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札幌は秋も深まってきました。
この時期、札幌の中心部から少し南方面にある中島公園は紅葉で彩られ、地元の人は元より、観光客にとっても人気のスポットとなります。
中島公園は何しろ敷地がとても広く、池やコンサートホールなどもありますが、それに加え、神社が3つ程あります。
1つは弥彦神社、もう1つは札幌水天宮、そして、少し離れたところに札幌護国神社があります。
(御朱印はコチラ↓)
『札幌護国神社(さっぽろごこくじんじゃ)』
所在地 札幌市中央区南15条西5丁目1番地
御祭神 護国の神霊 25,537柱
例祭日 7月6日
鳥居 靖国鳥居
社殿 権現流造
【由緒】
明治10年の西南の役に戦病没した屯田兵の霊を祀る。 有栖川熾仁親王により屯田兵招魂碑と題し、明治12年8月2日屯田兵司令部に於て祭祀を斎行する。明治40年2月中島公園に移転し、明治27・28年の日清戦争の戦病没者を合祀し、明治37・38年の日露戦争の戦病没者の合祀のため忠魂碑を建て、乃木将軍之を題す。昭和8年11月17日現在地に札幌招魂社を造営し官幣大社札幌神社に奉斎せる神霊を此処に奉還する。昭和11年昭和天皇北海道行幸の砌、祭粢料御下賜。昭和14年4月1日内務省指定の護国神社となる。終戦により昭和21年4月30日神社本庁に所属、同年12月12日札幌彰徳神社と改称する。昭和26年10月23日境内社多賀殿を奉斎神社本庁承認。昭和47年2月3日昭和天皇皇后両陛下御親拝。昭和54年7月6日札幌護國神社御創祀百年奉祝祭。平成7年8月15日天皇陛下奉幣臨時大祭執行。
札幌護国神社の御祭神は戦争などで亡くなった方々、25,537柱です。
私達の世代で一番身近に感じる戦争は第二次世界大戦ですが、この神社ではそれ以前の戦病没者をお祀りしています。
明治10年の西南の役(西南戦争)で亡くなった屯田兵をお祀りしたのが始まりで、明治27・28年の日清戦争の戦病没者を合祀、その後、明治37・38年の日露戦争の戦病没者を合祀しました。
注意書きが書いてあったと思うのですが…
逆光で何がなんだか…すみません。
手水舎の水が溜まるところに星マークがあるのがわかりますか?
これはオシャレでポップなのを意識してるわけではなくて、北海道へ渡ってきた開拓使の記章のシンボルが星マークなのです。
細かいことを言うと、色は赤。
RED STARです★
(かっこいい!)
この星型は五稜星(ごりょうせい)といい、明治5(1872)年に蛯子末次郎という人が北極星をモチーフにデザインしたものが始まりです。(北の中心ですからね)
開拓使が建てた工場などにもこの五稜星が施してあり、今も現存してる建物があります。
札幌時計台もその1つ。
星マークで思い出すのはサッポロビールなんかもありますね。
神紋は抱き桜かな?
神門の向こうには重厚な雰囲気のお社がありました。
靖国神社をはじめ、各地方の護国神社の神紋が「桜」がモチーフになってるのは日本を体表する花だからかなぁ?
ドーーーン!!
神門を潜るまで実際どれぐらいの規模かわからなかったんですが、とても大きな社殿です!
そして荘厳な雰囲気に圧倒されました!
抱き桜の神門が入った金属製のお賽銭箱。
金属製は初めて見ました!
ここにも桜。
大きさがあまり伝わらないと思うんですが結構大きな狛犬さん達。
「しっかり仕事するぜ〜!」みたいな鍛え上げられたボディの、ドッシリしたタイプです(^-^)
神門付近に石碑などが色々ありました。
札幌護国神社へ来たなら是非立ち寄っていただきたいのが、彰徳苑です。
慰霊碑群が祀られている一帯です。
とても広い敷地内に、私たちが住む日本のために尊い命を捧げた英霊達を顕彰しお慰めするための石碑が数多く建立されています。
彰徳苑は社殿の右から入れます。
ちょうど紅葉で木々が麗に染まっていました。
アッツ島とはアリューシャン列島にある島です。
1943年(昭和18年)5月に日本軍とアメリカ軍が戦闘したアッツ島の戦いでの戦没者の慰霊碑です。
第二次世界大戦と聞くと東京や広島などの目にしたくないような惨劇を思いしますが、日本各地、国外でもたくさんの兵士が戦って亡くなっています。
私もここへ来るまでは、北海道はあまり関係ないものだと思っていましたが全くそんなことはないんだな、と気付かされました。
中央に水盤がありました。
見渡す限りヤツデの木はないのにヤツデの葉が一枚、そしてよく見ると銀杏の実が幾つか。
カラスが集めたのかな?
この4基の塚は元はこの一体をお護りする山鼻神社で、御祀神は現在、札幌護国神社境内にある多賀神社にて相殿奉斎されています。
北の地からパプアニューギニアへ遠征した380名の戦没者への碑。
ここからそんな遠くまで行ったんだなぁ…私達の国、日本と家族の守るために。
親、伴侶、恋人、友人、子供の事を想いながら日本の為に命を尽くした戦士達のことに暫し想いを巡らせました…
”国の為”は「大切な人の為」と言う事を許されないからその言葉を選んだ…
そんな大切な人達と白銀の雪原を見て、春には香しい桜を見て、夏には繁る若葉を見て、秋にはこんなに綺麗な紅葉を見て、落ち葉の絨毯を歩くと耳障りの良い音を聴いて…
多分もうそんな時間は過ごせないだろう、とわかっていた。
でも、愛する人たちを悲しませない為に「必ず戻るから」と伝えて去った…
そんな事を考えながら、私たちは今どれほど幸せなのかと考えさせられました。
何でも当たり前ではない。
雨漏りしない家で過ごし、着るものもあり、文明は進み馬車から車になり、インターネットも普及し、固定電話が影を薄くして携帯電話も進化してスマートフォンになり、世の中はとても便利になって、人の考え方も変わってきた。
”大切なこと”ってなんなのか、なんだか今はボンヤリしているように思える…
その昔、日本の為に戦った英雄達は今の日本を見てどう思うだろう?
叶わないけど伺ってみたい。
私たちの”今”の為に、命を賭して戦ってくれてありがとうございます。
と、素直にそう感じました。
後世に繋げていかなくてはね。
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