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85. 祇園社八坂神社(ぎおんしゃやさかじんじゃ) 〜奈良県奈良市〜



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こちらのゆるキャラ(あまりゆるくない)を知ってる方はどれぐらいいるでしょうか?
彼がこの世に生まれたのは、今から13年前の2008年。
2010年に奈良県で開催された「平城遷都1300年記念事業」のための公式マスコットキャラクターとされた「せんとくん」ですが、2011年に奈良県のマスコットキャラクターとなったようです。

当時は、「全然ゆるくない」「不気味だ」などの罵声を浴びせられていたせんとくん。
なんだかんだ言って今では違和感もなくなり、愛されキャラとなっているようです(笑)

ついでなので、遷都について解説を少し。

遷都とは、単純に言うと「天皇の宮城を正式に移すこと」です。
第26代・継体天皇の御代、宮城は幾度か移転していて、継体天皇を除く第40代・天武天皇以前は、各天皇が即位する度に””(「京」とは皇居、皇帝の住まいのある土地。=国の首都のこと)を移しかえていました。
第41代・持統天皇が694年(朱鳥10)に藤原京(現在の奈良県橿原市と明日香村にかかる地域)に移って以後、即位には関係なくとして固定されるようになります。
710年(和銅3年)、第42代・元明天皇の頃に平城京(現在の奈良県奈良市)へ移りました。
第45代・聖武天皇の御代では平城京から恭仁(くに)京(現在の京都府南部の相楽郡加茂、木津町、山城町にかかる地域)に移りましたが、完成しないまま近江国(現在の滋賀県)で都の建設を始め、その2年後には難波京(現在の大阪府大阪市)に遷都、翌年に結局平城京に戻るという…

ちょっとチョロチョロしすぎ(笑)

第50代・桓武天皇は、一時は長岡京(現在の京都府向日市、長岡京市、京都市西京区にかかる地域)に移りますが、794年(延暦13年)に平安京(現在の京都府京都市)に遷都、その後1180年(治承4年)の福原京(現在の兵庫県神戸市中央区から兵庫区北部あたり)での一時的な遷都を除けば、1869年(明治2年)の東京遷都まで宮城はずっと京都にありました。

この第50代・桓武天皇から第121代・明治天皇のお父上にあたる第120代・孝明天皇までの間で宮城とされていた平安京の大極殿は、京都府京都市に5/8スケールで「平安神宮」として現代に蘇っています。

お祀りされてるのは、雅な平安時代の幕開けに即位された桓武天皇と平安京最後の天皇である孝明天皇の二柱です。

平安神宮もなかなか立派でしたよ!
ぜひ京都へ行ったなら寄ってみてください♪
平安時代から明治維新までの長い時間に想いを馳せたりしながらね…

話を戻して、このようにコロコロと宮城を移動する理由は、奈良時代後半から寺院が力を持ち始めたことが大きな理由とされています。
特に桓武天皇は仏教寺院の影響力に頭を悩ませており、仏教の強い力が及ぶ平城京に遷都して新たな政治改革を行う意図がありました。
こういった政治的背景の他には、疫病を祓い除けるためであったり、心機一転で身構えを新たにするためであったりといった、半ば験担ぎの意味も為していたようです。

更に話を戻して、せんとくんの誕生は、上記した平城京の遷都から1300年の節目を記念するシンボルとして、彫刻家の籔内佐斗司さんという方に生み出されたものなのでした。

ウンチクも語り終えたし、やっとここで本題に(笑)

今回は4泊5日で奈良巡りです。
修学旅行ぶり。奈良。

移動日である1日目は、空港からJR奈良駅までのJRでトラブルがありまして、奈良入りが約2時間遅れとなりました。
何となくの予定としては(いつもだいたい行き当たりばったり、気分と天候任せ)、2時ごろホテルに着くはずだったので、そんなに遠出もできないな〜ということで、ホテルから近い春日大社へ!

