考えると、それまでの錦山神社から現在の加藤神社という社号に改称したのが明治42年なので、やはり有職読み説かな?

拝殿から振り返った風景

例祭日である4月の第4日曜日には、「清正公(せいしょこ)祭り」が執り行われられます。
本来は7月第4日曜日でしたが、令和5年(2023年)から4月第4日曜日へと変わりました。
これは、戦前、春に行われていた元来の開催時期に立ち返る形となるそうです。

社務所

御朱印はこちらでいただきます。

2016年の熊本地震の影響から、未だ完全には復興に至ってないようです。
自然の脅威には人類はどうしたって敵いませんね…

太鼓橋
大手水鉢

太鼓橋は、文禄の役の記念として清正公が持ち帰ったもので、その後の橋造りの原型とされたのだそうです。

大手水鉢熊本三手水鉢と言われ、清正公の重臣、大木兼能(おおきかねよし)の屋敷で使用されていたもの。

鳥居の近くに御神木がありました。
正面に回ってみると…

むむ!?小さなお社がある!
梯子もついてる(゚∀゚)
これはシルバニアファミリーのアイテム…ではないけど、とても可愛らしいですね♪
栗鼠とかが早朝にこの梯子を伝って参拝してたりして(*^ω^*)



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