…ではなくて、神社はなるべく午前中の人が少ない時間帯に行きたいのと、夜限定で行きたい場所があったので東大寺の方へ!(春日大社のお隣さん)

で、当初は「その前に奈良公園で鹿と戯れたろ!」と思っていましたが、時間がズレ込んだのでこの日はゼロ戯れに変更。

東大寺については「歴史と文化」カテゴリーで投下しますが、とても素晴らしい景色が撮れたので後で見ていただきたいです♪
地元の方にも意外と知られてない「わぁ!綺麗!」ってなるような場所があるのです(*^ω^*)

それはさておき、東大寺へ向かう途中に神社がありましたので、立ち寄ってみました。
今回の奈良巡り1つ目の神社、祇園社のご紹介です。

『祇園社八坂神社(ぎおんしゃやさかじんじゃ)』

所在地  奈良県奈良市押上町26
御祭神  建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)
     櫛稲田媛命(くしなだひめのみこと)
     八柱御子神やはしらのみこがみ)
社格   
例祭日  7月14日
鳥居   
社殿様式 神明造

【由緒】
創建は南北朝時代の建武五年(1338年)、京都の「祇園社」を勧請したことに始まる。その頃は東大寺鎮守八幡宮(手向山八幡宮)の末社であったとされている。江戸時代に数回火災で焼失。創建当時のものは残存しておらず、現在の社殿は再建したもの。

祇園社について色々調べている時に、古い写真などを見ていましたが、元は朱の鳥居があったみたいです。
上の写真では鳥居はなく、注連縄に紙垂がついてるのが確認できますが、これも鳥居と同じ意味を為すものです。

で、よく見ると、玉垣が途切れたところに朱色の短い柱が立ってるのがわかります。
そう、これは鳥居の足の部分。

現場では全く気が付かなくて、後で写真を見て気が付きました(笑)

なぜ上部は切られてしまったんでしょうね?
理由がないわけではないと思うんですが、老朽化かな?それ以外に何か理由があるかな?何でしょう?

民家の間にあるような神社で、境内はそれほど広くはないです。
舞殿を兼ねていると思しき拝殿がドーンとありました。

社額
本殿

祇園社は元は、749年(天平勝宝元年)に創建された、東大寺の境内にある手向山八幡宮の末社であったようですが、名前や御祀神からして途中で設定変更して京都の八坂神社に寄せたっぽいですね。
設定変更とか言ったら怒られるな、新たに神様を八坂神社から勧請して、です。その経緯が気になります。

手向山八幡宮は四柱の天皇と姫大神がお祀りされていますが、こちらの御祀神は八坂神社と同一なので、現在は手向山八幡宮の風味はゼロ風味です。

「祇園祭」という例大祭も八坂神社に合わせて7月に行われていて、結構賑わうようですよ♪

本殿から拝殿の眺め

境内社が一社ありました。

社額

「弁財天」という額がかかっていますが、御祀神は寺院神社大辞典では大己貴命と記されていたり、また奈良県史には天満神社(=菅原道真)とも記されていたり、社務所や授与所もなかったのでちょっと確かな情報を得られませんでした。

気になりますねぇ。
分からないことがあると気になって仕方がない。
これは一つの病気です。いずれ忘れるけど(笑)

拝殿から参道の眺め

写真の左側に見える緑色のものはバス停です。
奈良は交通機関が他よりも少なく移動が結構大変だったので、次回は絶対にレンタカー!!!と思っていますが、東大寺付近はバスで楽々行けます。

また、奈良県には「ぐるっとバス」というのがあって、普通に観光をする目的ならコレがとても便利だと思います!
観光名所をエリアで分けてぐるっと回ってくれるバスで、料金もお手ごろみたいですよ♪

祇園社を後にして、ここから徒歩でぐるっと東大寺へ向かいました(結構遠かった…)



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